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iPhoneアプリ開発者のSHIKIBUさんが、歴史・文化・オカルトその他の雑学をいろいろ呟きます

【お笑い軍事②】日本兵A『あの船「おいらん」みたいやでw』日本兵B『ホンマや「おいらん」やww』【第三図南丸】

2017-07-16 01:20:41 | 歴史

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(担当S)

前回『【お笑い軍事①】ドナルド・キーン「日本語で…」米軍将校「Σ(゚Д゚)ファッ!!(※パニック発生中)」【キスカ島作戦】』の記事はコチラから  

 戦争の話題なので本当は”お笑い”と言う単語をつけるのは慎むべきなのでしょうが、第二次大戦中に活躍した第三図南丸と言う輸送船が笑ってしまう程の強運の持ち主だったので、今回はこのタイトルで紹介する事にします。
 

1)お、おいらん船?
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 今回紹介する第三図南丸と言う輸送船には「おいらん船」と言うニックネームがついていたのですけど、このニックネームを聞いて上の画像の様な奴が大量に乗っていた船だと思われた方がいるかもしれませんが…

 もちろん違います!(キッパリ)

 第三図南丸にはいわゆる「普通の人」しか乗っていませんでした(当然ですが…)。
 しかし何故、こんなニックネームが付いたかと言うと、通常では考えられない程の強運に第三図南丸が恵まれていたからです。
 
 
 
2)第三図南丸はこんな船!
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 詳しい事については某百科事典に譲るとして(※本記事を全て読んでから某百科事典を見る事を推奨)、第三図南丸は戦前に作られた総トン数19,209トンを誇る巨大な船で、戦争が起こる前は捕鯨船として活躍していました。
 しかしアメリカとの戦争が起こる直前に、輸送船が不足している事に気がついた海軍によって徴用され、以後は南方方面へ石油や物資を輸送する任務につきます。
 

 
3)絶体絶命!米潜水艦「ティノサ」の魚雷攻撃を受ける!!
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 輸送船として海軍に徴用された第三図南丸は、アメリカの潜水艦がウヨウヨしている南方の海域に何度も赴く事になるのですが、ついに命運が尽きる時がきます(アレ?強運の船って話は何処に…)。
 昭和18年(1943年)7月24日、輸送任務中に米潜水艦「ティノサ(※姿形については上の画像を参照)」に発見され合計15本の魚雷攻撃を受けてしまいます。
 12本の魚雷が第三図南丸に命中し、もはやこれまで…と思われました。
 しかし当時のアメリカ軍の魚雷は性能が非常に悪く、命中した12本の魚雷の内なんと10本が不発!
 2本は辛うじて爆発したものの、スクリューに被害を与えただけで第三図南丸を撃沈させるには至りませんでした(こんだけ魚雷が当たってるのに沈められないなんて、米軍の潜水艦の艦長は地団駄踏んで悔しがったでしょうね!w)。
 当時の第三図南丸の船員の証言によると「船体に魚雷がぶつかるゴツンゴツンと言う音が鳴り響いて生きた心地がしませんでしたが、幸い命中した魚雷は殆ど爆発しませんでした」との事です。
 撃沈は免れたもののスクリューをやられてしまった為に自力航行ができなくなったので、やむえず海軍の船にトラック島まで引っ張ってもらったのですが、トラック島に到着した第三図南丸の哀れな姿を見て日本の兵士たちは…

 声を上げて笑いましたw

 どうしてかと言うと、不発だった魚雷が何本も第三図南丸の船体に突き刺さっており、その姿があまりにも滑稽だったからです。
 ある兵士たちは、そんな第三図南丸の姿を見て…

>日本兵A『なぁなぁ、あの船をみてみぃ』
>日本兵B『なんや、この忙しい時に!』
>日本兵A『あの船「おいらん」みたいやでw』
>日本兵B『ホンマや「おいらん」やww』

 …と言う会話をしたかどうかは定かではありませんが、魚雷が何本も突き刺さった姿があたかもかんざしを挿した「おいらん」のようだったので、以後この第三図南丸は「おいらん船」と言うニックネームで呼ばれる事になります。
 4ヶ月後の昭和18年(1943年)11月にスクリューの修理を終え輸送任務に復帰しますが、昭和19年(1944年)2月17日のトラック島空爆で不運にも爆弾が当たってしまい、強運を誇った流石の第三図南丸も遂に沈没の憂き目に遭ってしまいます。
 ダメージはそれほど深刻ではなかったようなのですが、敗色が濃厚になりつつあった当時の日本軍には沖から引き上げて修理するだけの余裕がなく、第三図南丸はそのままトラック島沖に放置されてしまいます。
 

 
4)戦後にまさかの大復活を遂げる!
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 画質が悪くて申し訳ないのですが、トラック島沖で沈没したはずの第三図南丸はどうした訳か上のカラー画像の様に、終戦後に大復活を遂げます。
 第三図南丸は爆撃を受けて沈没したものの、それほど深刻なダメージを被っていた訳ではなかったので、昭和26年(1951年)に日本水産(現:ニッスイ)の意向により引き上げ作業が行われ、修理が施され後、同年10月17日に捕鯨船として現役復帰を果たします。
 第三図南丸には姉貴分になる図南丸と第二図南丸がいたのですが、両船とも戦没していたので現役復帰した第三図南丸は名前から"第三"が外されて、単なる図南丸として余生を送る事になります。
 「もはや戦後ではない」と言われていた時代の最後に当たる昭和46年(1971年)に、第三図南丸改め図南丸は退役して天寿を全うしますが、同じ時期に戦役に就いた殆どの輸送船が戦没をしている事を考えると、戦後の長きに渡って活躍した第三図南丸(※後に図南丸と改称)は非常に幸運に恵まれた船だったと言えるでしょう。
 
 
 
   
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【お笑い軍事①】ドナルド・キーン「日本語で…」米軍将校「Σ(゚Д゚)ファッ!!(※パニック発生中)」【キスカ島作戦】

2017-07-16 01:20:36 | 歴史

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 戦争の話題なので本当は”お笑い”と言う単語をつけるのは慎むべきなのでしょうが、第二次大戦中に米軍が行った”ある”作戦が余りにマヌケすぎたので、今回はこのタイトルで紹介する事にします。
 

1)”知日家”ドナルド・キーンさんについて
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 ドナルド・キーンさんと言えば、2011年の東日本大震災の直後に日本への永住を決めた事で話題になったアメリカ出身の日本文化研究家ですが、このキーンさんが実は第二次世界大戦中に通訳として太平洋戦線に出征していた事は余り知られていません。
 キーンさんは日米の戦争が起こる前の昭和15年(1940年)にタイムズ・スクエアで偶然購入した「源氏物語(英訳)」に衝撃を受け、すっかり日本文学の虜になってしまい日本文化の研究家としての道を歩むことになります。
 日本との戦争が勃発すると米海軍の日本語学校に入学し日本語教育の訓練を受けて、通訳として太平洋戦線にも従軍しました。
 
 
 
2)1943年(昭和18年)8月15日、米軍によるキスカ島上陸作戦(コテージ作戦)が実行される 
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 キスカ島の場所については上の地図を見て把握して欲しいんですけど、千島列島の占守島(しゅむしゅとう)の更に北に位置する米アラスカ州の島で、戦時中にこの島を日本軍が占領していた時期がありました。
 当時の日本の国力はアメリカのおよそ10分の1だったと言われていますが、そんな国がこんな遠く離れた小島にまで手を広げたりしたら、そりゃ戦争にも負けるわなぁ…と、ちょっと鬱が入ってしまいます。
 アメリカは、日本に占領されたキスカ島を奪還せんと大軍を送る事を決め、その作戦を「コテージ作戦」と命名します。
 しかし、この作戦が後にとんだ結果を招くとは、その時は誰も知る由もありませんでした。
 
 
3)キスカ島に上陸してみたものの…
 この「コテージ作戦」には、あのドナルド・キーンさんも通訳として従軍していました。
 日本軍の反撃を最小限に防ぐために、上陸前には戦艦による激しい艦砲射撃を実施し、海岸から見える建物らしきモノは全て破壊して島中が穴だらけになる程の砲撃を加えました。
 米軍が日本軍の反撃に対してかなりビビっていた事が伺えます。
 十分に艦砲射撃が効果をあげたと判断されたあと上陸が実施されましたが、予想していた日本軍からの反撃はどこからもありません。
 「そんなバカな…」と疑心暗鬼になりながらも島の奥へ歩みを進めると、あれだけ激しい艦砲射撃をしたのにも関わらず原型を保っている粗末な小屋を見つけました。
 壁面に日本語でなにやら書いてあったのですが、もちろん米軍の将校や兵士にはなんて書かれてあるのか読めるはずがありません。
 そこで日本語に堪能なドナルド・キーンさんに英語に訳す様にと命令が下されるのですが、その小屋の壁面にはトンデモ無い事が書かれていました。

> ドナルド・キーン「日本語でペスト患者収容所って書かれていますね…」
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 これには米軍もビックリ仰天!

> 米軍将校「Σ(゚Д゚)ファッ!!(※パニック発生中)…ハ、早く本国からワクチンを取り寄せろ!! ソ、それからキーン…オ、お前は感染の疑いがあるから本国に送り返す!!」

 本当にこんなやりとりがあったのかは謎ですが、キーンさんはこの作戦後にアメリカ本国に送り返されており米軍がパニックに陥ってペスト(※1)のワクチンを大量に発注したと言う記録も残っているので、これと似た様なやりとりが実際にもあったものと推測されます。
※1、殆どの人は知っていると思いますが非常に致死率の高い伝染病です。中世ヨーロッパで大流行し、当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2がペストで命を落としたと言われています。
 因みにこの画像は、米軍の記録やキーンさんの話を頼りに私が作った所謂”※イメージ画像です”と言う奴ですが、そのため実際の画像ではありません(笑)。
 結局、この「コテージ作戦」では日本軍からの反撃らしい反撃は一切ありませんでした。
 それもそのはずで、実は「コテージ作戦」が始まる半月も前に日本軍はキスカ島から完全に撤退していたのでした。
 残されたのは4匹のワンちゃんだけで、このワンちゃんも餌が十分に与えられていた事から健康状態もよく、戦後アメリカで天寿を全うする事になります。
 米軍をパニックに陥れた「ペスト患者収容所」のなぐり書きも、実は日本軍の軍医が悪戯で残していったもので、「ペスト患者収容所」と言うのは真っ赤なウソでした(笑)。
 ドナルド・キーンさんがその場にいなかったら、米軍を恐怖のドン底に突き落としたパニックもひょっとしたら起きていなかったかもしれません。
 「コテージ作戦」による日本軍の損害は死傷者ゼロ、捕虜4匹(犬)でしたが、どうした訳か米軍の損害は死者122名、行方不明191名、負傷者多数、駆逐艦1隻大破(※これは日本軍が撒いた機雷に触雷したもの)と、敵との戦闘が起きたわけでも無いのに考えられない様な大損害で戦後、戦史家サミュエル・エリオット・モリソンに『アメリカ海軍作戦史』の中で「史上最大の最も実戦的な上陸演習であった」と大いに皮肉られることになります。
 この作戦で犠牲になった人は、その半数以上が実は同士討ちで命を落としています。犠牲者の中には日本軍が埋めた地雷によって命を落とした71名も含まれていますが、残りの犠牲者は同士討ちによるものとみられています。
 同士討ちが発生した理由は、上陸した兵士たちが日本軍の攻撃を恐れるあまり何か動くものがあれば「敵だ!」と思い込み銃口を向けて引き金を引いため、島中で友軍への誤射が相次いだからです。
 死者や行方不明者が大量に出ているので本当なら笑ってはいけないのですが、海外の掲示板などでも「太平洋の戦いの中でもっともアホな戦いだHAHAHA」とアメリカ人自身が自嘲気味に言及していたりするので、アメリカでもかなりマヌケな戦いであったと認識されているようです。
 

4)米軍には預言者がいた!
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 上の画像は戦時中に沢山作られたビラの一つで、文章が日本語で書かれている事から日本軍が「コテージ作戦」の失敗をバカにして作ったと勘違いしてしまいそうですが、実は「コテージ作戦」の実行前に日本軍の戦意を挫く目的で米軍が空中からキスカ島にバラ撒いたビラなのです。
 米軍史上稀にみる大失敗で終わった「コテージ作戦」の全貌を知ってると、「お気の毒様」と言う文句が妙に笑を誘います(笑)。
 「気の毒なのはどっちやねん!」と思わず突っ込まずにはおられません。
 それとももしかして、米軍には預言者でもいたんですかね?(棒)。
 このビラの図案は、ビラの作者が自分たちがこれから行おうとしている作戦が、バカげた失敗で終わることを知っていたとしか思えないような、とってもブーメランな図案ですから。
 日本軍がキスカ島から撤退する際には奇跡と呼べるほどの幸運が幾つも重なり、島を離れる時にも死んだ戦友たちの万歳三唱が聞こえたと言う不思議な話も残されているので、戦争にまつわるオカルトな話としてキスカ島撤退の話はよく引き合いに出されます。
 そういう超常現象じみた話が多い事から、米軍に預言者がいたとしてもなんら不思議ではないかもしれませんね(棒)。
 
  
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【世界初!!】ビックリ世界史!意外な"世界初"5選!【コレ豆な!!】

2017-07-16 01:20:18 | 歴史

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(担当S)




※本記事は2017/01/26に投稿した記事に、修正を加えて再投稿したものです。


 
 歴史的な出来事の中には、他の偉大な業績の陰に隠れてしまったり、時期やタイミングが悪かったせいで余り目立たない"世界初"の業績と言うものが存在します。
 例えば活字による印刷は、中世の中国が世界に先駆けて行っていたのにも関わらず、現在ではグーテンベルグの活版印刷の方が遥かに有名です。
 この様な"世界初"なのに何故か地味で目立たない歴史的業績5つを、担当Sの独断と偏見で選んで年代順に紹介して行きたいと思います。
 
 
(1)火薬を使った世界初の海戦(ビザンツ帝国)
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 火薬は7世紀頃の中国で発明されましたが、ほぼ同じ時期に中国から遠く離れたビザンツ帝国(※現在のトルコ周辺に存在した、ギリシャ・ローマ人による国家)でも独自に火薬が発明されました。
 ビザンツ帝国は古代ローマ帝国の正統な継承国家なのですが、ギリシャからの文化的影響を強く受けていた為に、このビザンツ帝国で発明された火薬は「ギリシャ火薬」と呼ばれていました。
 中国での火薬の発明が錬金術の延長線上で行われたのに対して、「ギリシャ火薬」は最初から武器として開発されました。
 史上初の火薬が用いられた海戦は、672年頃にコンスタンチノープル(※ビザンツ帝国の首都で現在のイスタンブール)を奪おうと海から攻めてきた、イスラム勢力との間で勃発しました。
 この戦いで「ギリシャ火薬」はイスラムの艦隊に対して大損害を与え、ビザンツ帝国はコンスタンチノープルを守る事に成功します。
 そんな歴史にも名を残す「ギリシャ火薬」がどんなモノだったのか気になる所ですが、残念ながら製法や詳しい成分や性質については記録が失われてしまっており、全く伝わっていません。
 ビザンツ帝国は「ギリシャ火薬」を重要な軍事機密とし、製法その他が国外に漏れないように厳重な管理体制を敷いていましたが、機密を余りにも厳重に守ろうとしすぎたせいで、時が経つと共に帝国内の人間ですら「ギリシャ火薬」の製法を忘れてしまいました。
 その為、「ギリシャ火薬」については、当時の戦争で恐るべき秘密兵器として猛威を振るった、と言う話くらいしか伝わっていません。
 直接「ギリシャ火薬」が使われる様子を目の当たりにした人々の記録によると、「それは(※ギリシャ火薬の事)水をかけても火が消えず、却って激しく燃え上がった」と言う話が残っているので、火薬と言う名前が付いていても、実は火炎放射器の一種だったのではないのかと現在では考えられています。
 
 
(2)世界初の「科学的アプローチ」による自然現象の探求(アッバース朝及びファーティマ朝)
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 科学と言うとヨーロッパで生み出されたモノだと考えられがちですが、実はそんな事はなくて、世界の各文明で独自の科学が生まれて発展してきました。
 4世紀頃から12世紀頃までは、ヨーロッパよりも中東(アラビア)の方が遥かに進んだ科学力を持っていて、しかも世界で最も優れた研究を行っていました。
 この、中東で独自の発展を遂げた科学の事を"アラビア諸科学"と呼びます。
 "アラビア諸科学"が隆盛を誇った痕跡は現代にも残っており、例えば化学の英訳である"ケミカル"や三角関数の"サイン"と言う用語も、元をただせばアラビア語が語源だったりします。
 その"アラビア諸科学"の中でも、最も偉大な業績を上げた学者と言われているのが、今回紹介するイブン・ハイサム(※上のイラストの右側の人物)と言う名の数学者です(※数学者ですが、色んな分野の研究を行っています)。
 彼は10世紀から11世紀にかけて、イスラム王朝のアッバース朝とファーティマ朝で活躍し、科学史に残る多くの業績を残しました。
 特に顕著な業績を上げたのが光の屈折や反射に関する研究で、光の性質を追求して行くうちに、実験結果から理論を打ち立てる「科学的アプローチ」を世界で初めて編み出しました。
 彼が編み出した研究手法は後世のヨーロッパの学者達にも大きな影響を与え、中世の大哲学者であったロジャー・ベーコンや、惑星が楕円を描いて太陽の周りを回っている事を発見したヨハネス・ケプラーも、イブン・ハイサムの影響を受けている人物だと言われています。
 また、物理の分野で先駆的な研究を行った人物としてもイブン・ハイサムは知られており、ニュートンが"運動の第1法則"を発見する5世紀も前に、同様の結論に彼は独自にたどり着いています。
 
 
(3)771名の命を救った世界初の「SOS信号」(イギリス)
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 実は誰が(と、言うよりどの船が)世界初の「SOS信号」を発したのかに付いては諸説あるのですが、某百科事典に載っている「スラボニア号説」はどうやら間違いのようです(※興味のある方は「CQからCQD/SOSへ」と言うキーワードでググってみて下さい)。
 色々と諸説ある中で、世界初の「SOS信号」を発した船と知られているのが、米クライドライン社所属の「アラパホ号」だとされています。1909年の8月11日の事でした。
 この時発生した「アラパホ号」の事故(※プロペラシャフトの破損)では、幸いな事に死者は一人も出ず、全員が無事に救助されています。
 俗説では、かの有名な「タイタニック号」の沈没事故(1912年4月10日)の時に発せられた「SOS信号」が世界初とされていますが、どうしてこんな説が広まってしまったのでしょうか?
 実は当時の船舶用無線は規格が統一されておらず、色んなメーカーの独自規格の無線機が乱立していました。
 その中でもイギリスのマルコーニ社が当時、世界最大のシェアを誇っており、排他的なビジネスを行うことでも知られていました。
 「タイタニック号」はイギリス船籍の豪華客船だったので、船舶用無線はマルコーニ社のモノが積まれていたのですが、このマルコーニ社の無線機を積んだ船として「SOS信号」を発したと言う意味では、「タイタニック号」が世界初だったのです。
 だから「タイタニック号」が世界初の「SOS信号」の発信者と言うのは、半分間違いで半分正解です。
 ちなみに、この「SOS信号」のお陰で、無線機のない時代だったら全員が死亡しててもおかしくない事故だったのに(※救命ボートに乗り移った生存者も、事故が起きた場所が高緯度だった為に救難が遅れれば全員凍死する恐れがあった)、乗員・乗客の3分の1に当たる771名の命が、「タイタニック号」の沈没から2時間40分後に救援に来た「カルパチア号」によって救われています。
 また、歴史に名を残す重大事故で「SOS信号」が使われたのも、「タイタニック号」の事故が世界で初めてだったと言えるのではないかと思います。
 
 
(4)世界初の「人種差別撤廃提案」(日本)
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 第一次世界大戦が終わった1918年当時、ヨーロッパ列強諸国による植民地支配を受けていない有色人種の国は、日本とタイとエチオピア位になっていました。
 その中で日本は有色人種の国としては唯一、世界の五大国の1カ国に名を連ねていたので、ヨーロッパ人による搾取や差別を受けていた人々の中には、ヨーロッパ列強諸国への発言力がある日本に対して期待する者も少なくありませんでした。
 そういった日本に期待した有名な人物としては、後にインドの初代首相になるネルーや、アメリカで黒人差別の撤廃運動を指導していた黒人運動家のデュボイス博士がいます。
 そんな中、日本政府のエライ人は誰から頼まれた訳でもないのに、1919年のパリ講和会議で「人種差別撤廃提案」をいきなり提唱します。
 ヨーロッパ列強諸国からの反発が予想された「人種差別撤廃提案」でしたが、投票の結果、意外な事にフランスとイタリアはこの提案に賛成票を投じ、その他数カ国も日本のこの提案を支持し、賛成票が反対票を上回ります。
 しかしと言うかやはりと言うか、世界中に植民地を抱えていたイギリス(※植民地を含めた当時のイギリスの領土は世界一)と英連邦に所属していたオーストラリアやカナダや、国内に黒人差別の問題を抱えていたアメリカなどは反対に回ります(※アメリカはこの時、議長国だったので投票そのものには不参加)。
 賛成票が多かったので、一瞬「人種差別撤廃提案」は受け入れられたかに見えましたが、この時に議長を務めていたアメリカのウィルソン大統領が「この様な重大な問題については、全会一致でないと受け入れられない」として、「人種差別撤廃提案」を棄案にしてしまいました。
 この「人種差別撤廃提案」が提唱され、そして棄案となった20年後の1939年には、人種戦争の様相を呈した第二次世界大戦が勃発し、世界の主要国が真剣に人種差別撤廃を検討し制度として導入したのは、世界大戦によって7,700万人もの尊い命が失われた後でした。
 
 
(5)世界で初めて"2度"宇宙に行った男(アメリカ)
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 1950年代後半から始まった米ソの宇宙競争の中で、アメリカのエライ人は宇宙に人間を送るには、どんな方法が一番よいのかを分からずにいました。
 その時に、とりあえず考えられた方法は二つで、まず一つ目が現在の"ソユーズ有人宇宙船"みたいにロケットの先端に宇宙飛行士が乗るカプセルを載せて人間を宇宙に送る方法と、もう一つは飛行機の性能をどんどん上げて行って宇宙まで飛ぶことができるロケット飛行機を作る方法でした。
 前者のロケットの先端にカプセルを載せる方法は、技術的困難が予想されたので、当時のアメリカのエライ人は後者の宇宙まで飛んでいける、ロケット飛行機を作る方法を採用しました。
 こうして作られたのが、極超音速実験機の"X-15"(※上の写真の右側に写っている飛行機)でした。
 "X-15"はロケットエンジンにより音速の6~7倍の速度が出せる非常に速い飛行機で、人が乗る事ができる飛行機としては現在でも"X-15"が世界で最速の記録を持っています。
 到達できる高度も、それまでの飛行機の10倍近い、高度100,000メートルまで上昇できる能力を有していました。
 ちなみにFAI(国際航空連盟)では高度100,000メートル以上の高空は宇宙と定めているので、"X-15"はまさしく宇宙飛行機だったと言えるでしょう。
 開発は順調に進み、1959年9月17日には初飛行を果たします。完成式典には当時のニクソン副大統領が顔を出すなど、アメリカのエライ人達の期待を一身に受けて作られた"X-15"でしたが、意外な所から飛んでもない刺客がやってきます。
 その刺客とは、旧ソ連による世界初の有人宇宙飛行の成功でした。
 1961年4月12日、ユーリー・ガガーリンを乗せた有人宇宙船"ボストーク1号"は、地球を一周した後、無事に地球へ帰還しました。
 これに慌てたアメリカのエライ人は色々と悩んだ末に、それまでのロケット飛行機(※"X-15"の事)で宇宙に行く方法を放棄して、旧ソ連のようにロケットの先端に人が乗るカプセルを載せて宇宙に行く方法(※当時"X-15"と並行して進んでいたマーキュリー計画の事)へ方針転換を図ります。
 しかしこの時、"X-15"は既に3機も作られており、多額の予算をかけて開発してしまったロケット飛行機を今更、捨てる訳にもいかず、実験は継続して行われる事になりました。
 なんとか退役の危機から逃れる事が出来た"X-15"でしたが、この突然の方針転換のせいで宇宙へ飛び出すのは遅れに遅れ、後からスタートしたマーキュリー計画(※打ち上げロケットと有人カプセルの組み合わせによる有人宇宙ロケット計画)よりも遅れを取ってしまいます。
 国家上層部の様々な思惑に翻弄され、唐突に肩身の狭い立場になってしまった"X-15"ではありましたが、1963年7月19日にテストパイロットのジョセフ・ウォーカー(※上の写真の左側に写っている人物)の操縦により、初めて宇宙空間へ飛び出します。
 この事により、ジョセフ・ウォーカーはアメリカで4番目の宇宙飛行士に認定されます。
 更に翌月の8月22日に、ジョセフ・ウォーカーは"X-15"によって再び宇宙へ到達する事に成功します。
 当時、宇宙に"2度"も行った人物はジョセフ・ウォーカーだけでした。
 そのため彼は、世界で初めて"2度"宇宙に行った男と呼ばれる事となります。
 しかし、宇宙開発におけるこの偉業は、同じ時期に行われていたジェミニ計画(※月宇宙船の開発を目的としたアポロ計画より前に実施された宇宙計画)の陰に完全に隠れてしまい、当時から現在に至るまで、そんなテストパイロットがアメリカにいた事を知る者は、かなりの少数派となっています。
 
 
 
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【平成生まれには】むっちゃ懐かしぃ"昭和グッズ"10選【ちょっと理解できない】

2017-07-16 01:20:13 | 歴史

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※本記事は2017/01/26に投稿した記事に、修正を加えて再投稿したものです。

 
 激動の時代だった昭和時代が終わってから、今年で早くも29年を迎えます。
 平成の時代になってから姿を消した、あるいは昭和の末期で姿を消した"昭和グッズ"と呼べるのものが、世の中には沢山あります。
 そこで今回は懐かしの"昭和グッズ"10選を、担当Sの独断と偏見で選んで紹介してゆきたいと思います。
 
 
●白金カイロ(ハクキンカイロ)
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 白金カイロ(ハクキンカイロ)は1923年(大正12年)に大阪の矢満登商会(現:ハクキンカイロ株式会社)によって開発されました。
 どうして白金と言う名前が付いているかと言うと、白金の触媒反応を利用して熱を発しているカイロだからです。
 ある一定以上の温度の時に、気化したベンジン(※ガソリンの一種)が金属元素である白金に触れる水と二酸化炭素へと変化するのですが、この時に白金は発熱します。
 かつてはパナソニックが類似商品を販売するほどの人気があった白金カイロ(ハクキンカイロ)でしたが、1980年代(昭和50年代)に使い捨てカイロが現れると人気が急下降し、一時は殆ど姿を見なくなりました。
 しかし白金カイロ(ハクキンカイロ)1個で使い捨てカイロの13個分の暖かさがある事から近年になって見直され、静かなリバイバルブームが起きています。
 
 
●タイガー計算器
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 1923年(大正12年)に大阪の大本鉄工所(現:株式会社タイガー)によって開発された「手回し式 計算機」がタイガー計算器です。
 現在の電卓と大きく違うのは、四則計算を行うときに、計算機の横に付いているハンドルをグルグル回す必要がある所です。
 その代り電池も電気も必要としません。
 一時は全国のどのオフィスにも、必ず一台はその姿を見かける事が出来たと言われるタイガー計算器でしたが、安価で小型の電卓が現れると太刀打ちできなくなり、1970年(昭和45年)に製造・販売を終了しています。
 電卓と異なり経年劣化する部分が殆ど無いため、大事に使われていたタイガー計算器なら、昭和初期に作られた古いモデルであったとしても、多少のメンテナンスを施せば問題なく使用できるそうです。
 
 
●安全マッチ
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 平成二桁生まれの人は、ひょっとしたら存在すら知らないかもしれないモノの一つに、安全マッチが挙げられるでしょう。
 100円ライターが普及するまでタバコやガスコンロに火を付ける役目は、もっぱら安全マッチが担っていました。
 現在では安全マッチの需要は大幅に減ってしまいましたが、販促用品としてはまだ需要があるため、今でも日本国内での生産が続いています。
 
 
●ダイヤル式の電話
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 平成生まれの人にとっては、ポケットベル以上に馴染みが薄いと言えるのが、ダイヤル式の電話でしょう。
 かの有名なヒッチコック監督の名作スリラー映画に「ダイヤルMを廻せ!」と言うのがあるのですが、ダイヤル式の電話を知らない世代の人にとっては、もはや意味が全く通じない映画タイトルの一つではないでしょうか?(※映画「ダイヤルMを廻せ!」の"ダイヤル"は、ダイヤル式の電話が由来)
 ダイヤル式の電話の欠点として、数字の"0"や"9"を発信するのに、数秒の時間が掛かると言うのがあります。
 電話が普及し始めた頃、警察や救急の緊急電話の番号を決めようと言う話になった時に、この欠点を逆に利用して、電話を掛けている人の気持ちを落ち着かせる為に、緊急電話の番号の中に敢えて"0"や"9"の数字を入れました。
 110や119に数字の"0"や"9"が入っているのは、そういう理由からです。
 アメリカの救急電話の番号である911に、数字の"9"が入っているのも、やはり同様の理由からです。
 
 
●レコード
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 今ではDJ専用器具のように思われているレコードですが、ひと昔前は一般家庭にも広く普及した音響機器の一つでした。
 某TBSの「レコード大賞」の名前の由来も、もちろん音響機器のレコードから来ています。
 音質的にはCDやiPodなどのデジタル音楽プレイヤーに決して負けてはいなかったのですが、サファイ製の針などで物理的に音楽を読み取る方式だった為に、何度も同じレコードで音楽を聴いているとレコード自体が傷ついて劣化し、それと共に音質も一緒に低下すると言う欠点がありました。
 1980年代後半に現れたレーザー方式のレコードプレイヤーでは、レコード最大の欠点だった何度も再生すると音質が低下する問題も解決されましたが、もうその頃にはCDの普及が始まっていたので、レーザー方式のレコードプレイヤーは殆ど普及せずに姿を消しました。
 
 
●ダルマストーブ
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 今では観光客を呼び込む為に、敢えてダルマストーブを積んだ観光鉄道を走らせたりするほど珍しい存在になっていますが、かつては非常に一般的な暖房器具の一つでした。
 ダルマストーブの燃料は石炭なのですが、資源小国の日本でも石炭は割と沢山とれた為に「黒いダイヤ」と持て囃され、暖房の燃料としても広く使われていました。
 しかし1955年(昭和30年)に経済性に優れた「加圧式石油ストーブ」が登場すると、燃料補給に手間がかかるうえに黒煙をモクモクと上げるダルマストーブは、急速に姿を消しました。
 現役を引退した感のあるダルマストーブですが、愛嬌がある姿形から愛好家が存在しており、今でも僅かながら販売が続いています。
 
 
●ポラロイドカメラ
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 デジカメが普及する前は、カメラで写真を撮ったら「現像」と言って、画像が写っている「フィルム」を写真屋さんに出して、写真としてプリントしてもらう必要がありました。
 しかも、写真の「現像」には数日もかかる事がありました。
 写真を撮って、すぐに写り具合を確認するなんて事は、昭和の時代には考えられない事だったのです。
 しかしポラロイドカメラは、この「現像」をカメラの内部で行える特殊な「フィルム」を採用しており、現在のデジカメの様に、写真を撮ったら、すぐに写り具合を確認なんて事も可能でした。
 その優れた特性から、一般人から官庁絡みの仕事にまで広く使われていたポラロイドカメラでしたが、デジカメが普及するとアッと言う間に姿を消し、ポラロイドカメラの製造・販売メーカーであった米ポライド社も倒産に追い込まれてしまいました。 
 
 
●8ミリカメラ
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 今ではスマホで簡単に動画が撮れる時代ですが、かつては動画を撮るのはそんなに簡単な事ではありませんでした。
 そんな時代に唯一と言ってもいい動画を撮る手段だったのが、8ミリカメラでした。
 8ミリカメラは「8ミリフィルム」と言う規格のフィルムに動画を撮る、一種の「フィルム」カメラで、最長で約3分の動画を撮ることが可能でした。
 音声を録音する機能はなく、8ミリカメラの末期には磁気録音で音声が記録できる機種も現れましたが、この頃には既に一般向けのビデオカメラが出現していたので、広く普及する事なく姿を消しました。
 ちなみに、テレビのドキュメンタリー番組などでよく流されているケネディ大統領暗殺事件の映像は、この8ミリカメラによって当時のアメリカ市民が撮ったものが多く使われています。
 
 
●真空管ラジオ
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 今ではスマホのオマケ機能でラジオが付いてますが、かつてのラジオは非常に大掛かりな構造をした装置でした。
 写真のラジオは戦前のドイツで作られたラジオですが、ラジオ本体についている電球みたいな部品が真空管です。
 当時は電子的な動作をする機械には例外なく真空管が使われていましたが、真空管は電子部品としてはかなり大きい上に電力を大量に消費し、真空管自体が暖まらないと正常に動作しないと言う欠点を抱えていました。
 また電球の様に、ある日突然、球切れを起こす言う欠点も持っていました。
 なので昔のラジオは、必ず真空管が交換できる様な構造になっていました。
 ソニーが真空管を使わない「トランジスタ」方式のポケットラジオを世界的にヒットさせると、人々は真空管の球切れを心配する必要がなくなり、それまで主流だった真空管ラジオは急速に姿を消しました。
 
 
●自転車用補助エンジン
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 写真は海外のものですが、かつてこの日本でも同じようなモノが販売されていました。
 今では世界一のバイクメーカーになっているホンダも、この自転車用補助エンジンの製造・販売が企業としての発展の原点になっています。
 自転車用補助エンジンは、自動車もバイクの高嶺の花だった終戦後すぐから1950年代(昭和30年代)までの時代には、庶民から大変喜ばれ、かなりのヒット商品になったのですが、1960年代(昭和40年代)になると自動車もバイクも高性能化・低価格化が進んだ行ったため、姿を消しました。
 また、道交法がどんどん自転車用補助エンジンには不利な方向に改正されて行き、製造メーカーが次々と撤退したのも、姿を消した一因でした。
 ちなみに、どう見てもバイクにしか見えない原付を"原動機付自転車"と呼ぶのは、かつて自転車用補助エンジン(※エンジンの日本語訳は「原動機」)を付けて走っていた多くの自転車が、日本中の至る所を闊歩していた頃にそう呼ばれていた名残です。
 
 
 
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 5月1日よりAppStoreから配信となりました、カラフルなサイコロが印象的なアクションパズルゲーム「ダイスポップ」。
 ゲームのジャンル的には落ちもの系ゲーム(いわゆる、落ちげー)になります。
 指一本で遊べるとても簡単な操作性ながら、ぷよぷよの様な「連鎖反応消し」等のテクニックも使えます。
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 [gooブログ]【平成生まれには】むっちゃ懐かしぃ"昭和グッズ"10選【ちょっと理解できない】

【ユ、ユ~フォ~や!!】UFOと本当に遭遇してたのかもしれない事件5選【単なる見間違い!?】

2017-07-16 01:20:11 | 歴史

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(担当S)


※本記事は2017/01/26に投稿した記事に、修正を加えて再投稿したものです。

 
 世界中で数え切れないほどのUFOや宇宙人との遭遇事件が報告されていますが、その大半が見間違いや勘違い、薬物やアルコールなどの影響による幻覚、あるいは売名行為を目的としたデッチ上げだと言われています。
 そういう眉に唾をつけて聞かなければならないUFO・宇宙人の遭遇報告の中で、調査したけれど最後まで正体が分からなかったという遭遇事件が存在します。
 そこで今回はホントだったかもしれないUFO・宇宙人遭遇事件5件を、担当Sの独断と偏見で選んで紹介してゆきたいと思います。
 
 
(1)フラットウッズ事件(アメリカ)
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 1952年9月12日、ウェストバージニア州の人口300人の小さな田舎町、フラットウッズで事件は起こりました。
 美容師のキャサリーン・メイと彼女の13歳と12歳の2人の息子、それと息子の友人である少年4人の計7人(※その他、一匹のワンコ)が、エイリアン・クラフト(UFO)らしき乗り物と地上に降りた宇宙人を目撃しています。
 この7人の目撃者の中の3人、エドワード・メイとフラッド・メイのメイ兄弟と友人のトミー・ハイヤーが、午後7時15分頃に夜空を横切る明るい物体を発見したのが事件の発端でした。
 物体が近所の丘に近づいて、赤い光を放ち浮遊しているように見えたことから、好奇心に駆られた7人の目撃者は丘まで見に行きました。
 丘に到着すると7人の眼の前に、宇宙人と思われる非常にショッキングな姿をした"怪物"が姿を現します。
 その"怪物"は背丈が3メートルくらいで、酷い悪臭を周囲に放ち、真っ赤な顔の中央には丸くて大きい光る目があり、まるで地面を滑るように移動していました。
 7人の目撃者の内の一人、米国国家警備隊(州軍)に所属していた17歳のユージン・レモンは、あまりに酷い悪臭によって気を失ってしまいます。
 怖くなった残りの6人は、気を失っているユージン・レモンを引きずって一目散に逃げ出しました。
 上の写真の修道女のような服装を身にまとっている"怪物"は、後日、7人の目撃談を元に作られた模型です。
 地元の保安官や州警察、更にはアメリカ空軍までが事件を調査しましたが、7人が目撃したとされるエイリアン・クラフト(UFO)や宇宙人と思われる"怪物"については、何一つハッキリした事は分かりませんでした。
 分かっているのは、7人の目撃談は虚言や狂言の可能性が低く、この世のモノとは思えない何者かと遭遇したと7人が信じていると言う事だけです。
 物的証拠が乏しい上に目撃談しか証拠が無かった為に、この事件の真相については未だに謎のままです。
 
 ♦ブログ編集者(担当S)の夢を壊す個人的見解♦
 7人が何を見たのかは謎ですが、目撃した時刻が日没後だったという事もあり、エイリアン・クラフト(UFO)については流星の見間違い、"怪物"については大型のフクロウを見間違えたのではないかと言われています。
 仮に、本当に宇宙人との遭遇事件だったとしても、人口が300人しかいない集落に、遥々遠い宇宙から宇宙人が何しにやって来たのか、そっちの方が遥かに謎です。
 個人的に、この事件の宇宙人の姿はインパクトがかなり強烈なので、お気に入りの宇宙人写真の一枚だったりします。
 なんか、悪夢とかに出てきそう…
 本文中では、第三者が読んでも分かり易いように「エイリアン・クラフト(UFO)」と表現してますが、もともとUFOは未確認飛行物体の英語訳(Unidentified Flying Object)の略称であって、UFOだからエイリアン・クラフト(※宇宙人の乗り物の意)だと言う事にはなりません。
 
 
(2)ケネス・アーノルド事件(アメリカ)
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 UFOの事を「空飛ぶ円盤」と呼ぶことがありますが、この呼び方を広めたのが、これから紹介するケネス・アーノルド事件なのです。
 1947年6月25日、消防器具の会社を営むケネス・アーノルド氏(※上の写真の右側の人物)が、小型の自家用機でワシントン州のレイニア山上空、高度2,900メートルを飛んでいたところ、時速2,700キロメートル以上の高速で編隊飛行をする8メートル程の大きさの三日月型の飛行物体を発見。
 当時は世界最速の実験機(※アメリカのXS-1の事)でも、時速1,000キロメートルが以上の速度が出せれば御の字で、それを遥かに上回る時速2,700キロメートルも出せるような飛行機は、世界中どこにもありませんでした。
 最初、三日月型の飛行物体を発見した時にケネス・アーノルド氏は「軍のジェット機」だと思いましたが、速度が非常に速いことに付け加え、その物体は全くの無音で飛行しており、更にジグザグ飛行や急上昇・急下降を繰り返したりするなど、アクロバット用の飛行機でも真似の出来ない飛び方をしていた事から、「軍のジェット機」だと言う考えは何処かに吹き飛びました。
 このケネス・アーノルド氏の目撃談を地元のマスコミが大々的に報じたところ、全米で大きな反響を呼び、以後、アメリカでのUFO目撃談は急増します。
 記者会見でケネス・アーノルド氏は自分が目撃した物体を「コーヒー皿が水面上を跳ねるような飛び方をしていた」と形容しましたが、これが誤って「コーヒー皿のような飛行物体だった」と報じられてしまった事が「空飛ぶ円盤」の語源になっています。
 
 ♦ブログ編集者(担当S)の夢を壊す個人的見解♦
 無音で信じられないくらい速い飛行速度、ジグザク飛行や急上昇・急下降などの常軌を逸した飛び方など、現在のステレオタイプのUFO像を歴史上、最初に示したのがケネス・アーノルド事件でした。
 しかし、時速2,700キロメートルと言う速度は、ケネス・アーノルド氏が目測で割り出した速度の為、本当にそんな速度で飛んでいたのかについては疑問視されています。
 更にケネス・アーノルド氏は、自身が乗った自家用機から謎の飛行物体まで40キロメートルは離れていて、物体の特徴もよく分かった発言していますが、そんなに離れた所を飛ぶ物体の特徴まで見極めるのは、視力がかなりいい人でも困難を極めます。
 その為、大型の野鳥の群れ(※例えばペリカンなど)を、見間違えたのでは無いかと言う説もあります。 
 そもそも、そんなに離れた所を飛んでいたら(当時のジェット機の騒音がかなり酷かったと言う事実があったとしても)エンジン音を聞き取る事は困難であり、また、ケネス・アーノルド氏の自家用機は、音が煩いプロペラ機だったので機外の音を聞き取るのは容易ではなく、謎の飛行物体が無音で飛んでいたと言う話には疑問符がつきます。
 
 
(3)ブリティッシュ・エアウェイズ5061便、UFOニアミス事件(イギリス)
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 1995年1月6日午後6時48分頃、マンチェスター国際空港に向かっていたブリティッシュ・エアウェイズ5061便(※飛行機の機種はB737。以下、5061便と表記)は、ペナイン山脈の上空1万4,000メートルを飛行していたところ、前方から高速で接近してくる光り輝く飛行物体を副操縦士が発見しました。
 飛行物体はそのまま5061便まで異常接近し、かすめるようにして飛び去って行きました。
 通常、旅客機には空中衝突防止装置(TCAS)がついており、何らかの飛行物体が異常接近してきたら警報が鳴って、パイロットに危険を知らせるのですが、この事件では空中衝突防止装置(TCAS)が全く反応しませんでした。
 一歩間違えれば空中衝突による墜落事故の危険性があったため、事態を重く見た5061便のパイロットはマンチェスター国際空港の管制センターに、付近を飛んでいる航空機はないかと問い合わせをしますが、返ってきた答えは「ノー」でした。
 更に5061便が目撃した飛行物体は、マンチェスター国際空港のレーダーには写っておらず、正体不明の未確認飛行物体とのニアミス事件として認識される事となります。
 事態を重く見たイギリス国防省は調査を開始しますが、未確認飛行物体の正体を掴む事が出来ず、調査報告書の末尾には「飛行物体の詳細は不明。宇宙から飛来した物体だと言う説もあるが、これは調査委員会の預かり知るところでは無い。その道の専門家に判断を委ねる」と書かれ締めくくられています。
 この事から、5061便が見た飛行物体は、宇宙人が操縦するエイリアン・クラフト(UFO)だったのでは無いか、と言う説が現在でも根強く囁かれています。
 
 ♦ブログ編集者(担当S)の夢を壊す個人的見解♦
 「レーダーに写らない未確認飛行物体」と言う典型的なUFO事件の一例ですが、実は現在の航空管制用のレーダーは全ての航空機の機影を写し出すわけではありません。
 昔のレーダーは、空を飛ぶものなら何でもレーダー・スクリーン上に表示させていたのですが、それだと鳥の大群なんかもレーダー・スクリーン上に表示されてしまい旅客機と見分けがつかず紛らわしいため、現在のレーダーではトランスポンダーと言う装置を積んだ飛行機しかレーダー・スクリーン上に写し出しません。
 その為、トランスポンダーが故障したりすると、例え飛行機が空港のすぐ近くを飛んでいたとしても、その飛行機の姿は管制センターのレーダー・スクリーン上には全く表示されず存在を認識してもらえません。
 なので「レーダーに写らない飛行物体 = エイリアン・クラフト(UFO)」と言う話には無理があります。
 上のスケッチは5061便が見たとされる未確認飛行物体ですが、なんとなくリフディングボディの航空機に見えないこともありません。
 レーダーに写らないのならステルス機の可能性もあります。
 世界初のステルス戦闘機F-117と上のスケッチは、少し雰囲気が似ています。
 5061便は夜間にしかも高速で未確認飛行物体とすれ違った為に、上のスケッチがどこまで正確なのかは疑問の余地があります。
 イギリス軍が開発していた秘密兵器や、極秘の作戦行動中だったステルス機を、5061便が偶然目撃した可能性がありますが、もしそうだったら、それは軍事機密に触れるので真相が明らかになる事はないでしょう。
 
 
(4)第二次世界大戦中のフー・ファイター目撃事件(世界各地)
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 第二次世界大戦中、各国の多くの軍用機パイロットが高空で謎の光る物体、あるいは謎の金属質の物体を目撃しています。
 アメリカ軍やイギリス軍の間では、それらの謎の物体をいつの間にかフー・ファイターと呼ぶようになっていました。
 軍用機パイロットが目撃した謎の物体は、当時の常識を超えた速度と挙動を示し、目撃報告を受けた軍部や目撃者であるパイロット達は、戦争が終わるまで敵国の秘密兵器に違いないと思っていたそうです。
 しかし戦争が終わると、敵国はそんな秘密兵器を持っていなかった事が明らかになり、しかも敵の軍用機パイロットも同様の謎の物体を目撃していた事が判明します。
 この事から、フー・ファイターはエイリアン・クラフト(UFO)だったのではないかと、現在では考えられています。
 
 ♦ブログ編集者(担当S)の夢を壊す個人的見解♦
 個人的にはプラズマが大好きな某教授の「UFO = プラズマ説」で説明が付くような気がしますが、戦時中と比べると高空を飛んでいる飛行機の数が遥かに増えている20世紀後半から現在に至るまで、同様の物体の報告例が殆ど無い事から、「UFO = プラズマ説」だけで全てを説明するのは無理があるのではないかと思います。
 そこで考えられるのが、「酸素欠乏による幻覚説」です。
 第二次世界大戦が始まった当初、軍用機同士の空中戦は高度3,000~6,000メートル付近で行われていました。しかし、各国の軍用機はカタログスペック上、高度10,000メートルまで上昇できる能力があった為に、敵よりも優位なポジションから攻撃を仕掛けようと、どんどん空中戦を行う高度が上がって行き、大戦中期からは高度10,000メートルの高空で、空の戦いが行われるようになりました。
 高空では空気が薄くなるので、酸素マスクを着用しないと死の危険性もあるのですが、当時の酸素マスクは性能が不十分で、軍用機の性能ギリギリの高度を飛ぶと酸素が欠乏してしまって、パイロットの判断力が著しく低下しました。
 零戦のパイロットの手記にも「地上では簡単に解けた単純な暗算が、高空では全く解けなくなる」と言う話が残されている事から、当時の拙い技術で空気の薄い高空で空中戦を行うのは、かなりの苦労が伴った事が忍ばれます。
 そういう酸素欠乏の状態に付け加え、生死がかかった極限状態で高い空を飛んでいたので、各国の軍用機のパイロット達が、有りもしない"光る謎の飛行物体"の幻覚を見ていたとしても不思議ではありません。
 戦争終結後、酸素マスクの性能が向上し与圧キャビンなどが登場しましたが、これらの新技術・新装置によってかつてパイロット達を苦しめた酸素の欠乏が解消されると、同様の物体の報告例が殆ど無くなってしまっている事から、この「酸素欠乏による幻覚説」は十分に可能性があると思います。
 
 
(5)19世紀のアメリカ各地で目撃された、謎の飛行船
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 19世紀後半か20世紀初頭にかけてアメリカ各地で、"謎の飛行船"としか形容のできない飛行物体が目撃されています。
 当時の目撃者の話によると"謎の飛行船"は信じられられない速度で空を飛び、その速度は後に現れた複葉機ツェッペリン飛行船を遥かに凌駕していたと言う事です。
 またジグザク飛行や鋭角ターンなど、現在の航空機でも困難な飛行を"謎の飛行船"は容易くやりのけたそうです。
 出現した"謎の飛行船"の中には強烈なサーチライトで空や大地を照らすモノもあり、中には"謎の飛行船"からアジア人(※日本人ぽかったと言う記述もあり)が降りて来たと言う話まで残っています。
 この"謎の飛行船"の正体は一体何だったのか?
 今でも、その謎は解かれていません。
 
 ♦ブログ編集者(担当S)の夢を壊す個人的見解♦
 この"謎の飛行船"の話は他のサイトやブログでも紹介されていますが、必ず「当時は如何なる国も、飛行船の製造を行っていなかった」と言う話が一緒に付いてきます。しかし、この認識がそもそも間違っています。
 既に1852年には、フランスの技術者、アンリ・ジェファールが、原始的な飛行船の初飛行に成功しています。
 その後、世界各国で飛行船の開発が活発になっている事から、アメリカ各地で目撃された"謎の飛行船"も、そうした飛行船の一つであった可能性は否定できません。
 また目撃された時間は何故か夜間に多く、強烈なサーチライトについての話も、これである程度は説明できます。
 サーチライトそのものは既に19世紀後半には存在していましたが、気球や原始的な飛行船に積める程の小さなものはありませでした。しかし、サーチライト程は明るくないもののサーチライトの様に平行光を放つ小規模な照明器具だったら積むことは可能だったでしょう。
 仮にそう言った小規模な照明器具を積んだ気球や原始的な飛行船が、夜間に空を飛んでいて周囲を照明器具で照らしていたとしたら、当時は街灯とかは現在ほど整備されておらず夜は今よりも遥かに暗かったので、光の当たり方によっては強烈なサーチライトの様に見えた可能性があります。
 異常に速い速度や常軌を逸した飛び方も、夜間に目撃されている為に、単なる見間違いだった可能性があります。
 ただし、この「"謎の飛行船" = 当時の発明品説」には最大の弱点があります。
 それは、当時のアメリカでそのような飛行船が発明された記録も無ければ、そのような飛行船を作ろうとしていた発明家がいたと言う記録も残っていない事です。
 アメリカ軍の秘密兵器だった可能性もありますが、事件の発生から1世紀以上も経っていて、当時の極秘書類の殆ど全てが公開されているのにもかかわらず、"謎の飛行船"を作っていたと言う記録が何処にも無い事から、軍の秘密兵器だった可能性は、ほぼ有り得ないでしょう(1世紀以上も秘密にするような理由も見当たりませんし…)。
 だからと言って、"謎の飛行船"をエイリアン・クラフト(UFO)だとしてしまう説はどうかと思います。エイリアン・クラフト(UFO)説には「"謎の飛行船" = 当時の発明品説」以上に根拠と証拠がありません。
 なお、"謎の飛行船"からアジア人らしき人間が降りてきた話については、物的証拠が何もないので作り話だった可能性が非常に高いのではないかと思います。
 
 
 他にも"レンドルシャムの森事件"や"甲府事件"などの未解決UFO事件が存在しますが、それらの事件については、また別の機会に!!
 
 
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 [gooブログ]【ユ、ユ~フォ~や!!】UFOと本当に遭遇してたのかもしれない事件5選【単なる見間違い!?】