ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

ルネ記念日2024

2024年06月30日 | ルネの活動記録

今日は、ルネがグランプリを

   受賞した日だから『ルネ記念日

 

 そして何と! ルネの日本デビュー50周年を迎えしました!

 今年はルネの初来日から50年目を迎える節目の年です ルネは、日本で歌手デビューし、第3回東京音楽祭世界大会にカナダ代表として参加するために、1974年6月26日(水)から7月14日(日)まで来日しました。さらに偶然にも、今年はカレンダーの並びが50年前と同じ!! 初来日の19日間の様子は、ケイブンシャ発刊の「スーパーアイドル ルネ」に、当時通訳として同行していらっしゃった道上雄峯氏の完全スケジュール同行記」として掲載されました。

 今回はそのまとめ記事として紹介いたします。画像を小さくしていますので、もっと大きな画面で、書かれている内容もしっかり読みたいという方は、画像下の日付をクリックしてください。過去ログで追体験することが出来ますよ(^^♪ ちなみにfacebookのルネ・ファン・グループ「 Condor, c'est toi : pour René Simardには、日付に合わせて投稿していました。

 また、ルネの日本での活動の様子は、カナダから同行したインター・ヴィデオの取材によって、ドキュメンタリー映画「René Simard au Japon として公開され、さらにカナダ大使館所蔵の16ミリフィルム”Le Petit Ambassadeur小さな大使)”として紹介されました。

 

グランプリ

 第三回東京音楽祭の催された日比谷帝国劇場で、カナダのスーパー・アイドル、ルネ・シマールは日本での最初のステージを踏みました。20ケ国から選ばれた出場アーティストが、そのベストをつくして歌い、予選を通過したのは、そのうちの13組でした。ルネは、もちろん、最高得点で予選を通過しました。

 そして、最終日。グランプリを取ったのは13歳のルネ・シマールの「ミドリ色の屋根」でした。

 特別ゲストのフランク・シナトラは、そのルネに、自ら選んでフランク・シナトラ賞を贈りました。

 両手に、賞状とトロフィーを抱いたルネの眼は、涙でいっぱいです。

※過去ログシナトラの祝福をうけて 」(右上画像)、「第3回東京音楽祭のプログラム① 」、「第3回東京音楽祭のプログラム②」、「ルネ記念日2010 」、「ルネ記念日2011 」、ルネ記念日2012 、「ルネ記念日2013 」、「ルネ記念日2014 」、「ルネ記念日2015 」、ルネ記念日2016 、「ルネ記念日2017 」、ルネ記念日2018 ルネ記念日2019 、「ルネ記念日2020 」、ルネ記念日2021 」(※私のYouTube「René Simard au Japon」の映像有)、「ルネ記念日2022 」、ルネ記念日2023 ~ルネの応援歌「Condor c’est toi」~ 」参照

※2021年以前の記事のリンクはteacup時代のままですので、上のリンク(gooブログ)でご覧ください。また、太字のものはお勧め記事です。

▲ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」会報№1より(Yumeさん提供)

▲過去ログ「ルネの家と青い鳥とモントリオール讃歌 」参照

※過去ログ「第3回東京音楽祭世界大会 」「東京音楽祭世界大会に寄せて」参照

▲グランプリの発表とフランク・シナトラ賞の受賞シーンと凱旋帰国の様子は4分10秒から

1974年6月26日(水)、1974年6月27日(木)、1974年6月28日(金)

1974年6月29日(土)、1974年6月30日(日)、1974年7月1日(月)

1974年7月2日(火)、1974年7月3日(水)、1974年7月4日(木)

1974年7月5日(金)、1974年7月6日(土)、1974年7月7日(日)

1974年7月8日(月)、1974年7月9日(火)、1974年7月10日(水)

1974年7月11日(木)、1974年7月12日(金)、1974年7月13日(土)

1974年7月14日(日)、ルネの凱旋帰国①、ルネの凱旋帰国②、グランプリ受賞後のカナダ①、グランプリ受賞後のカナダ②

 

 ルネ友のみなさま、1974年当時の自分に戻って追体験できましたでしょうか? ルネ・ファンになった頃の初心に戻って、これからもルネを応援していきましょう

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ルネのファントム

2024年06月16日 | ルネの活動記録

 

 今日は父の日

 シマ姉家は義父には私から、主人には息子から、二人が好きなお酒をプレゼント(^^♪ いつもどおり、朝食はお赤飯、お昼は私の老前整理に付き合って力仕事を担ってくれた主人を労ってレストランへ! 夕食は義父の希望で筍の五目ちらし寿司を作って日頃の感謝の気持ちを表します。

 

 そして、舞台劇『Le Dîner de cons 奇人たちの晩餐会』に5月1日 (水)から出演中のルネは、去る6月6日、父の日を前に特別な「Bonsoir bonsoir,  jase jase」でお祝いしました。ゲストはルネ・シマール、エリック・ブリュノー、ダニー・サンピエールジャン・フィリップ・ウォティエデヴィッド・サヴァールグレゴリー・チャールズ。全員がお父さん

 この番組は Facebookでの公式ページに、映像の一部(※ Facebook:これはルネのバート♪)が公開され、出演者は父性について議論したり、家族について話していました。ルネは子供たちが成長できるように、子供たちのために余地を残すことが重要という話を熱く語っています(家族写真有り♪ ルネの左手の薬指の指輪に注目)。ミュージカル「La famille Addams  アダムス・ファミリーについても語ったと予告に書かれていましたが、その部分も公開されるといいですね! 笑いを交えて和やかな、父の日を祝うのに最適なテーブルの様子をご覧ください(^^♪

 また、6月9日(日)にはTVALes Grands bien-cuits」に出演して、トークで大いに笑いを取っていましたよ(^^♪( Facebook)

 そして、まだはっきりと発表されていませんが、ルネはテレビで新しい、そして非常に重要な使命を見つけたとの記事が投稿されました!! これからますます忙しく、ファンがルネを観る機会が増えます! そのTV番組が、以前にも過去ログで紹介し、審査員の交代が報じられた「chanteur masquéマスクド・シンガーズ」ではないかと推察しているファン・グループのメンバーもいます。こちらの第4シーズンは秋からの放映です(^^♪ ルネだったら最高ですね♪ 

 さらにサグネイ出身のルネが、3年連続でLa Fabuleuse Histoire d'un Royaume(Facebook)の公式スポークスパーソンを務めることになり、光栄に思っています。ショーへの情熱と地元の歴史への愛着から、彼はアンバサダーとして選ばれています🥰 この夏は、7月11日から8月17日まで市立劇場で開催されます!www.fabuleuse.com
 
 長期休業が明けた途端に引っ張り凧のルネですね これからの活躍が楽しみでなりません♪

※「奇人たちの晩餐会」の日程はこちらから どうぞ https://sorstu.ca/.../le-diner-de-cons_lassomption.../

 

 今回の記事は、ルネのデビュー50周年を記念してリリースされたアルバム「Condorコンドル」に付属した60 ans et déjà 50 ans de carrièreを翻訳した記事が47回で完結し、去る6月10日には、当ブログの開設19周年目と、facebookのルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi :  pour René Simard」の3周年目を無事迎えたので、次に紹介する記事を何にするか悩んでいました。記念誌の文字が小さく、翻訳に思った以上に時間がかかったため、しばらくの間はちょっと一息のつもりで、サクッと画像を紹介しようと思っていたのですが、ここに投稿した写真に関係した資料を探している内に、まとめ記事が出来上がっていました(笑)

 

 

 この写真は、ルネがトロントで『Le fantôme de l'Opéra オペラ座の怪人 』のファントム役を演じた際、ルネの後にファントムを引き継いだ、キッス Kissのポール・スタンレー Paul Stanley とジェフ・ハイスロップ Jeff Hyslop と一緒に、劇場で撮影されたもののようで、ナタリーも一緒に写っています。

 

Le fantôme de l'Opéra オペラ座の怪人

 Le fantôme de l'Opéra オペラ座の怪人 』について、ルネはインタビューで、彼をファントム役に選んだ人々は彼をまったく知らなかったので、それは彼の最大の誇りであり、達成だったと語っていたそうです(ミシェルさん情報)。彼は2年間かけてこの役割を獲得しました! その時の記事もコレクションの中から見つけましたので、翻訳して紹介いたします♪

The PHANTOM of the OPERAのプログラム(ルネの出演日程は1999年4月2日から5月23日まで)

 1999年に彼は、le fantome de l’operaオペラ座の怪人の主役のために、ニューヨークでオーディションを受けました。 トロントで10年間上演されているこの作品は、リフレッシュする必要がありました。 ルネは、彼らが新しい<ファントム>を探していることを知ったとき、彼の先生とほぼ2か月間この役の演技に取り組みました。 彼は8週間取り組む役を引き受けました。 その後、人気が出なかったため、彼の主役での上演は停止されました。(過去ログ「ルネのデビュー50周年記念誌⑬より抜粋)

LE RÔLE DE SA VIE 彼の人生の役割(過去ログ「60 ans et déjà 50 ans de carrière⑱ 」より抜粋)

 1999 年の春、彼は人生の大きな夢の 1 つを実現しました。トロント公演の演劇『The Phantom of the Opera オペラ座の怪人 』でタイトルロール(ファントム役)を獲得しました。

 彼はこの役割を盗んだわけではありません! トロントのエージェントにモントリオールでの最初のオーディションに招待された後、彼はトロントでさらに2回オーディションを受け、最後はニューヨークでオーディションを受けました。 準備作業は大変でしたが、とても充実したものでした。

 ルネはこの役を演じることにとても感動し、メディアに自分を紹介する記者会見の日、他の俳優や歌手の前でステージに上がり、泣き崩れました。

 2015年5月29日の『7 Jours』誌のインタビューで、彼は次のように述べました:「このミュージカルは私の最も楽しい思い出の一つです。 私にとって、このショーは一種の確立でした。 私は、いつかこの神話上の人物をついに演じる日が来るとは知らずに、8年間トレーニングと歌に費やしました。 そして夢が叶いました!

 このインタビュー中、アーティストは自身の始まりとこの職業の浮き沈みを振り返り、次のように述べていました。「この職業を続けていたら、まさにこのような瞬間が待っています。 私は『Le Fantôme de l'Opéra オペラ座の怪人』のあらゆる瞬間を大切にし、これほど感謝することができて良かったです。」この年の公演中、ルネがピンチに陥った場合に備えて、ファントムの代役が舞台袖で待機していました。私たちは彼らの手助けを決して求めませんでした!

 1年間、週に8回のパフォーマンスで、ルネはそのキャラクターを守りました。 アーティストとして喜んでいるだけでなく、家族の父親としても、ロザリーとオリヴィエが彼のショーを初めて観劇するのを見て喜んでいました。

 他の人にとっては驚くべきことかもしれませんが、この現実を理解して成長すると、すべてがそうではありません。ロザリー・タイユフェ=シマールは、誰もが自分の両親を知っていると理解した瞬間のことを正確に覚えていませんでした。彼女が5歳のとき、父親が兄と一緒にステージに連れて行ってくれたとき、彼女は彼が公的な仕事をしていることに気づいたのでした。それにもかかわらず、彼女は彼が才能のあるアーティストであることを理解したショーを鮮明に覚えています。「それは彼が『Le fantôme de l'opéra オペラ座の怪人』に出演していた頃、トロントでのことでした。この番組を何回見たか分かりません。それが大好きでした! 父を芸術家として見たのはそれが初めてでした。私は舞台裏に行き、彼が化粧をしているのを見ました。素晴らしかったです。(過去ログ「60 ans et déjà 50 ans de carrière39 」より抜粋)

左:ジェフ・ハイスロップは1993年のモントリオールでファントムを演じました。シマールという名前のファントムが 2000 年に戻ってくる可能性はあるでしょうか?

 右:ルネ・シマールがこの機会に新たな声を生み出し、ついに実現するのは生涯の夢です。

René Simard sera le PHANTOM of the OPERA

ルネ・シマールはオペラ座の怪人になる

 ルネ・シマールは、この春、トロントで『Le Fantôme de l'Opéra オペラ座の怪人』になります! 電話で、Pantages Theatre パンテージズ劇場に戻る時、歌手は決意を固めました。「私は成功したミュージカルの中の役を夢見た時から、ついにその役をつかみ取りました! 私はそれを逃しませんでした...

Jeanne la pucelle ジャンヌ・ダルク 』の不完全な成功の2年後、ルネは、『Jean Valjean des Misérables レ・ミゼラブル のジャン・ヴァルジャン』と並んで、私たちの時代で最も名誉あるミュージカルの役を獲得しました。「私は2年間この役に取り組んできました。私の先生と一緒に、私たちはより古典的なボーカル・アプローチを開発しました。」彼はこの暗い役柄のために、彼が少なからず驚いたと語った『プロダクションの人々が私のファントムに何の違いも見い出さない』申し分のない、より低い声に作り直しました。

 プロデューサーのGarth Drabinsky ガース・ドラビンスキーによって引き立てられていたルネは、少し前に『Joseph and the Technicolor Dreamcoat ヨセフ・アンド・ザ・アメージング・テクニカラー・ドリームコート 』で演じなければなりませんでしたが、プロジェクトには失敗しました。ドラビンスキーはトロントでファントムを10年間案内してきました。しかし、法的問題の途中で彼の会社のLivent リベントを放棄したばかりだったので、シマールの選択を促進することができませんでした。「でも、Bess et Annie de Livent ベスとアニー・ド・リベントはニューヨークの決定者に対する私の立候補を決定しました。

 作曲家でプロデューサーのAndrew Lloyd Webberアンドルー・ロイド・ウェバー がいない場合に、ルネはニューヨークでオーディションを受けましたが、こちらの人々は録音されたバンドを信用して受け入れました。

<私はこの役割に値しました!>

 彼が選ばれるとすぐに、選ばれた者は顔の半分を覆うマスクの成形に参加しなければなりませんでした。「ルネは、このマスクは何というガジェット(目新しい道具)だろうと驚きました。マイク2本、残響防止壁、ウィッグなど

 彼には次のことを繰り返します。「ファントムの性格は非常に、定位置にある」とルネは言いました。「ある瞬間に親指を下に向けなければならないとしたら、それは議論の対象ではありません!

 ルネは4月2日から8週間マスクとマントを着用します。後は見ものですよ。ファントムは10年に渡る成功の後、少し衰えています。かつてイギリス系カナダのスターだったルネ・シマールを、ポスターの刷新に選んだのでしょうか? 関係者は何も知りません:「人々は私を認識しておらず、私はあまりにも変わりました。しかし、私のクレジット・カードに私の名前を見たら、多くの人が覚えていることでしょう...

 トロントには、妻のマリー・ジョゼと二人の子供が住めるアパートを持っています。「私は彼らに頻繁に、そして長い間来てもらいたいのですが、子供たちは夏まで学校にいます...」 ルネは3月28日にメトロスターズ・ガラを主催しなければならないため、今後数週間は忙しいでしょう。彼は取りやめたくありませんでした。「そんなことは思いつきませんでした。」そして、私たちは『ファントム』が彼に翼を与えたのではないかと推測しています...

▲YouTube映像"Rene Simard-Phantom of the Opera/Music of the Night(1999)"

René Simard | TVO Today(当時ルネが英語で答えたインタビュー映像)

 

 ルネのファントムについてお楽しみいただけましたでしょうか? 

 次回こそ、ちょっと一息つきたいシマ姉です(笑)・・・が、facebookのルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi :  pour René Simardの管理人でもあるジョゼフ君が投稿した質問に答えるために、1972年の新聞記事を探したことがきっかけで、ルネ・コレクションを確認しましたら、まだ翻訳していないルネを特集した小冊子などが出てきました。早速その一部をデータ化しましたので、少しずつ紹介していきたいと思います。

 ちなみに、ルネについての新聞記事は、1972年12月25日発刊の新聞に掲載されたもの(左上画像参照)で、新聞自体が全ページ揃った完全版です。その時代の資料としても価値があるので、翻訳が終えたらブログで紹介し、シャンタルさんも所有していないため、最終的にはシャンタルさんのMusée Simardに寄贈する予定です。

 ライフワークと化しているルネ活ルネ・コレクションの翻訳を気合を入れて頑張りますので、今後とも気長にお付き合いくださいね

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60 ans et déjà 50 ans de carrière47

2024年06月02日 | ルネの活動記録

 6月に入り、いよいよ10日(月)は当ブログとfacebookのルネ・ファン・グループの開設記念日です(^^♪

 先週の私の誕生日には、facebookでお友だちになっている方々からたくさんお祝いメッセージをいただきました ルネの妹ナタリーやルネのアシスタントだったクローディーヌ・バシャンさん、来日当時の通訳だった道上雄峯さんからもメッセージをいただいたり、さらに、翌日が誕生日だったルネの弟ジャン=ロジェ・シマール氏に送ったお祝いメッセージにお返事をいただいたりで、リア充な「ルネ活」中のシマ姉です(^^♪

 ルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi :  pour René Simardのメンバーは現在3125名で落ち着いています。下のルネ画像は5月25日に投稿したものです 

 それから、5月24日(土)の21時(日本時間25日8時頃)からルネが出演したChristian Béginクリスチャン・ベギンの番組「Y'a du mondeは、お友だちのカールさんから、誕生日プレゼントとしてTele-Quebec.mp4 画像をいただきましたよ

 

 

 そして、ルネの53枚目のアルバム「Condorコンドル」に付属したルネのデビュー50周年記念誌60 ans et déjà 50 ans de carrière」の紹介は2023年4月15日から始まり、今回で47回(^^♪ ついに最終回を迎えました! 途中に「La famille Addams アダムス・ファミリー」の情報などをはさみましたが、デビュー50周年記念誌の31回を上回る、1年以上の長丁場をやり遂げることができて、達・成・感!! 

 「あしたのジョー」の最終回の如く、真っ白に燃え尽きた・・・などと言っていられません! 虫食い状態で部分的に画像を紹介してきたルネのデビュー25周年記念誌ルネの亡きパパ、ジャン=ロック・シマール氏の著書Au-delà du silence 沈黙を超えて”、バシャン姉妹の著書 ”Les enfants chéris du Show-Bizz ショービズの最愛の子供たち”はまだ翻訳途中のままです★ そして様々なルネ記事のコレクションも翻訳を進めていきます!

 

 

・・・という訳で、今回は「60 ans et déjà 50 ans de carrière」の47回目で最終回となる「Honneurs 栄誉」と裏表紙を紹介いたします。

 

 

DES PRIX, DES TROPHÉES ET DES DÉCORATIONS

                                   賞、トロフィー、および勲章

 

1972

 アーティスト・ガラでは、「Decouverte de l’annee 今年の発見」と「Phenomene de l’annee 今年の奇才」の2つのトロフィーを受賞しました。 彼はまた、アルバム「Ave Maria 」の並外れた売り上げを際立たせRPM Gold Leafを受賞しました。

※ジュノー賞 - Wikipedia参照

 

1974

 東京音楽祭世界大会では、大会のグランプリとフランク・シナトラ特別賞を受賞し、ダイヤモンドをセットした金時計とともにスターから贈呈されました。

 

1977

 The René Simard Show は、ACTRA (Alliance of Canadian Cinema, Television and Radio Artists カナダの映画、テレビ、ラジオ ・アーティストの同盟) の最優秀バラエティー・ショーのトロフィーを獲得しました。

 

1984

 ADISQ Gala では、“Chante la la la ” という曲で45 rpmのベストセラー部門でフェリックス賞を受賞しました。

 

1988

 Tourne la page ”という曲のおかげで、ルネとナタリーは、年間最優秀ビデオ・クリップ賞とベストセラー45 rpmのフェリックス賞を受賞しました。

 

2015

 2月13日、ルネ・シマールは、その卓越した功績と地域社会への顕著な献身が評価され、カナダ総督デビッド・ジョンストンからカナダ勲章を授与されました。

 

AUSSI… また…

 ルネはそのキャリアの中で、51枚のアルバムと63枚のシングルをレコーディングし、他のアーティストと一緒に25枚のアルバムに参加しました。

 

Echos vedettes

BIOGRAPHIEバイオグラフィー

 ルネ・シマールがよく言うように、「私は人生を愛する人間で、あっという間に過ぎてしまいます。」 “L'oiseau ”から“Condor コンドル ”まで、彼は歌手、ダンサー、司会者、俳優として、ステージ上で50年以上の多忙なキャリアを積んできただけでなく、舞台裏では監督としても活躍してきました。ルネ・シマールは、マリー=ジョゼ・タイユフェ、オリヴィエとロザリーという2人の子供たちとの緊密な家族との並外れたラブストーリーでもあります。Echos Vedettesによるこのルネ・シマール・スペシャルでは、逸話、オリジナルのインタビュー、100枚を超えるアーカイブ写真を通じて、“P’tit Simard プチ・シマール”の驚くべき旅を追体験します。

 

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 facebookのルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi : pour René Simardの管理人でもあるジョアンヌさんから、ルネの娘ロザリーの近況についてのLa semaineの記事Une maman engagée! 献身的なお母さん!」の画像をいただきました(上画像参照)

 そして、7Joursのウェブ記事で、ロザリーと恋人ガブリエルの結婚についてのインタビューが公開されました(^^♪

※「Rosalie Taillefer-Simard révèle quand elle compte se marier | 7 Jours」参照

 ロザリーは、まだ娘アデリーちゃんがお腹にいるとき、性別発表のイベントでガブリエルからプロポーズされました しかし、結婚については日本とカナダでは考え方が違うようで、結婚は家族が完成するまで先延ばしとのこと。ロザリーは第2子を希望しており、第2子は自分たち兄妹同様、アデリーちゃんと2歳年の差がベストと考えているようです。

 長女のアデリーちゃんには聴覚障害が無いことが検査で判明していますが、兄オリヴィエとその妻アレクセの2人の娘で姪のクロエちゃんとアクセルちゃんは両方とも先天性難聴があり、オリヴィエとロザリーよりも進歩した人工内耳を装着しています。実家に行くと祖父母であるルネとマリー=ジョゼが孫娘に夢中になり、楽しく過ごしています。結束が固く、素晴らしい家族であり、夫として恋人ガブリエル以上の男性はいないと語っています。また、娘をこんなに愛せるとは思わなかったし、その進化の一歩一歩を味わいながら、自分自身を未来に投影しているといいます。子供たちと動物園に行ったり、ハロウィンやクリスマスなどのさまざまな休日を祝うのが待ちきれないそうです。

 ロザリーは、お子さんの目を通して人生を再発見することが、母親としての自分の役割で最も好きなことだとも語っていました。これも、両親であるルネとマリー=ジョゼによって愛情いっぱいに育てられてきたことが、ロザリーの母としての成長に大きく影響を与えているのですね!

 

 そして次回は、6月10日(月)に、当ブログとfacebookのルネ・ファン・グループの開設記念日の記事を投稿いたします

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60 ans et déjà 50 ans de carrière46

2024年05月25日 | ルネの活動記録

 今日は私の誕生日(^^♪ もちろん気持ちだけは「永遠の14歳」(笑)! 実年齢はそれプラス、ルネ・ファン歴!!

 ルネはカナダ時間で5月24日(土)の21時(日本時間本日8時頃)から、Christian Bégin クリスチャン・ベギンの番組「Y'a du monde」に出演します  どなたかfacebookでアップしてくださるといいなぁ・・・

Voici quand vous pourrez revoir René Simard à la télé (noovomoi.ca)

René Simard annonce son retour à la télévision dès ce soir - Vedette Québec (vedettequebec.com)

 シマ姉家の女性は私とミイ姐御だけなので、私の誕生日のプレゼントには、毎年『家事をしない1日』を希望しています。今日は、某TV局の『タクうまグルメ』でも紹介された、県内で有名な地元のステーキ屋さんに予約を入れてくれたので、ランチ(お誕生日デザートのサービス付き!)に行って参ります 朝は自分でお赤飯を炊いて、夕食はケーキと自作海鮮ちらし寿司~(笑)。

 そして、昨年11月に愛車となった日産の電気自動車SAKURAを太陽光発電の蓄電池としても使うためのV2H設置工事は、V2Hの入荷の関係で6月中旬以降の設置ということになりました。そんな訳で、太陽光パネルは予定通り5月21日に設置されましたが、V2Hの関係や電気工事業者の都合でまだ稼働はしていません。夏に向けてのエアコンの設置や、電気代の高騰から太陽光発電に切り替える家庭が増えたりで、工事業者の人手不足が工事日程の遅れに影響しているようです。

 それから、やっと重い腰を上げた老前整理は順調に進んでおります(^^♪ まずは増え過ぎた物や、退職後不要になった物等の、整理と処分によるスリム化が最優先課題★ 着なくなった服は「長い間ありがとう」とお礼を言いながら処分を決断している捨てられない女のシマ姉です。未使用の文房具や可愛い小物等は、お隣の4姉妹に貰ってもらっています(彼女たちのお母さんに一番喜ばれたのは子供用マスク)。ルネ・コレクションはシャンタルさんのMusée Simardに託すものも有りますが、断じて捨てない離さない」の断捨離で行きますよ~(笑)!

 

 

 今回「60 ans et déjà 50 ans de carrière」の46回目「Témoignages 証言」の6回目で最終話は、Véronic DiCaire ヴェロニク・ディケール、Brigitte Boisjoli ブリジット・ボワジョリ、Luce Dufault リュス・デュフォールを紹介いたします。

 

 

VÉRONIC DiCAIRE ヴェロニク・ディケール

 Véronic DiCaire ヴェロニック・ディケールは、『Le village de Nathalie (TV Series 1985–1988) ナタリーの村』で育った世代の一人です。同時に、彼女は「Tourne la page ページをめくれ」という曲を通してルネを知りました。兄と妹に会いたいという彼女の夢は、2017 年に彼女の番組「CI on chante ここで私たちは歌います(Radio-Canada)」で司会を務めて実現しました。「とても感動的でした。ルネ・シマールがテレビに登場するのはいつも嬉しいことです。何故なら、私と同じように、彼も喜んで楽しむ用意ができているからです。 ヴェロニックにとって最大の喜びとして、何年にも渡って、彼らは何度かコラボレーションしてきました。「ルネ、それは幸せと愛の大きなハグです。 彼は誠実で謙虚な人です。彼は正しい理由があって仕事をしています。彼は寛大で、そこが私たちの人生とキャリアの使命において団結するところです。私たちは人々に愛とユーモアを与えることで人々に良いことをしたいのです。」笑いながら彼女は言います。「私たちはステージ上で一緒にいるべきではありません。世界の一部になってはいけません!

※「04 Rêver encore また夢を見る en duo avec VERONIC DICAIRE 」参照

 

BRIGITTE BOISJOLI ブリジット・ボワジョリ

 Brigitteブリジットは、ルネの新しいアルバム「Les jours meilleurs より良き日々」に声を提供した最年少のパフォーマーです。「前向きで希望に満ちているところが私たちに似ています。」と彼女はインタビューで打ち明けました。実際、この二人にはエネルギーが欠けているわけではありません。 「Chantons sous la pluie  雨に唄えば』でルネを観たのを覚えています。彼はとても上手でした! 彼はアスリートです、私と同じように、彼はいつも220に乗っています。私たちは自分の仕事が大好きで、同じ出身です。」少し時間を遡ると、ブリジットがすでに自分のショーの 1 つを監督するようルネに依頼したのも、これらの引っ掛かった原子のおかげでした。「残念ながら彼は都合がつきませんでしたが、また一緒に過ごせることを期待していました。彼がこの曲をやるように私に電話をかけてきたとき、私は彼が私に提供してくれたものはきっと楽しいものになるだろうと確信していました。」そして彼女は失望しませんでした。

※「02 Les jours meilleurs より良き日々  en duo avec BRIGITTE BOISJOLI 」参照

 

LUCE DUFAULT リュス・デュフォール

 子供の頃、Luce Dufault ルュス・デュフォールはルネの最初のレコードを探していました。それは1970 年代初頭のことでした。「その後、彼に会ったとき、私は彼が並外れた優れた聞き手であると知りました。頭でっかちなのかもしれない。しかし、彼には虚栄心が1オンスもありませんでした。彼は絹であり、計り知れない才能を持っています。 そしてなんというエネルギーでしょう! 聖なる火と同じくらい多くのガスがあり、維持されています。 それが、何年も経った今でも彼がここにいる理由です。そして、この火は伝染するのです!」ルネは、会うたびに幸福をもたらしてくれるその階級の人々である、と彼女は付け加えました。「スターは時には失望することもあります。ルネと一緒だととてもリラックスして楽しいです! 常にこうあるべきです。 彼は思いやりがあり、みんなを幸せにしたいと思っています。

※「09 Un monde à nous 私たちの世界 en duo avec LUCE DUFAULT 」参照

 

 

 ルネのデビュー50周年記念誌の記事は2021年9月5日から31回、ルネの53枚目のアルバム「Condorコンドル」の収録曲11曲の紹介と、セットの「60 ans et déjà 50 ans de carrière」の紹介は2023年1月7日から始まって、次回47回で最終回を迎えます!! 全ページ翻訳完了まであと1記事です! 頑張って完結させます! 

 

 

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 シマ姉のグリーン・ライフ

 久しぶりの「グリーン・ライフ」です(^^♪

 今年はすでにカメムシが大量発生し、果樹の被害がニュースで大きく報じられ、注意が呼びかけられています。昨年シマ姉家では、猛暑の中グリーンカーテンに大量発生したカメムシの駆除に明け暮れておりました★ 今年は例年の4倍とも6倍とも言われているカメムシの大発生は、多かった昨年をさらに上回ると言われています!

 シマ姉家の周辺は自然が豊かで田畑も多く、昨年はコメの収穫前にカメムシ駆除の農薬散布が地域全体で行われておりました。シマ姉家ではグリーンカーテンのアサガオにカメムシが駆除しても駆除しても来襲し、繁殖地にもなっていたようでした★ しかし、毎年応募している生協の「我が家のグリーンカーテン大作戦」でも報告した、自作の「カメムシ・ホイホイ」を使って捕獲したところ、殺虫剤は一切使用せず、簡単に大量駆除することが出来ました! そこでルネ友のみなさまにもお勧めしたいと思い、急遽ブログで取り上げさせていただきました。

「【2024年】カメムシの大量発生はいつまで?原因は?対策は3つ 」参照

 実は、私はカメムシにくさい思いをさせられたことがありません。昨年何百匹(何千匹?!)も駆除していながらです。自作の「カメムシ・ホイホイ」の中からは臭ってきましたが、手で直接触っても、何故かくさいにおいを付けられたことはありません。においを出す隙を与えないから? それともカメムシに殺意を悟らせないから?(笑)確かに私は小さい頃から昆虫は好きで、息子と一緒にカブトムシやクワガタムシを捕まえて飼ったりしていましたから、カメムシも私が栽培している植物に害を及ぼすまでは、駆除対象ではありませんでした。

 カメムシは明るいところに集まる習性があるので、洗濯物は部屋干しし、室内に入られないように遮光カーテンで光を遮るとともに、窓のすき間をテープで塞ぐ方法が紹介されています。しかし、庭木や草花にいるのを見つけた時や、屋内に侵入されてしまった時は、殺虫剤を使わずに駆除したいですよね。知人はディッシュでつかんで捨てると言っていましたが、「カメムシ・ホイホイ」はペットボトルをリサイクルして簡単に作れるし、手を汚さず、繰り返し使えて経済的です。

 捕獲方法は、カメムシの危険を察知すると落ちる習性をいかし、カメムシがいるすぐ下に「カメムシ・ホイホイ」を待機させ、手で直接が嫌なら棒などでちょっとつついたり葉や茎をゆすって、ホイホイの中に落とします。「カメムシ・ホイホイ」に入ってしまえば駆除完了です。

▲左:くびれ部分を切り取りガムテープで固定 右:くびれがほぼ無く凸凹部分に合わせて差し込めるのでガムテープ無し

<カメムシ・ホイホイの作り方>

1、材料・・・2ℓのペットボトル、水、食器用洗剤

2、道具・・・カッター、必要に応じてガムテープ等

3、作り方 

 ①ペットボトルをカッター等で、半分位の位置で上下を切り離す。

 ②ペットボトルの下半分に、キャップを外した上半分を逆さにして差し込む。

 ③水に少量の食器用洗剤を溶かし、洗剤の水溶液を作って、逆さにしたペットボトルの先が水に触れない程度に入れる。

 ④ペットボトルの上半分を下半分に差し込んで固定する。ガムテープ等を使うとより安定する。

※ペットボトルにくびれがある場合は、その部分を切り取らないとはめ込めません。形状によって、切り離す箇所が違ってきますので工夫してください。

※ペットボトルの上部分が下を向いているので、アリジゴクのように滑り落ち、中に入ったら出られない構造になっています。 

※甲虫は体の細かい毛のおかげで水に浮きますが、洗剤の浸透作用によって沈んで溺死します。もちろん洗剤には殺虫効果もあります。溶液中に落ちるとほぼ即死です(ムカデの場合は熱湯かけるのがお勧め!)。

※カメムシは葉の裏にケシの実くらいの茶色く丸い卵を数十個産み付けます。孵った幼生は成虫と同じ姿ですぐ大きくなりますから、卵を見つけたら葉ごと燃やしたり、そのままゴミとして処分するか、卵は固いのでつぶさず指でこすってホイホイ内に落とし、成虫と一緒に処分すると良いです。

※ホイホイの中のカメムシは臭うので、土に埋めるか、ビニール等で密封して各市町村の指示に従って処分してください!

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60 ans et déjà 50 ans de carrière45

2024年05月18日 | ルネの活動記録

 5月も後半に入りました。

 まだ春なのに夏日が続いたかと思えば台風のような強風や豪雨! 地元の中学校では、例年4月下旬に行っている奈良京都の修学旅行でコロナ感染者が出たとか・・・★ 新型コロナウイルス感染症やインフルエンザ、溶連菌感染症などの流行は下火になってきているとはいえ、まだまだ油断は禁物です。

 また、NHKでも取り上げていましたが、サポート詐欺の警告画面がまた出ました! 今回は「タケノコのレシピ」を見た後に目に留まった「ベーコンの6大リスク」の1ページ目で「次へ」をクリックしたときでした★ もちろん強制終了して回避しています。さらに、私は映画「スマホを落としただけなのに」を観てからガラホ派ですが、SMSにはhttps://t.co/・・・で始まるリンク先に誘導する詐欺メールで、「NTTドコモ」を装った緊急通報詐欺メールが入りました★ シマ姉家にはいつでも誰か居るし、たとえたまたま出られなくても必ず宅急便屋さんは「不在通知」を残していくのに、SMSに偽サイトに誘導するメールが届いたり、ガラホでは到底遠隔操作できない事柄で不安をあおる身代金要求メールが届いたのしていましたが、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」で無差別に送られてくる詐欺メールは、私のブログにお越しいただいているルネ友のみなさまにも送られてくる可能性が極めて高いので、くれぐれもお気を付けくださいね!!

 話は変わりますが、シマ姉家では、太陽光発電パネル設置のための足場が組まれたまま、13日(月)の電気工事は豪雨で延期★ 21日(火)からのパネルの取り付け工事と一緒に行うことになり、V2H設置工事もその流れで行うことになりそうです。

 そして、私の老前整理は、洋服の断捨離を先週集中的に行うことが出来ました。今は着ていない独身時代からの服や、在職中に着ていたスーツなど、これを機にガッツリ処分いたしました・・・といっても、衣類の市の回収日は月初めで、その上一度では出し切れない量(爆★) さらに、本や在職中の資料などもずっと見て見ぬふりをし続けていたので、酷暑になる前に腰を据えて、挫けないで(笑)整理しようと思っています!

 

 

 今回「60 ans et déjà 50 ans de carrière」の45回目となる「Témoignages 証言」の5回目はGregory Charles グレゴリー・チャールズClaudine Bachand クローディーヌ・バシャンさん(Facebook)紹介いたします。

 

 

GREGORY CHARLES グレゴリー・チャールズ

 グレゴリー・チャールズは、幼い頃から地球上でルネ・シマールの最大のファンであると自分自身を定義しています。「私は幼い頃にルネ・シマールになることを夢見ていた理想的な年齢でした。彼は歌が上手で、ダンスも上手で、いつも幸せで笑顔でした。彼はケベックのテレビにおける若いマイケル・ジャクソンのバージョンでした。より大きな声で、常に自信を持って、世界最高の人たちとステージを共有していました。6歳のときにモントリオールのショーで彼を見たし、1976年にはRobert Bourassa ロベール・ブラッサ 首相の前でのショーで彼とステージを共にしたこともありました。 私は合唱団で歌いました、それはクリスマスのショーでした。冬の幸せの王国で。しかしその後、私はよくルネとステージを共有しました。彼のテレビや私のテレビも含めて。

 グレゴリーは、彼の新しいアルバムでルネとのデュエットで『Tu n’es pas seul 君は一人じゃない 』を歌うよう招待されました。「これは私たちの時代にぴったりの曲ですが、ルネの性格にもぴったりです。 彼はショービジネスの中で最も優秀で、最も親切で、最も忠実で、最も利他的な男です。 彼がこの曲の言葉を言いたかったのには驚きません。そして、私の観点からすると、何十年ものキャリアと人生を経て、彼は次の言葉を言われても当然だと思います。『君は一人じゃない』 」 ルネは、グレゴリーが自分をどれほど思っているか、そしてどれほど賞賛しているかを知っています。「付け加えるとすれば、私の両親が彼を養子にして、私が彼の弟になれたら良かったのにということです。

※「05 Quand la musique joue 音楽が流れるとき en duo avec GREGORY CHARLES 」参照

※「11 Tu n’es pas seul 君は一人じゃない en duo avec GREGORY CHARLES他 」参照

 

CLAUDINE BACHAND クローディーヌ・バシャン

 クロディーヌ・バシャンは、最初から彼の側にいて、どういう訳かルネ・シマールのパーソナルアシスタントになっています。「私が初めて彼に会ったとき、彼は10歳でした。きっと寛大な人だろうとすぐに分かりました。彼は忍耐強くて誰に対しても親切でした。それは彼の中にありました。」 クロディーヌ・バシャンと彼女の妹ダニエルは、キャリアの最初の数年間に彼らと一緒に<p'tit Simard> を主催しました。 今、彼女は彼が大人の男になったことをとても誇りに思っています。「 私が10歳の時に知っていたのと同じ「ti-garsティギャル」であり続けてくれた彼におめでとう。彼は頭でっかちだったことはありません。ルネは自分のことを考えずに常に他人の世話をする寛大な人です。歌手、俳優、司会者としてだけでなく、監督としても常に喜んで学ぶアーティストにブラボー。 彼は良い人なので、彼と知り合えたことを誇りに思います。」彼女にとって、二人の間には友情や芸術的な関係以上のものがあります。「それは家族の誰かです」と彼女は主張し、自分がロザリーの名付け親になったことも付け加えました。

※YouTube"Ti-gars "参照

※豆知識:ケベックの表現でAvoir la tête enflée(頭が腫れた)は、「虚栄心が強く、大げさです。頭でっかちです。」という意味になります。

 

▲左:第3回東京音楽祭世界大会の会場で 右:初来日時に原宿でのお買い物に同行

▲左:「ルネの3人の母」の記事より 中央と右:バシャン姉妹著 ルネとナタリーについての本の表紙と裏表紙

▲左:ルネの家族、セリーヌ・ディオンとルネ・アンジェリル夫妻と一緒に 右:彼女の妹ダニエルの誕生日パーティーでルネと一緒に

 クローディーヌ・バシャンさんは、facebookでお友だちになっています。さらにルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi :  pour René Simardのメンバーでコメントも時々いただいています

 彼女はルネのデビューからアシスタントとして、ルネが10代の時は彼女の妹ダニエルと共に「3人の母」という記事で取り上げられたり、昨年リタイアするまで、そして今もずっとルネに家族同様に付き添ってきました。第3回東京音楽祭世界大会のために初来日した1974年に同行したり、「明石家多国籍軍」のルネの回や、ルネのデビュー50周年記念番組にも出演したりしていましたし、ルネとナタリーについて書いた本を出版しています。

▲「明石家多国籍軍」より クローディーヌさんは3分後から出演

 妹のダニエルさんはご結婚されましたが、クローディーヌさんは独身を通し、現在はルネの妻マリー=ジョゼのご両親の牧場で一緒に暮らしていらっしゃるとか。これからもずっとルネの心の母としてルネを支えていて欲しいですね

コメント (2)
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