近代オリンピックの創始者であるピエール・ド・クーベルタン男爵は次のようなことを言っているという。
(1) 自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つ、これこそがアスリートの義務であり、最も大切なことである。
(2) オリンピックで最も重要なことは、勝つことではなく参加することである。同様に、人生において最も重要なことは、勝つことではなく奮励努力することである。肝要なのは、勝利者になったということではなく健気に戦ったということである。
(3) スポーツを通じて世界は一つになる
(4) オリンピックは、単なる世界選手権大会ではない。それは平和と青春の花園である
(5) スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する
近代オリンピックはこれらのクーベルタンの考えを反映したものであり、それは今のIOCのオリンピック憲章の中にも表現されていると思う(全文を読んでいないから「思う」とした)。
オリンピックを国際的な祭典として発展させてきたIOCの努力には敬意を払うが、その中でクーベルタンの精神が見失われてしまったのではないか。
国際的な祭典を動かすためにはお金や組織が必要である。しかし、それは必要最小限であるべきだろう。
オリンピックが国威発揚のために利用されるようになり、まず上の(2)が失われ、大規模化するにつれて(4)、(5)が見失われてきたのではないか。
今回の東京オリンピックは不幸が重なり、今までとは違うオリンピックになることは間違いない。
巨大化し過ぎ、商業化し過ぎた現在のオリンピックをもう一度クーベルタンの理念に戻って見つめなおすチャンスではないか。
組織は1度作るとその組織の論理で動きだす。誰か(何か)が止めないと暴走することもある。
今回のオリンピックが止めるチャンスではないかと思う。オリンピックを止めろというのではなく、一度立ちどまって、わが身を振り返るという意味である。
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