ルネの誕生日まであと2日!!
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ルネ友のみなさまは、誕生日のメッセージの準備は済みましたか?
今年はちょっといつもの年とは違います! ルネの公式ページの「メッセージを送信」に投稿すれば、ルネが見てくれた時に既読が付きます お返事はいただけなくても、既読が付いただけで、個人的に送ったメッセージをルネが確実に見てくれたことが分かって、ファン冥利に尽きます
「投稿の作成」で投稿すると「ビジター投稿」となり、投稿の方法が指定できます。「公開」、「友だち」、「一部の友だち」、「一部を除く友だち」、「知り合い」、「カスタム」、「自分のみ」です。
出遅れてしまった時は、ルネの家族や自分の友だちが投稿したメッセージにコメントを書き込む方法もありますよ。
たくさんのファンの方たちが投稿しますので、画像も添付すると目に止めていただける確率も高くなると思います♪ 何事もチャレンジです!!
※過去ログ「ルネに誕生日のメッセージを送りましょう♪2022」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/1172.html
ルネの誕生日には「ミドリ色の屋根」を歌詞付きYouTube映像でルネと一緒に歌ってくださいね
ついでにこちらもご紹介♪ もちろんルネか一番ですけれど、聴き比べて楽しんで♬♪♫
※空気録音 麻丘めぐみさん ミドリ色の屋根
https://www.youtube.com/watch?v=muc3wDZ9_Xo&list=FLX12E-efRQ7oPC3A-ki4poA&index=3
※ミドリ色の屋根/豊川誕(1975)
https://www.youtube.com/watch?v=UVLN2zMqmG0&list=WL&index=8
※「ミドリ色の屋根」金井淳子
https://www.youtube.com/watch?v=ZOX1VwAlTYY&list=WL&index=7
※ミドリ色の屋根 / ルネ・シマール cover 神園純明
https://www.youtube.com/watch?v=8kxMJG0DD7Q&list=WL&index=6
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ルネのデビュー50周年記念誌紹介の22回目です。
ルネの誕生日前にもかかわらず、ルネとナタリーの関係が壊れた時の内容になってしまいました★ もちろん現在関係は修復されています。
ルネの妹ナタリー・シマールが、ルネの元マネージャー、ギー・クルティエ氏を訴えた裁判について、過去ログではほとんど触れずに来ました。・・・というよりはむしろ、記事にしたくなくて書かなかったというのがその理由です。
兄とも慕っていたクルティエ氏と妹ナタリーの間でルネが苦しんだこと、ナタリーが「Briser le silence沈黙を破って」の中でルネを非難したこと等を知り、その原因を作ったのがクルティエ氏であることが分かっていても、辛そうな表情で記者会見を行うルネの記事を見て、しばらくの間、私はナタリーのことを好きでいることが出来ませんでした。
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▲左:第12回東京音楽祭世界大会のプレゼンターとして 右:山野楽器の自分のポスターの前で
また、私はルネに会ったことはありませんが、ナタリーとは1983年3月に第12回東京音楽祭のプレゼンターとして来日した時、ルネの再来日を要望する署名活動の発起人だった友人と、ALFAレコードでクルティエ氏と一緒に会いました。
その時ルネはバリー・マニロウのコンサートに行っていて2人に同行しておらず、ナタリーはピンクのドレスのステージ衣装を着ていました。ルネとナタリーのカードと缶バッジをいただき、ナタリーと握手をしました。一緒にいた通訳の方からクルティエ氏にルネのレコードのことを伝えていただくと、「ポストカードの住所に連絡すれば送ってあげる。」とのことでしたが、手紙を送ってもプロダクションの住所が変わったらしく、住所不明で返送されてきました。
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▲左:ルネとナタリーの缶バッジ、ルネのポストカードとナタリーのプロフィールカード 右:1983年の来日時 東京でのクルティエ氏とナタリー
その時ナタリーは、知らない国でデビューするための活動で疲れていたのか、表情はすぐれませんでしたが、私が別れ際に「Bonne Chance!」と言った時にパッと表情が変わったこと、13歳の頃のルネとよく似て可愛らしく、握手した手はとっても柔らかくて温かだったことを、今でもはっきり覚えています。
私は職場の旅行(台湾)の予定が入っていたため、誘ってくれた友だちと東京音楽祭前夜祭には行けず、後日友だちからは、成田空港でいただいたというルネの直筆のサイン色紙が送られてきました。音楽祭は録画予約を弟にお願いしていたのに、プロ野球のオープン戦が延長になっていて録画されておらず、悲しい思いをしました。また、ナタリーは前夜祭の時に熱を出していたので、私と会っていた時は既に微熱が有り、具合が悪かったのかもしれません。
まあ、私の想い出はこの辺にして本題に入ります。
TOUT sur l'enfant star
René Simard
L'IDOLE d'un PEUPLE
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L’affaire Guy Cloutier ギィ・クルティエ事件
Une famille brisée 壊れた家族Part.1
2004年、ケベックのショービジネスの真っ只中で爆弾が爆発しました。ナタリー・シマールは、性的暴行について、ギィ・クルティエに対して苦情を申し立てました。この劇的な出来事は、シマール家を分断しました。
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▲左:ナタリーは影から抜け出し、彼女が犠牲者の一人であることを認めることに決めました。
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▲左:ルネは出来事に悲しみ、やっとのことで話しました 右:広く公表された裁判
告発は深刻でした。 ナタリーの元興業主兼プロデューサーは、1978年から2001年の間に犯した罪で告訴されました。彼は、下品な暴行、ひどい猥褻、性的暴行、武器による暴行、同一人物に対する暴行とレイプの罪で起訴されました。
当初、被害者とされる人物の名前の開示は禁止されていました。 しかし、噂は急速に広まり、一般の人々は原告がナタリー・シマールだと感づきました。クルティエは最初に罪状認否で、8件全ての無罪を主張しました。
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▲左:被告人クルティエ氏と原告ナタリー
右:デビュー当時のナタリーとルネとクルティエ氏
Condamne 判決
2回目の出頭で、彼は8件のうち5つに有罪を認めることを決定し、人々は、6年間虐待されたであろう2番目の犠牲者がいることを知りました。名前の開示は禁止されていました。
さらに、別の状況の急展開が発生しました。ナタリー・シマールは隠れることにうんざりしていました。彼女は弁護士と一緒にモントリオールの裁判所に行き、証拠の公開の禁止を解除するように求める申立てを提出しました。モーリス・ララメ裁判官がこの要求を受け入れ、歌手の名前が明らかになりました。
彼女は自分の悲しい経験を一般の人々と共有して、他の性犯罪の犠牲者を助けたいと説明し、裁判官はギィ・クルティエに懲役42か月の刑を言い渡しました。 彼は8番目の刑に服しており、人々は公の場で再び彼に会うことはありませんでした。
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▲左:これらについて書かれた芸能誌7joursの表紙
中央:ナタリーとミシェル・ヴァステル氏
右:記者会見でのルネと妻マリー=ジョゼ
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▲Michel Vastel著「Briser le silence沈黙を破って」
La relation entre Rene et Nathalie se fragilise
ルネとナタリーの関係は弱まっている
2005年の終わりに、ナタリーはジャーナリストのミシェル・ヴァステルの執筆により、「Briser le silence沈黙を破って」という本を出版しました。彼女はその中で、ギー・クルティエの数多くの攻撃性に比べ、非常に詳細な情報ですらあるすべてを語りました。しかし、途中で、ナタリーはキャリアの早い段階で彼女の保護者であった、兄のルネを非難しました。
René est blessé par certains propos de sa soeur Nathalie.
ルネは妹のナタリーの言葉で傷ついた
緊張が高まっていた2005年11月17日の記者会見で、ルネは自分自身を弁護しました。
「これらの攻撃は偽物です。そして私と私の家族に対して無礼です。彼の本は推測と省略記号の連祷です。 私は決して妹の容姿をからかったことはありません。 私は彼女に、心理カウンセラーに相談することを勧めたことは、一度もありません。 この本の著者である、職業上のジャーナリストが、特定の事実を確認し、出来事ついての私の説明を取得するために、わざわざ私に会いに来なかったことは非常に驚くべきことです。」
しかし、歌手はこの機会に彼の妹への愛を繰り返しました。
「それを読んだことで、私は特に私に関する部分で動揺しました。いくつかの章で、私は成功していないことを認めようと努めていました。 私の妹ナタリー、私は彼女を愛し、いつも彼女を愛していて、いつも彼女と彼女の成功を誇りに思っています。」
Rene se fait discret...ルネは控えめです...
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▲2005年11月17日の記者会見で
René remercie Marie-Josée
ルネはマリー=・ジョゼに感謝しています
ルネはクルティエ事件について決して語りません。 彼は振り返るのが嫌いです。しかし、確かなことが1つあります。彼のマリー=ジョゼは、いつも彼のためにそこにいます。
「マリー=ジョゼが困難を経験するとき、さまざまな理由で彼女をとらえる沈黙があります。 彼女は何も意味がないことを言わないように、何が起こっているのかを分析しようとします」
彼は、『ギィ・クルティエ事件』が勃発したとき、彼女が『非常に敬意のこもつた沈黙』をとったことを強調し、言及しました。
私はナタリーの「Briser le silence沈黙を破って」を所蔵しています。しかし、購入はしたものの、どうしても読む気にはなりませんでした。
ルネはこの本に書かれている出来事について、ジャーナリストがルネに確認することなく書いたと、記者会見で述べています。この本には、デビュー50周年記念誌に書かれていたように、この当時ルネが行き詰まっていたこと、ナタリーが「ギー・クルティエ事件」によって傷つき、ストレスを軽減するための薬の副作用で太ってしまったことをからかったというようなこと以外にも、ルネがナタリーの成功に嫉妬し、ナタリーが望むような仕事をさせなかったとか、ナタリーが幼い頃、ルネが家族に対して、王様のように振舞っていたなどと、ルネが言うように、ルネやルネの家族に対して無礼なことも書かれていたようです。
そのため、今ではfacebookでナタリーと「友だち」ですが、ルネとナタリーが和解するまで、私はナタリーが好きになれませんでした。
次回は私からのルネへの誕生日メッセージになります。その次は、「Une famille brisée壊れた家族」のPart.2で、母ガブリエルと離別した父ジャンロック氏と家族の和解のことや、ギィ・クルティエ事件後のルネとナタリーのこと。それに続いて「ナタリーとルネ・シマールの公式和解」を紹介いたします。