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【オスプレイ先生が】旅客機なのに危険すぎ!!シャレにならない欠陥機5選【顔面蒼白】

2017-07-16 01:20:08 | 時事

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(担当S)


※本記事は2017/01/26に投稿した記事に、修正を加えて再投稿したものです。

 
 なんだかMV-22オスプレイが危険な飛行機としてマスコミやネットで大人気ですけども、客観的なデータに基づいてMV-22オスプレイの危険性を冷静に評価したら、大騒ぎするほどの危険な飛行機とは言い難いんですね。
 しかし過去には、MV-22オスプレイなんかが顔面蒼白になる程の、超ド級な危険な旅客機と言うものが実在していました。
 そこで今回は、危険な欠陥機として認定された旅客機5機を、担当Sの独断と偏見で選んで紹介していきたいと思います。
 
 
(1)マクドネル・ダグラス DC-10
 フィク騙を連呼するメーデー民達にとっては、もはや欠陥機の代名詞的存在になっているDC-10ですが、安全な旅客輸送を主な目的とする乗り物としてはあるまじき重大欠陥を抱えていた為に、就航当初は乗客からも嫌われた旅客機でした。
 DC-10は、飛行機の名門老舗メーカーとして世界に君臨していたダグラス社(当時)が設計・開発を行った、3発のジェットエンジンを持つ大型旅客機です。
 この頃のダグラス社(当時)は、ライバルメーカーであるボーイング社やロッキード社と熾烈な開発競争を繰り広げており、このライバル2社は丁度おなじ時期にそれぞれボーイング747(通称:ジャンボジェット)トライスターと言う大型旅客機を開発中でした。
 DC-10の開発の最中、ダグラス社(当時)は1967年に軍用機メーカのマクドネル社と合併して、マクドネル・ダグラス社になります。
 当初、ライバルとして目していたボーイング社のボーイング747はDC-10よりも1年ほど早く世に出た上に機体サイズも向こうの方が大きく、そのためマクドネル・ダグラス社は、自社で開発中のDC-10と良く似た旅客機であったロッキード社のトライスターを、直接のライバルとして見做すようになります。
 このマクドネル・ダグラス社とロッキード社のライバル争いは熾烈を極め、まだDC-10もトライスターも世に出ていない開発段階の時から、両社は将来の顧客確保の為に賄賂のばら撒きなどを行い、日本でも収賄事件として問題になったロッキード疑惑の原因を、この時に作っています。
 賄賂のばら撒きだけに留まらず、ライバルであるロッキード社との差をつけようと焦ったマクドネル・ダグラス社は、DC-10の貨物室の扉に欠陥があったのに、それを知りながら時間の掛かる設計変更や改修を実施せず、欠陥を放置したままトライスターよりも1年早い1971年にDC-10を初就航させます。
 しかし、この時に欠陥を放置した事が、後に重大な結果を招きます。
 DC-10が就航してから3年後の1974年3月3日、トルコ航空981便のDC-10がパリ近郊に墜落し、乗員乗客346名の全員が帰らぬ人となります。
 この事故の原因は、欠陥を放置した貨物室の扉にありました。
 トルコ航空981便は、パリのシャルル・ドゴール空港を離陸してから10分後に高度12,000フィート(3,600メートル)まで達し、更に上空へと上昇しようとしましたが、その時に何の前触れもなく突然、貨物室の扉が吹き飛びました。
 旅客機と言うのは空気の薄い航空でも乗客が快適に過ごせるように、飛んでいる時は常に室内を与圧しているのですが、飛行機が空気の薄い高い空を飛べば当然、室内と外の気圧の差が大きくなり、貨物室の扉には外へ吹き飛ぼうとする過大な力がかかります。
 通常の飛行機なら、貨物室の扉にこのような力かかかっても問題はないのですが、DC-10の場合は貨物室の扉に欠陥があった為にこの力に耐え切れなくなり、遂には吹き飛んでしまったのです。
 貨物室の扉が吹き飛んだ際に操縦系統を寸断してしまった事から、トルコ航空981便は操縦不能に陥り、なす術の無いまま地面に激突してしまいました。
 実はこの事故の2年前にもアメリカン航空のDC-10が同様の事故を起こしており、その事故の時は優秀なパイロットの機転の効いた操縦テクニックにより幸いにも死傷者は出なかったものの、下手をすれば墜落してもおかしくなかった重大事故でした。
 アメリカン航空のこの事故についてはNTSB(国家運輸安全委員会)が詳しい調査を実施しており、この時の事故調査官の一人だったチャック・ミラー氏により、事故原因が貨物室の扉の欠陥にある事が究明されていました。
 NTSBは調査官のチャック・ミラー氏の調査報告を受け、マクドネル・ダグラス社に対して改善勧告を行います。
 しかしマクドネル・ダグラス社は「DC-10は欠陥機だ」と言う噂が立つのを恐れ、貨物室の扉に対して何も改善策を実施せず、NTSBからの勧告を無視する事に決めました。
 こうして将来起こるかもしれない大事故を未然に防ぐチャンスがあったのにも関わらず、欠陥がそのまま放置されてしまい、そして引き起こされてしまったのが、このトルコ航空981便の墜落事故なのです。
 前述したチャック・ミラー氏が、フランスの航空事故調査委員局である建物がショボいBEAと共にトルコ航空981便墜落の事故調査に当たりますが、調査の過程でミラー氏は、彼自身が以前提出した調査(※アメリカン航空のDC-10の事故調査の事)報告に基づき、2年前にNTSBが勧告したはずのDC-10の改善要求をマクドネル・ダグラス社が無視し、その結果として346名の尊い命が失われてしまった事実を知ると、激しい怒りに駆られました。
 怒りが収まらないミラー氏は、遠回しにマスコミに対してこの事実をリークする事を決心します。
 ミラー氏は事故現場にいたジャーナリストの一人に「私なら2年前のアメリカン航空の事故(※貨物扉の破損で起きたDC-10の重大事故)を当たるね」とヒントだけを与えたのですが、このヒントが契機となってマクドネル・ダグラス社の隠蔽体質までがスッパ抜かれてしまい、乗客の安全よりも自社の利益を優先する企業として大きく報道される事となりました。
 この報道はDC-10の販売に大きな影を落とし、マクドネル・ダグラス社がDC-10の採算ラインとしていた500機に僅かに届かない446機が生産された所で、DC-10は製造を打ち切られました。
 
 
(2)マクドネル・ダグラス MD-11
 MD-11は、前述したDC-10をベースにして大幅な改良と近代化を行った大型旅客機です。
 姿形はDC-10と似ていますが中身は全くの別物で、フライ・バイ・ワイヤ操縦システムによって安全性の向上とパイロットの操縦に関する負担を軽減しています。
 またコクピット周辺も、「グラス・コクピット」と呼ばれる現在主流になっているハイテク・コクピットへと変わり、DC-10に比べると大幅な改良が進められています。
 マクドネル・ダグラス社としては、欠陥機の烙印を押されたせいで販売が振るわなかったDC-10での汚名を雪ぐべく、このMD-11では大幅なセールス拡大を狙っていましたが、結果的にDC-10の半分にも届かない200機で生産が打ち切られてしまいました。
 どうしてこう言う結果になってしまったかと言うと、ぶっちゃけMD-11の性能が悪すぎたからです。
 燃費を向上する為にMD-11は水平尾翼の面積をDC-10に比べ30%減少させたのですが、これが裏目に出てしまいました。
 この変更によりMD-11は安定性の悪い旅客機となり、乱気流に遭遇するとその安定性の悪さから機体が大きく揺さぶられ、乗務員が死亡する事故まで起こしてしまいます。
 死者が出る程の安定性の低下に目を瞑り、燃費向上の為にマクドネル・ダグラス社の技術者は水平尾翼の面積を減少させましたが、実際に燃費を計測すると思ったほど良くなっておらず、MD-11は「経済性が大したことが無いのに安定性が非常に悪い旅客機」と言うレッテルが貼られてしまいます。
 既にMD-11の開発段階からこの旅客機を発注していた航空会社も、徐々にMD-11の完成が近づき芳しく無い性能の実態が明るみに出てくると、性能不全を理由にして発注のキャンセルを相次いで行い、当初見込んでいた販売機数が大幅に減ってしまったマクドネル・ダグラス社は窮地に立たされてしまいます。
 安定性の悪さについては飛行機全体の重心の位置をズラしてみたり、フライ・バイ・ワイヤ操縦システムによって補ってみたものの、それらの処置を講じても航空会社が満足するようなレベルには達しませんでした。
 諸事情により、どうしてもMD-11をキャンセルできずに購入してしまった運の悪い航空会社は、旅客機としては使い物にならないMD-11を貨物機へ転用するか、あるいは貨物機として他の航空会社に転売したりしますが、安定性の悪さが災いし貨物機になってからも何度も重大事故を引き起こしてしまいます。
 その内の一件は2009年に日本の成田空港で発生したフェデックス80便の着陸失敗による横転事故で、乗員2名が死亡し、成田空港にとって開港以来はじめての全損死亡事故になってしまいました。
 結局、マクドネル・ダグラス社はMD-11の販売不振を挽回できずに経営が傾き、1996年にはボーイング社に吸収合併されてしまいます。
 
 
(3)コンベア880/990
 日本航空が導入した事により、日本の空を飛び回っていた事もあるコンベア880ですが、その特異な設計から、殆ど欠陥機と呼んでも差し支えないようなレベルの旅客機でした。
 ちなみにコンベア880には後継機であるコンベア990も存在しますが、世に出た時期が近い事と基本的に同じ設計を流用した飛行機なので、この記事では主にコンベア880を取り上げて話を進めていきたいと思います。
 コンベア880は「世界一速い(当時)旅客機」を謳い文句に、シャレにならない飛行機バカ大空を飛ぶことが大好きな大富豪ハワード・ヒューズ氏の強い意向によって開発され、1960年に初就航を果たしたジェット旅客機です。
 普通は戦闘機の開発にしか用いられないエリア・ルールと言う設計手法を使ってまでコンベア880は速度性能を追求しましたが、目標としていた速度については技術的な諸事情から結局達成できず、速度を優先するあまり偏った設計を取ってしまった事が仇となって、経済性や操縦性能が非常に悪い旅客機になってしまいました。
 操縦性の悪さは「じゃじゃ馬」と呼ばれて現場から嫌われる程の扱いにくさであり、それと並行して安定性も悪かったので、訓練中の墜落事故で3機を喪失、1機を大破と言う損害を出しています。
 このように経済性・安全性の両面で大きな問題があったことから販売面で振るわず、僅か67機が製造された段階でコンベア880は製造中止へと追い込まれました。
 コンベア880が初就航した僅か1年後に改良型のコンベア990が初飛行を果たしますが、改良型と言いながらコンベア880と同じ重大な欠点を幾つも引き継いでおり、こちらはコンベア880よりも更に少ない僅か37機で製造中止になりました。
 コンベア880とコンベア990は合計しても僅か104機しか製造されなかったので、事故の件数自体は少ないものの、生産機数がもっと多ければ安全性の低い旅客機だった為に、事故の件数も増えたのでは無いかと予想されます。
 
 
(4)ツポレフ144
 見た目はなんだかコンコルドにそっくりですが、実はツポレフ144と言う名前の旧ソ連が作った超音速旅客機です。
 あんまりにもコンコルドに似ていることから、登場した当初からスパイ活動によるコピー説が疑われましたが、こちらの方がコンコルドよりも早く初飛行(1968年)を果たしており、機体のサイズも一回り大きくなっています。
 このツポレフ144が登場した1960年代後半から1970年代前半にかけては、未来の旅客機は全て超音速機になると予測されており、旧ソ連もその波に乗り遅れまいと国家の威信をかけて、超音速旅客機の開発に乗り出しました。
 しかし開発には難航し、旧ソ連のエライ人が一方的に決めた期日までには、ツポレフ144はとても完成しそうにはありませんでした。
 これが旧ソ連以外の国だったら、開発が当初の予定よりも遅れてしまったとしても、開発チームや責任者には何らかの責任が問われはするものの、結局は開発スケジュールを再調整して開発を継続します。
 しかし旧ソ連の場合は政府が決めた開発スケジュールは絶対で、そのスケジュールに1日でも遅れたら文字どおり「シベリアで木の数を数える仕事」に就かされてしまいます。
 その為、旧ソ連の科学者や技術者は開発スケジュールの遅れを極度に恐れ、自分が開発に携わっている製品や武器、ロケットや飛行機が完成には程遠い状態でも、見切り発車で世に送り出す事がありました。
 それは超音速旅客機についても一緒で、当時は超音速旅客機に関しての開発のノウハウなんて誰一人知らなくて、全て手探りで一から開発しなければならなかったのに、そういう状況を理解せずに旧ソ連のエライ人が一方的に開発スケジュールを決めてしまった事から、ツポレフ144の開発チームは決められた開発スケジュールを守ろうと焦り、安全性に対する配慮がどうしても疎かになってしまいました。
 旧ソ連のエライ人も、自分達がライバル視していたコンコルドが開発に難航し、当初の予定通りに開発が進んでいなかった事をちゃんと理解していれば、もう少し現実的な開発スケジュールを組めたはずです。
 そのような過酷な状況でも、「シベリアで木の数を数える仕事」に就かされたくない科学者と技術者の必死の努力によって、なんとか開発スケジュール通りにツポレフ144は完成しますが、これに気を良くした旧ソ連のエライ人は自国の威信をライバルのコンコルドの開発チームに見せつける為に、1973年に行われたパリ航空ショーにツポレフ144を展示飛行で参加させる事を決めます。
 しかし、この展示飛行の最中にツポレフ144はまさかの空中分解事故を起こし、乗っていた乗員6名と墜落に巻き込まれた地上の7名が帰らぬ人になってしまいます。
 冷戦中に起きた事故の為、政治的な理由によって原因はハッキリしていませんが、コンコルドを出し抜く事ばかりに重点が置かれて開発を急ぎすぎたせいで、どうしても安全性に対しての配慮が後回しにされてしまい、それが重大事故に繋がったのでは無いかと思われます。
 政治的な威信ばかりが優先されて焦って開発されてしまった為に、ツポレフ144は旅客機としての信頼性が乏しく、本来の姿である超音速旅客機として運用される事が殆どないまま、1985年にひっそりと旧ソ連の空から姿を消します。
 
 
(5)デ・ハビランド・コメット
 コメットは1952年に世界初のジェット旅客機として就航した、イギリスのデ・ハビランド社によって開発された航空機です。
 出現当時はいかなる旅客機よりも速い時速725キロメートルを誇り、それまでの旅客機よりも遥かに高い高度30,000フィート(10,000メートル)の高空を飛び、将来の空の旅はジェット旅客機が担うだろうと予感させる高い性能をコメットは持っていました。
 この当時のコメットのライバルと言えば、時速500キロメートルくらいが出れば精々のプロペラ旅客機ばかりだったので、性能面では大きくライバルを引き離していました。
 一時は日本航空も導入を検討し、世界の空を制覇するかに見えたコメットでしたが、そんな独走状態は長くは続きませんでした。
 1954年1月10日午前10時51分頃、英国海外航空781便のコメットがイタリアのエルバ島上空で突如、消息を絶ちます。
 当時は現在のような発達したレーダー網なんてありませんでしたから、781便に一体何が起きたのか全く分かりませんでした。しかし、たまたま近くを飛んでいた別の旅客機と交信中に突然、消息を絶ったことから、781便の身に何か良くないことが起こったのは明らかでした。
 781便が消息を絶ったのと同じ頃。エルバ島の漁師達が空から炎を上げて何かが落ちてくるのを目撃しました。
 それは消息を絶った781便の機体でした。
 11時15分、781便の身を案じていたローマの航空管制室に、エルバ島の漁師から飛行機が墜落していくのを目撃したと言う連絡が入り、この連絡によって781便が墜落し消息を絶った事が判明しました。
 エルバ島の漁師達により、生存者の救出が行われましたが、それは全くの徒労に終わってしまいました。非常に悲劇的な事故だった為に、生存者は一人もいなかったのです。この事故により781便の乗客乗員35名、全員が犠牲になりました。
 早速、事故調査が開始されますが、当時は航空事故を調査するためのノウハウがまだ乏しく、また、事故直前までの飛行機の状態を記憶しているフライト・データーレコーダーやコックピット・ボイスレコーダーが実用化される前の事故だったので、残骸などの物的証拠から事故原因を推定するしかありませんでしたが、調査の結果、781便が空中分解を起こして墜落したことは分かったものの、何故、就航して間がない新鋭機であるコメットが、空中分解を起こしたのかまでは分かりませんでした。
 この781便が空中分解事故により、コメットは全機、運行停止の処置が取られました。すべての機体に対して精密検査が実施されましたが、この時の検査では特に異常は発見されませんでした。
 精密検査で何も異常がなかった事から、3月23日にコメットの運行停止は解かれますが、それから16日後の4月8日に再び悲劇が起こります。
 コメットがまたもやイタリア上空で同様の空中分解事故を起こし、この事故により乗員乗客21名全員が命を落とします。
 1度ならず2度までも同じような重大事故が連続して発生してしまった事から、事態を重く見たイギリス政府は事故原因が分かるまでコメットは全機、運行停止にする事を決定します。
 先の781便の事故が起きてから継続して行われていた事故調査に、チャーチル首相(当時)の命を受けた王立航空研究所が新たに加わることとなります。
 こうして事故調査はイギリスの威信をかけたものとなり、コメットの実機を使った大規模な実験により、設計では5万4,000回のフライトにも耐えうるとされていたコメットの機体寿命が、実は約3,000回のフライトで金属疲労により機体にヒビが入ると言う、新たな事実が判明します。
 しかし、この実験によってコメットの機体が想定よりも遥かに脆い事は証明されたものの、2度の連続事故が本当に金属疲労によって引き起こされたと言う直接的な証明にはなりませんでした。
 それを証明するには、どうしても確かな物的証拠が必要です。
 懸命な調査の結果、その物的証拠も遂に見つかり、8月12日にイタリア沖の海底から回収されたコメットの残骸に、金属疲労によって機体が寸断された痕跡が発見された事から、2度の墜落事故が金属疲労によって引き起こされた事が証明されたのです。
 10月19日に事故原因の最終報告書が調査委員会に提出され、この報告書に書かれた事故原因が、今でもコメットの正式な事故原因となっています。
 コメットは2度の度重なる事故の影響により商業的には失敗してしまいましたが、この連続事故によって近代的な航空事故の調査手法が確立され、今でも空の安全を支え続けている事を考えると、失われた命は戻ってこないものの、非常に意義深い事故だったと言えるでしょう。
 
 
 …と、言うわけでMV-22オスプレイよりも遥かに危険な旅客機5機でした。
 事故率なんかの客観的なデーターを見る限り、MV-22オスプレイは決して危険な航空機じゃないんですけどねぇ…
 (2)で紹介した危険な旅客機、MD-11(※現在はすべてのMD-11が貨物機として運用されている)なんかは、日本の空港に毎日飛来してるんですけど、事故が起こらない事を切に祈ります。




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 5月1日よりAppStoreから配信となりました、カラフルなサイコロが印象的なアクションパズルゲーム「ダイスポップ」。
 ゲームのジャンル的には落ちもの系ゲーム(いわゆる、落ちげー)になります。
 指一本で遊べるとても簡単な操作性ながら、ぷよぷよの様な「連鎖反応消し」等のテクニックも使えます。
 興味のある方は下記のリンクからどうぞ。


 [gooブログ]【オスプレイ先生が】旅客機なのに危険すぎ!!シャレにならない欠陥機5選【顔面蒼白】

【アホかぁぁ!⑤】世界の大失敗ビフォーアフター事例!【まぁ、なんと言う事でしょう…(涙目】 最終回(5回シリーズ)

2017-07-16 01:20:07 | 時事

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(担当S)
 

※本記事は2016/12/27に投稿した記事に、修正を加えて再投稿したものです。


 某テレ朝の人気番組「劇的ビフォーアフター」が何だかよく分からない諸事情により打ち切りになったようですが、この番組には失敗したリフォーム事案と言うのが結構あったみたいです。
 それで打ち切りになったがどうかは分かりませんが、世界には更に凄すぎるビフォーアフターの失敗事例と言うのがあるようです。
 そこで今回は世界の大失敗ビフォーアフター事例を、担当Sの独断と偏見で選んで紹介していきたいと思います。
 
 ■「犯人は誰やぁ!?責任者でてこぉ~い!」世界のぶっ飛び大失敗ビフォーアフター事例 最終回(5回シリーズ)
 
●猿になったキリスト(スペイン)
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 2012年に「キリストが猿になった!」として各メディアやネットで騒がれこのブログの見出し画像にもなっている、スペイン北東部で起きた珍事ですが、皆さんは覚えていらっしゃるでしょうか?
 この珍事はスペイン北東部のミセリコルディア教会に描かれている痛みが激しかったフレスコ画「この人を見よ(原題:Ecce Homo)」を、地元でアマチュア画家をやっているお婆ちゃん、セシリア・ヒメネスさん(当時81歳)が何の許可もなく勝手に修復作業を行い、元の絵を台無しにしてしまったと言うものです。
 このセシリア・ヒメネスさん(当時81歳)は凄まじく絵が下手であり、本人曰く「私は風景画が専門で肖像画は得意じゃないのよ」と言う事ですが、そう言うレベルの問題じゃないだろとツッコミを入れたくなる程の酷い修復画が注目を呼び、ネットでは『「この人を見よ」という絵が、一人の老婆のせいで「この猿を見よ」になったったw』と言われ話題騒然となりました。
 オリジナルの方のフレスコ画「この人を見よ」はエリアス・ガルシア・マルティネスと言う名の画家が、100年以上も前にこの地で素晴らしい余暇を過ごせたお礼として、ミセリコルディア教会の柱に僅か2時間で書き上げたものです。
 柱の上に描かれていますから、冒頭の写真を見てもわかる様に、そんなに大きな絵ではありません。
 日本では余り耳にしないエリアス・ガルシア・マルティネスと言う画家ですが、この人は当時のスペイン国内では署名な画家ではありましたが、どちらかと言うと職業画家に徹した人だったようで、そのせいか芸術作品として後世に残るような絵は殆ど描いていません。
 同時代を生きた有名な画家にクロード・モネやルノワールがいますが、そう言う天才的なタイプの画家とは、どうやら違うタイプの画家だったみたいです。
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 上の写真(※PCで閲覧している場合は右の写真)エリアス・ガルシア・マルティネスの代表作とされている「悲しみの聖母(原題:Virgen de los Doloress)」ですが、こう言ってはなんですが、何だかとても平凡な肖像画です。
 絵そのものは、かなり上手なんですけどね。
 19世紀後半から20世紀半ばまでのエリアス・ガルシア・マルティネスが生きたスペインと隣国のフランスには、クロード・モネやルノワールだけでなくピカソやダリなどの天才画家が次から次へと現れていますから、その陰に隠れてしまったと言えなくもないですが、それらの事を差し引いても天才的と言えるような才能はなかったようです。
 それでも多くの画家が絵が売れずに苦しい生活を余儀なくされているのに対して、エリアス・ガルシア・マルティネスはサラゴサ(※スペイン、アラゴン州の州都)にある学校協会の芸術教授の職を得るなど、画家としては成功した部類に入ります。
 前述したとおり「この人を見よ」のオリジナルを、エリアス・ガルシア・マルティネスは僅か2時間で書き上げていますから、職業画家としての腕前はかなりものだったようです。
 皮肉な事に、エリアス・ガルシア・マルティネスが描いた数多くの絵画の中で最も知名度が高いのが、無茶苦茶な修復作業によって世界中の話題をさらった「この人を見よ」なのです。
 もちろん有名になったのは芸術的観点から絵を評価されたわけではなくて、修復後の「この人を見よ」が余りにもオリジナルとはかけ離れた失笑を禁じえない絵になってしまった為で、それを面白がった世界中の各メディアがこぞって報道したからでした。
 このブログの見出し画像にもなっている「この人を見よ」のビフォーアフターの画像ですが、ここでもう一度、どんなビフォーアフターだったのかを確認してみましょう。
イメージ 3
 上の画像(※PCで閲覧している場合は左の写真)はオリジナルの絵を左に、修復後の絵を右に配置した「この人を見よ」の比較画像ですが、こうして見てみると、絵の構図以外は全く似ていない事に改めて気がつきます(汗)。
 ここまで似ていないと潔いと言うか、ある意味見事であり、各メディアやネットが騒ぎたくなるのも分かるような気がします。
 この残念すぎる修復に、エリアス・ガルシア・マルティネスの孫娘であるテレサ・ガルシア・マルティネスは、祖父の絵を無茶苦茶にされたとして大変ご立腹のようです。
 実はこの絵を修復する為に彼女は地元のカトリック文化財団に資金を寄付しており、もう少しでプロの画家による修復作業が行われようとしていた矢先にこんな事になってしまったのでした。
 今でも彼女は、1日も早いプロの画家による"ちゃんとした"修復作業を求めているそうです。
 しかし、アマチュア画家であるセシリア・ヒメネスさん(当時81歳)の修復画が、万人が想像もしなかったような世界一だとも言える絵の下手さっぷりだった為に、却って世界中の注目を集め人気を呼んでしまい、今ではミセリコルディア教会の貴重な観光資源になってる事から、"ちゃんとした"修復作業をするべきかどうか大変、悩ましい事態になっています。
 元々は無料で拝観できたミセリコルディア教会でしたが、この修復画が余りに有名になってしまい世界中から観光客が押し掛けた事から、今では1ユーロ(約120円)の拝観料を観光客からちゃっかり徴収しています。
 それだけでなく、この修復画の人気にあやかろうとした各企業によって、今では各種グッズ類までが販売されています。
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 ここで、どんなグッズ類が販売されているのかを、少し紹介していこうと思います。
 まず1点目が人形。上の写真(※PCで閲覧している場合は右の写真)は「この人を見よ」ならぬ「この猿を見よ」人形です。
 なんかお祭りの屋台に並んでいそうな、なんともチープな人形ですが、「この猿を見よ」の人気ぶりを窺わせる逸品となっています。
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さて、お次の写真は「この人を見よ」ならぬ「この猿を見よ」Tシャツ。
 色も赤だけでなく、白、黒、茶など各種カラーを取り揃えており、「この猿を見よ」ファンなら是非とも手に入れたい逸品となっております。
 海外のAmazonでも取り扱いがあることから、かなりの人気商品のようです。
 価格も日本円で1,500円前後と、大変お買い求めやすい価格設定がなされております。
 Tシャツの世界でも「この猿を見よ」の意匠は、大変人気の高いデザインの一つのなっております。
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  3点目の写真ですが、「この人を見よ」ならぬ「この猿を見よ」ワインです。「この猿を見よ」の意匠をそのままラベルとしてあつらえた逸品となっています。
 近年、注目を集めているスペインワインですが、その情熱的で深い味わいを「この猿を見よ」の意匠をご覧になりながら、ご賞味いただく事が出来ます。
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 最後の写真もワインになります。
 ワインのラベルには「この人を見よ」ならぬ「この猿を見よ」の意匠を現代的なポップアートに昇華したイラストが描かれており、ワインの方も現代的な味が楽しめる逸品となっております。
 他にもマグカップやバッグやぬいぐるみ、クッキーやチョコレートなどその他諸々あり、この絵の人気の高さを窺わせまます。
 しかし、こうしてお金が動く所には、必ず訴訟話が巻き起こるのは世の中の常。この「この人を見よ」ならぬ「この猿を見よ」騒動も、その例外ではありませんでした。
 セシリア・ヒメネスさん(当時81歳)が「この人を見よ」を修復した当初は、流石に本人も絵が下手すぎてマズイと思ったのか、市の文化事業を担当している市会議員(当時)のファン・マリオ・オヘダ氏(※後でもう一度、この人の名前が出てきますので、よく覚えておいて下さい)に連絡を取ったりして弱気な所を見せていたのですが、「この人を見よ」ならぬ「この猿を見よ」が世界的な人気を博すと一転して強気になり、観光客相手に拝観料を徴収し始めたミセリコルディア教会や各種グッズ類を販売している企業達に対して「私にも分け前をよこせ!」と弁護士を立てて、訴訟も辞さない構えを見せるようになりました。
 彼女(とその弁護士)がミセリコルディア教会や企業達に対して何を根拠に訴訟を起こそうとしたのかと言うと、それはズバリ著作権についてでした。
 修復後の「この人を見よ」はオリジナルの「この人を見よ」とは全く異なる絵画になってしまっているので、その著作権はセシリア・ヒメネスさん(当時82歳)当人にあると言い出したのです。
 ミセリコルディア教会は徹底抗戦の構えを見せたのですが、各種グッズ類を販売している企業達はトラブルになるのを嫌って、なんとセシリア・ヒメネスさん(当時82歳)に著作権収入の49%を支払う約束をして話に決着をつけました。
 なんだか思ったよりも穏便に事が進みましたが、この話の陰には、絵の修復に関する騒動が起こった時は市会議員だったファン・マリオ・オヘダ氏が、いつの間にか副市長にまで出世していて、副市長になったオヘダ氏により、事が穏便に済むようにとの取り計いがあったのです。
 おそらく市の方も、「この人を見よ」ならぬ「この猿を見よ」のグッズ類の販売が好調だったのを見て、一口乗るつもりでいたのでしょう。
 しかしセシリア・ヒメネスさん(当時82歳)が著作権について弁護士を立ててまで騒ぎ出したので、せっかくのビジネスチャンスを潰されてはかなわんと思った副市長が、彼女を黙らせる為に各種グッズ類を販売している地元の企業連中にこっそり手を回して、あまり強欲にならないようにと説得したのだと思います。だから著作権収入について、こんなにもあっさりと話がついたのでしょう。
 それともう一つ厄介な事に、セシリア・ヒメネスさん(当時82歳)が、どうした訳か著作権収入を先天性筋ジストロフィーの治療基金団体へ慈善目的で寄付すると言い出したものですから、なんだかとても複雑に話に発展していました。
 実は、彼女の息子はこの非常に珍しい難病である先天性筋ジストロフィーを患っていて、著作権収入をその治療基金団体に渡すと彼女が言いだしたのも、この為です。
 自分の息子の難病を盾にとってまで…と言えなくもないですが、ここで各グッズ類を販売している企業達が彼女の主張に対して何もせずに手をこまねいていると、世間の人達からは、難病の息子を持つ可哀想な母親に一銭も利益を還元せずに、企業達は彼女の描いた絵を利用してひたすら利益を貪っていると捉えられかねず、企業イメージのダウンを避ける為にも裁判沙汰になる前に、お互いが折り合いを付けれる所で和解する必要がありました。例え彼女の主張や訴えが企業達からすれば不当なものであったとしても…
 こうしてセシリア・ヒメネスさん(当時82歳)の懐には、絵を修復した当初、本人も全く予期していなかった著作権収入が転がり込むことになったのです。
 なんか、凄い斜め上の展開すぎて言葉もありません。独断で無茶苦茶な修復作業をして失笑と顰蹙を買った人物が、今度は一転して時の人になったのですから。
 しかもセシリア・ヒメネスさん(当時82歳)は、一躍して自分が世間の注目を浴びるようになったことから調子に乗るようになり、彼女が今まで描き溜めていた絵の個展を2度も開いています。
 彼女の話によると2度の個展とも「とても好評だった」と言うことですが、果たしてどこまで信じられる話なのでしょうか…
 ちなみにミセリコルディア教会と和解したと言う話は伝わってきていませんので、もしかしたら今でも係争中なのかもしれません。
 物凄い斜め上すぎる話なので、もしかしたら後世に、この話を題材にした『猿になったキリストと老婆』と言う童話が出現するんじゃないかと、そんな予感をさせるような今回のビフォーアフター案件でした。
 
 
 
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 [gooブログ]【アホかぁぁ!】世界の大失敗ビフォーアフター事例!【まぁ、なんと言う事でしょう…(涙目】 最終回(5回シリーズ)

(まとめリンク)世界に未来はあるか!?アメリカ、日本、フィリピン…世の中の出来事4編

2017-01-26 07:24:56 | 時事
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政治色ゼロの当ブログでも見過ごせない民主党の立ち振る舞い

2016-12-03 06:39:05 | 時事

(担当S)

 
■とにかく旧民主党はネタが豊富!
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 皆さんおはようございます。担当Sでございます。ここ最近はネタを選ばずに、どんなネタに対しても貪欲に関わって行こうというスタンスでブログの更新に邁進しております。
 だからと言うわけではないのですが、今回は政治っぽいネタを取り上げてみたいと思います。
 初めに断わっておきますが、当ブログのモットーとして政治色ゼロをかがげております。ですから今回、取り上げる民主党に関しても彼らの政治主張には一切触れません。
 政治色を極力薄めるため、現在は民進党と名を変えているのは承知の上で、民進党を旧名である民主党と呼ばさせて頂きます。
 ここまで気を使って政治色をゼロにしたい当ブログが民主党をネタとして何故えらんだのか?それは民主党は余りにネタが豊富で見過ごせなかったからです。
 ネタと言っても失言ばかりですけどね…
 写真は蓮舫議員のかの有名な「一番じゃないとダメなんですか?」発言当時の写真ですけど、実際は「2位じゃダメなんですか?」と発言していたみたいですね。どうやら伝言ゲームみたいに人々の間にこの発言が伝播するうちに、発言内容が変わってしまったみたいです(と言っても、意味合いは合っていますが)。
 ネット上では、もはや伝説にもなっている「一番じゃないとダメなんですか?」発言ですが、どうしてこんな発言が蓮舫議員の口から出てしまったのか、その経緯を振り返ってみたいと思います。
 2009年に総選挙で圧勝し政権を取った民主党は、同年にそれまでに無い新しい政策として事業仕分けを実施しました。事業仕分けを平たく言うと、必要の無い政策や国家プロジェクトはどんどん中止にして行って税金を節約しましょうと言う事です。
 と、ここまでは良かったのですが、どうした訳か民主党はスパコンの開発予算にまで口を出してしまいました。
 民主党としては国民の多くがスパコンの開発なんて無駄だと思っていると予想していたんでしょうね。実際、そんな事を口にする評論家もいたみたいですし。
 しかしこれが大誤算。蓮舫議員は事業仕分けの席に出席していた理研の代表者に向かって例の「一番じゃないとダメなんですか?」発言をぶちかますわけですが、これには科学分野の研究者だけでなくネット民までが大激怒。
 政治的中立を保つ為に敢えて蓮舫議員を擁護しますけども、蓮舫議員の言いたかったことは新規に開発するスパコンは性能よりも使い勝手を優先するべきであり、氏の発言内容の全文を読めばそれほど的外れな事は言っていないと擁護する意見もあります。
 ですがもう一つの誤算が民主党にはありました。それは、事業仕分けの様子をあたかもショーの様にテレビで放送してしまった事です。これが民主党の思惑とは裏腹に、見事に裏目に出てしまいました。
 先に紹介した事業仕分け当時の蓮舫議員の写真ですが、同様の写真はネットで検索をかけたら幾らでも出てきます。ネット上では蓮舫議員の発言が一人歩きしている状態です。
 そうなると蓮舫議員の発言内容がどうとかと言うよりも、あの「一番じゃないとダメなんですか?」発言にばかり注目が集まって、バッシングされる続ける羽目になります。
 担当Sは蓮舫議員が言いたかったことの真意までは分かりませんし意見する立場にもありません。しかしテレビカメラが回ってる前で、こういう発言をしてしまうのはどうなんやろうと思ったりするわけです。
 蓮舫議員は多くの人が知っている通り元クラリオン・ガールで、政治家になる前はテレビタレントとして活躍してましたから、普通の議員とは違ってテレビ慣れしていました。だからこそ「これは発言しないほうがいいのではないかしら…」と言う判断が働きそうなもんですが、残念ながらそういう判断は一切働かなかったみたいです。
 これは蓮舫議員の政治家としての資質というよりも人間としての資質が問われる問題だと思います。
 事業仕分けの様子をあたかもショーの様に演出したのは民主党です。そこには「民主党はこれだけ頑張っているんだぞ!」と国民にアピールする狙いがあったのだろうと思います。そこまではいいのですが、残念ながら民主党には腕のいい脚本家や演出家がいなかったみたいですね。
 ショーであるならば当然、腕のいい脚本家や演出家が不可欠だと思うんですけど、そう言ったものを欠いた状態で事業仕分けをショーのように演出してしまったものですから、民主党の思惑とは裏腹に多くの国民の反感を買ってしまいました。
 まぁ、これだけでもネタとして既にお腹がいっぱいなんですが、民主党にはもう一人ものすごい刺客が存在します。そう鳩山由紀夫元総理です。
 
■政治家とか元総理とか、そういう以前の問題かも…
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 鳩山由紀夫元総理に関しては当ブログで取り上げるまでもなく、色んなサイトやブログで取り上げられています(その99.99%までが否定的な内容ですが…)。
 だから当ブログでは鳩山由紀夫元総理を政治家として取り上げる事はせず「タレント鳩山由紀夫」として取り上げたいと思います。
 とにかく鳩山由紀夫氏はネタが豊富で、氏が東大出身の秀才である事を忘れてしまうほどです。
 写真はネットで拾ってきたものですが、一時はこういう形でワイドショーやバラエティ番組に顔を連ねる常連でした。
 鳩山由紀夫氏自身も強烈なキャラクターなんですけど、氏の妻である幸(みゆき)夫人は更に強烈なキャラクターでした。「UFOに乗って金星に言った」と発言したかと思えば「私は太陽をパクパクと食べている」と発言してみたり、彼女の発言は日本のメディアだけでなく海外のメディアまで驚愕させました。
 その数々の発言(迷言?)のお陰で夫婦共々、海外での注目度は非常に高いものでした(と言っても、素直に喜べませんが…)。
 その鳩山由紀夫氏がアメリカのワシントン・ポストから「ルーピー」の称号を頂くのは時間の問題でした。
 ルーピーとは直訳すると「頭が変」と言う意味で、昨今の放送コードの厳しいテレビとかでは、そのまま流せないような意味合いの言葉でした。
 この全く有難くない称号を頂いた鳩山由紀夫氏の勢いは止まりません。その後も数々の迷言でネット民に最も注目される人物となりました。
 なんか書いている内容がとても皮肉めいた感じになってますけど、担当Sはただ単に事実を書いているだけなんです。
 それなのに皮肉めいた内容になるなんて鳩山由紀夫氏おそるべし。
 鳩山由紀夫氏についているもう一つの称号が「宇宙人」。どう言う経緯でこの称号が鳩山由紀夫氏についたのかはハッキリしません。担当Sの中でも、いつの間にか「鳩山由紀夫氏=宇宙人」と言うイメージが定着していました。
 しかし、この宇宙人の称号の由来がわからなくても、鳩山由紀夫氏の行動や言動を見ていたら「そりゃ、宇宙人って呼ばれるわな…」と納得する人は大勢いると思います。
 鳩山由紀夫氏が元総理でもなんでもなければ、腹を抱えて笑えるような行動や言動が多いんですけども、そこは元総理だということで多くの日本国民や、果ては外国の高官にまで嘲笑と反感を買ってしまいました。
 何の先入観もなく鳩山由紀夫氏や民主党の行動を見ていたら、堅苦しい国会と言う政(まつりごと)に笑いの風を入れたかったのでは無いかと思ってしまいます。そう錯覚させるくらいに、当時の鳩山由紀夫氏や民主党はトボけたことを平然とやっていました。
 これは別に嫌味でも何でもなくて、担当Sの目には鳩山由紀夫氏や民主党がやっていた事はそういう風にしか映らないんですね。
 戦後の日本の政治家で、周囲にこんなにネタを振りまいたのは後にも先にも鳩山由紀夫氏ただ一人でしょう。
 そういう意味では偉大な人物だったのかもしれません。偉大と言っても、歴史に名を残すことはないでしょうが…
 
■当時の民主党のやっていた事を見ていると、吉本新喜劇も真っ青のお笑い集団だったと言えるかも…
 繰り返しになりますが、当ブログでは政治的発言はしないようにしてますし、そう言う事にクビを突っ込まないようにしています。
 担当Sは東日本大震災で民主党の手際の悪さが多くの国民の命を奪い、また怒りを買ったことも知ってますし、その事実を忘れた事は一度もありません。
 ですが意識してそう言う民主党の負の部分を一切見ないようにすると、政治家なのにお笑い芸人顔負けの面が見えてくるんですね。特に蓮舫議員や鳩山由紀夫元総理とかは。
 政治家を一つの職業だと捉えると、民主党の議員の多くは残念ながら、この職業をこなす能力が欠けていたと思います。
 それは政治的主張がどうだとか、政治的に右だ左だとか言う話以前の問題です。
 政治的主張が右とか左とか関係なく、日本の国を良くすることができれば、それでいいんではないかと担当Sは思います。
 
 
 次回は過去ネタの掘り起こしでもやろうかと思います。
 担当Sでした! 
 
 
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(時事ネタ)安倍さんはどうして偏屈な指導者に好かれるのか?

2016-12-03 06:01:34 | 時事

(担当S)

※お断り:この記事の原稿は11/18に書かれたものです。
 
■安倍さん「今度、アメリカに立ち寄るんで一緒に酒でも飲みに行きませんか?」 トランプ「ええでぇ!死ぬほど酒を飲もうやぁ!」
 
[写真]安倍首相とプーチン大統領
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 皆さんおはようございます。ブログ担当の担当Sです。
 毎回、口癖のようになってしまっていますが、当ブログは政治色ゼロの方針で運営させて頂いております。
 よって政治思想的にも右でも左でもなく、ど真ん中一本勝負で邁進してます。
 …と言ってても、それじゃぁネタが無くなってしまうんですよねぇ。
 と、いう事で今回は安倍首相を取り上げたいと思います。
 初めに断わっておきますけど、このブログではアベノミクスがどうだとか安倍さんの政治思想がどうだとか、そう言う事には一切、触れません。
 いわゆる「安倍批判」とかに関しては他のサイトやブログで、もうそれこそ、お腹いっぱいになりすぎて、下痢でも起こしそうなくらいに取り上げられていますし、そんな事をこのブログでやっても無意味です。そもそも当ブログのモットーである「政治色ゼロ」の精神にも反します。
 そう言うメディアや他所のブログが殆ど取り上げない、安倍さんの意外な一面に焦点を当てて話を進めていこうと思います。
 まず冒頭の写真の説明から始めたいと思います。冒頭の写真は2015年9月29日に国連総会出席のためニューヨークを訪れていた安倍さんが、ロシアのプーチン大統領と日露首脳会談を行った時の写真です。
 知っている人が多いかもしれませんが、この時、安倍さんは出席に遅れて、プーチン大統領を待たせてしまっています。
 ロシアのプーチン大統領については語る必要もないでしょうが、独裁的な手腕で知られる強面の指導者です。平たく言うと、とても怖い人です。
 そんな怖い人を待たせたらエライ事になるのでは!?と普通は思うのですが、プーチン大統領に怒られることもなく、安倍さん見つめるプーチン大統領の目は笑っているように見えます。
 実は安倍さんって、どうした訳かプーチン大統領のような偏屈な指導者に好かれるんですよね。
 理由は担当Sにも判りません(タイトル詐欺かよ!と言われそうですが…)。
 過激な治安政策を実施したことで知られているフィリピンのドゥテルテ大統領とも、今のところは良好な関係を築いています。
 一説では、こう言った偏屈な指導者をリードするのが非常に上手なんではないかと言われています。
 そうなると、やっぱり気になるのはアメリカの次期大統領に決まったトランプ氏の事。
 数々の過激な発言を見ていてもわかる通り、トランプ氏もかなりの偏屈な人物のようです。
 でも安倍さんだったら、そんなトランプ氏が大統領になっても上手くやれるかも…と思っていたら、既に飲みに行く約束を取り付けているそうです。これには流石の担当Sもビックリ!
 そもそも安倍さんとトランプ氏は全く面識がありません。それなのに安倍さんの方からトランプ氏に電話して「今度、アメリカに立ち寄るんで一緒に酒でも飲みに行きませんか?」と切り出したそうです。
 これには安倍さんの側近もヒヤヒヤ。そりゃヒヤヒヤしますよね。トランプ氏の過去の発言の数々を見てたら、偏屈な上になんだかおっかない人にしか見えませんから。
 しかしトランプ氏は、この安倍さんの誘いを快諾。内心、生きた心地がしなかった安倍さんの側近たちも、胸を撫で下ろしたのではないかと思います。
 こう言うのを、生まれながらの才能だと言うのかもしれません。
 
 
■自民党には安倍さん以上の刺客がいた!
 
[写真]プーチン大統領に肘鉄を食らわせる麻生首相(当時)
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  安倍さんの話だけでも、既にお腹いっぱい状態ですが、更にその上をいく究極の刺客が自民党にいるんですね。
 勘のいい人は誰の事だか分かったかと思いますが、そうです、麻生副総理の事です。
 写真はネットでも話題になった、麻生首相(当時)がプーチン大統領に肘鉄を食らわせた時の写真です。
 たびたびプーチン大統領が収まっている写真を使ってしまって、なんだか恐縮です。
 担当Sの中ではプーチン大統領はダントツのトップで「怖い人」なんです。
 エリツィン政権の時のロシアは、マフィアが政治と経済を牛耳っていましたけれど、それを強権を発動して一掃したのがプーチン大統領ですから、怖いと言うイメージを持っている人は担当S以外にもいっぱいいると思います。
 それに日露共同の石油掘削プロジェクトだった「サハリン2」の施設を、言いがかりをつけて日本から取り上げたのもプーチン大統領でした。
 そんな怖い人物であるプーチン大統領に麻生さんは肘鉄を食わらしたんですから、日本のネット民はビックリ仰天。
 当時のネット民の反応を覚えている範囲で列記すると
 「日本オワタ。こりゃロシアからミサイル飛んでくるわ」
 「これコラだよね?誰かコラだと言ってくれ ガクブル」
 「麻生さんオワタ\(^o^)/ついでに日本もオワタ」
 「いや~、生きている間に第二次日露戦争が見れるとか胸熱」
 「あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ~(省略)~もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…」
 と、まぁ、プーチン大統領やロシアからの報復を恐れるコメントが大半を占めていました。
 実際にはそんな事は起こりませんでしたけど、この章の冒頭の写真にはそれだけインパクトがあったと言うことです。
 写真を見ればわかりますけど、プーチン大統領は笑っていますよね?安倍さんとのツーショットの写真でもプーチン大統領は笑っているように見えましたけど、麻生さんと一緒に写真に収まっているプーチン大統領は明らかに笑っています。
 プーチン大統領は外国の指導者や高官に、あまり笑顔を見せないことで知られています。
 2007年にオバマ大統領がロシアを訪問した時にオバマ氏はプーチン大統領と一緒に朝食をとったのですが、その時のプーチン大統領は全く笑顔を見せませんでした。
 その時の映像がYouTubeにが上がっていましたけれど、オバマ大統領は盛んにプーチン大統領に話しかけているのにプーチン大統領はずっとガン無視。まるでお通夜の様な感じの朝食会で、オバマ大統領が可哀想に感じられたほどです。
 ですから麻生さんに対してプーチン大統領がこんな笑顔を見せるのは異例中の異例。ネットで話題になるのも分かる様な気がします。
 麻生さんにも安倍さんの様な、偏屈な指導者に好かれる何かがあるのかもしれません。 
 
 
■まとめ
 安倍さんや麻生さんが、どうして偏屈な指導者に好かれるのかは担当Sにも分かりません。
 ただ、この二人には共通点があると思うんですよね。
 二人とも昔からのお金持ちの家のお坊ちゃんで、端から見ても育ちのいい人の様に見えます。
 そういうお坊ちゃんな所が、偏屈な指導者に好かれているのではないでしょうか?
 この二人がそういう風に見られるのは、当然といえば当然の事です。安倍さんは岸元首相の孫で皇族とも繋がりがありますし、一方の麻生さんは麻生財閥のご子息で吉田茂の孫に当たります。
 育ちがいいから偏屈な指導者にも受けるんだと結論づけたい所ですが、そういう家に生まれても正確が歪んだ人もいますし放蕩息子になって身を持ち崩す人もいますから、こればっかりは、その人の資質によるとしか言いようがありません。
 とりあえず、あのトランプ氏と安倍さんは上手くやっていけそうなのでメデタシメデタシと言うことで、ブログを締めくくりたいと思います。
 
 やっと時事ネタを投入できました!
 次はどんなネタを投入しようか考え中です。
 担当Sでした!
 
 
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