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(担当S)
偉人と言うと何だかトンデモなく完璧な人物だと思われたり、周囲の人が過剰に祭り上げたりするものですから尚更、完璧な人物としてのイメージが膨らんでしまう傾向にあります。
しかし偉人も人の子、偉くなる前は普通の人のように失敗もすれば間違った判断で行動したりもしますし、偉くなった後でもベソをかいたりドジを踏んだりする事もあります。
そこで今回は、偉人の知られざる意外にお茶目でトホホな面に焦点を当てながら、担当Sの独断と偏見で5人の偉人を紹介していきたいと思います。
■「うわぁっ!バレてもた!…もうアカン…(意訳)」サンタのモデルになった人物は、かなりドジな聖人だった
当時、業績不振に頭を抱えていた某コ●・コーラ社は、自社のイメージを向上すべくクリスマスに合わせて赤い服のサンタのキャンペーンを行ったところ、これが世界的な人気を呼びました。
このキャンペーンがどこまで業績回復に役立ったのかは不明ですが、赤い服のサンタのキャラクターはこの時に大ヒットして現在に至ります。
と言っても、サンタが赤い服を着ているのは某コ●・コーラ社の発案では無くて、サンタのルーツになっているシンタクラース(※14世紀のオランダで産み出されたキャラクター)が赤い服を着ていた為ですが、このシンタクラースは痩せた老人として描かれる事が多く、またシンタクラースが乗るソリもトナカイでなくロバが引いていました。
場合によってはソリには乗らず、自ら白馬に乗る老人として描かれる事もあったようです。
では誰が、現在の我々がイメージするサンタ像を作ったのでしょうか?
その我々がイメージするサンタ像を初めて描いたのは、19世紀のアメリカに生きたトーマス・ナストと言う人気画家で、1881年に「聖ニクラウスの訪い」と言う詩(※1823年にアメリカで作詩された)に描かれていた「トナカイのソリに乗った、恰幅のいい陽気な老人」のサンタの姿をそのままイラストにした所、これが人気を呼び、以後、サンタ像として定着したのでした。
ちなみに、このイラストはナストが描いたイラストに後から着色したものらしく、オリジナルのイラストはちょっと雰囲気が怖かったりします。
と、ここまではキャラクターとしてのサンタを解説していきましたが、多くの人が知っている通り、サンタは実在した人物がモデルになっています。
そのモデルになったとされる実在した人物の名は"ミラのニコラウス"、又の名を聖ニコラウスと言います。
日本では聖ニコラウスの方が通りがいいでしょう。
ニコラウスは3世紀後半から4世紀半ばまでのローマ帝国に生きた聖職者で、資産家だった父親の莫大な遺産を相続していながら金品には興味がなく、ひたすら弱者の救済に情熱を傾けた人物でした。
弱者の救済と言う話を聞くと物静かな人物だと想像してしまいますが、ニコラウスはかなり激しい気性の持ち主だったらしく、第1回ニカイア公会議では激しい口論の末、頭に血が上ったニコラウスは、口論の相手を
ブン殴った
と言う話が伝わっています。
そんな気の短い所もあったニコラウスでしたが、性格的に曲がった事がとにかく大嫌いだったようで、冤罪などで苦しむ人を見ると放っておけずに救済の手を差し伸べ、その為、彼は生前から民衆の高い人気を得ていたようです。
そのニコラウスが、どうしてサンタのモデルになったのかと言うと、それはあるエピソードが元になっています。
彼がまだ若かった頃、近くに父親と娘が住む貧しい家がありました。
娘は結婚が決まっていたものの、貧しかったために持参金が用意できずとても困っていました。
当時のローマ帝国の住民の価値観では、結婚には持参金が必須とされており、娘は体を売ってでも持参金を用意しようかと思い悩みます。
その事を知り不憫に思ったニコラウスは手を差し伸べようとしますが、キリスト教の戒律がそれを邪魔します。
当時のキリスト教は名声や見返りを求める善業を固く禁じており、不憫な親娘に直接手を差し伸べるのは、この戒律に触れてしまう恐れがあったのです。
困ったニコラスでしたが、戒律を回避できる妙案を思いつくと、それを実行に移します。
彼は夜中にコッソリ不憫な親娘の住む家に訪れると、匿名で金貨の入った袋を家の窓から投げ入れたのです。
朝、金貨の入った袋に気がついた親娘は天からの助けだと神に深く感謝して、娘は無事に結婚する事が出来ました。
メデタシ、メデタシ…
って、ちょっと待ってください。
日本でも結構有名なニコラウスの善業についてのエピソードですが、この話、何かおかしくないですか?
匿名で行ったはずのニコラウスの善業が、どうしてニコラスがやった事だと現在に語り継がれているのでしょうか?
実はこの話には、まだ続きがあります。
不憫な親娘の家の窓から、金貨の入った袋を投げ入れたニコラウスでしたが、その帰り道に「結婚の持参金だと言うの、私が袋に入れた金貨の枚数は少なすぎやしないか?」と心配になりだします。
それで次の日の晩にもう一度、親娘の家へ忍び寄ると、昨晩と同じように窓から金貨の入った袋を投げ入れます。
「よし、これで金貨の枚数は足りてるだろう」と満足して帰りの途についたニコラウスでしたが、その家には娘が三人いて、しかも三人とも結婚適齢期だった事を思い出します。
「私とした事が!金貨の入った袋が二つだけでは、取り合いになってしまい喧嘩になってしまうではないか!」と思い、自分の行いを深く後悔します。
そしてまた次の日の晩、金貨の入った袋を握りしめたニコラウスは、親娘の家へと忍び寄ります。
しかしこの日は、昨日までとは勝手が違っていました。
最初は神の奇蹟だと喜んでいた親娘でしたが、流石に二晩も連続で金貨の入った袋~それもかなりの大金~が匿名で自分達の家に投げ込まれると怖くなってしまい、犯人が誰であるのかを知ろうと待ち伏せていたのです。
昨日と同じようにニコラウスは、金貨の入った袋を窓から投げ入れようとしますが、待ち伏せしていた親娘と目が合ってしまいました。
驚いた両者が「あっ!」っと叫んだかどうか判りませんが、キリスト教の戒律を非常に気にしていたニコラウスは恐らく「うわぁっ!バレてもた!…もうアカン…(意訳)」と心の中で呟いたのでは無いかと思われます。
この話が伝承として後世へ伝わって行くうちに、"窓から"の部分が"煙突へ”と変わり、金貨の入った袋についても、煙突から金貨を投げ入れたら偶然、干してあった靴下に金貨が入ったのだと内容が変化して、現在に至ります。
今でもクリスマス・プレゼントを靴下やブーツに入れる習慣があるのは、この伝承が元になっています。
それにサンタクロースに、何となく"抜けた"イメージがあるのは、やはりこの伝承が元になっているようです。
もしニコラウスが殆ど何の間違いもしない完璧主義者の人間だったら、この伝承もあり得ずサンタのモデルになった人物が後世に語り継がれることもなかったので、クリスマスに子供達にプレゼントを渡す習慣がそのものが無かったかもしれません。
そう考えると、子供達にとっては、ニコラウスがかなり"ドジ"な聖人であったのは、非常にラッキーな事だったと言えるでしょう。
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