病気って不思議なんですが
なんで「気」が「病む」のだろうと最近考えます
毎日瞑想しながら自分がまねいている病を
薬じゃなくて自分の「気」で治すことができないのだろうかと
実践していたこの2か月
息を吸うと肺の表や裏が痛くてどうしようもなかったのですが
時間が解決したのかどうなのかわからないですが
やっと自分の弱い体の部分
気管支炎はやっとおさえることができました
病はウイルスですから
ウイルスの気持ちを考えると
ウイルスは身体の中で悪さをしようと考えているわけもなく
ただ必死に自分の命を全うして生きていたりする生命にもかかわらず
でも
身体にとってみれば実は悪性だったりします
そう考えると癌細胞自体も自分は一生懸命生きているウイルスの命で
身体にとってみれば悪性の存在だったりして
その存在に気づいて自分の「気」で吹き飛ばすことはできないだろうか
と自分の知人が苦しんでいる病を思うと切に感じたりします
そう考えると原発は
地球という身体を通してみれば
人体にとってのウイルスのようなもので
原発自体は一生懸命働いているものの
地球自身にとっては悪性ウイルスだったりします
地球という身体は抗生物質もなければ
治すてだてもなく
人類の祈りしか絶滅する方法はありません
わたしは大震災の計画停電などで
ろうそくでも人は生活し楽しむことができることを知ったので
無理やり原発で電気を作ることをしなくても
もういいのではないかと思うのです
原発は充分に全うしてくれたので
これからは必要でないと思うのです
原発のおかげでたくさん物質的な利益を得ることができた人間ですが
地球という身体を考えるともういっぱいいっぱいで
地球イコール自分自身と重ねるくらいの思いでいないと
地球の魂もそろそろくしゃみしたり怒ってしまうと思います
それが昨今の大震災なのかもしれないと感じます
原発地域で被害を受けた知りあいである大熊町や浪江町の人々と
地球という身体の病の重さを考えると
「原発さん、あなたはもう命をまっとうしました、ありがとう」
と祈るしかない自分です
たまたま東京郊外の大切に田舎を守っている地域に来れた縁を考えると
自然の大切さを切に感じずにいられない今日この頃です
そのことを歌にできた自分達の歌の力を
今感じています
微力ですが強く 優しく さりげなく 伝えていける
自分の純粋な心でありたいなといつも思っています