天狗さまの恩返し(権現山のお話)
むかしむかしのお話です。
潮来市の牛堀は香澄(かすみ)の里と呼ばれていたころのことです。
遠くから見ると、雲と水面が重なりあってかすんで見えたそうです。
その頃、牛堀の権現山には大きな松の木がたくさんあり、遠くの方からも見えたので、大きな船の船頭さんもその松を目印にして船を動かしていました。
そのころ牛堀の村の中に貧しい一軒の家がありました。
おとうさんは早く亡くなり、年老いたおかあさんと男の子が一生懸命に庄屋さまの家で、庭のそうじやお百姓の手伝いをして働いていました。
男の子の名前は与作と言って十歳位でした。
「おっ母さん、俺の家でも田んぼが欲しいな、少しでもいいから、その田んぼでとれた白い米をおっ母さんに食べさせてあげたいな」と言っていました。
この二人が住んでいる所は、村はずれの川のすぐ側の作物が何も育たない低いところで、大雨が降ると寝るところまで水が入ってきてしまう所なのです。
庄屋さまがこの低い土地は、誰の土地でもないからここに住んでいい、まわりの葦(よし)を刈って、暇な時に村の道を直したり村の道の草刈をして、それを埋めて土地が出来たらお前のものだ、と与作に言ってくれたのです。
夜は仕事の帰りに道を直して、余った土をざるに入れて運んでいるのですが、大雨が降るたびに流されてしまい、なかなか田んぼになりませんでした。
おっ母さんはまわりの葦(よし)を刈って、それでよしずを編んで村の人と食べ物と交換していました。
与作が十二歳になったとき、庄屋さまから新しい仕事をやれと言いつけられました。
それは、松の木が沢山ある権現山のふもとの三熊野(みくまの)神社のおやしろの庭掃除をすることです。
そのお社(やしろ)には、霞ヶ浦を安全に渡ってきた船の船頭さんがお礼にお参りしたり、今から霞ヶ浦を越えて土浦の方へ行く船が安全に行けるようにお参りするのです。
庄屋さまは与作に、お社(やしろ)の草取りと松の落葉を掃いてきれいにしろ、落葉は持って帰って焚き木にしていいと言ってくれました。
与作は喜んで朝は暗いうちに、夜も仕事が終わってから星のあかりでほうきで掃いて一生懸命に働きました。
お社は与作のおかげでだんだんきれいになり、船で来た旅人も気持ちよく休んでいくようになりました。
掃除した落葉は、背中に背負って家に持ち帰って低いところを埋めたり、焚き木にしたりしました。
この与作のまじめな仕事を、権現山の一番大きな太郎松の上に住んでいたカラス天狗が見ていたのです。
だれも天狗さまが松の上にいるとは思っていませんし、その姿を見た人はいません。
しかし、昔から権現山の太郎松の上の方から、大きな光の玉が安波の大杉神社にまっすぐ矢のように飛んで行ったり、大杉神社の森から光があっと言う間に太郎松まで来てしまうと言われていました。
誰にも見えないけど、太郎松には大杉神社生れのカラス天狗がいたのです。
そして、霞ヶ浦を渡る船があれば、天狗の大きなうちわでヒョイヒョイとあおいで風を送ってやり、反対に牛堀に来る船が見えたら、うちわで風をよんでやり安心して牛堀に来られるようにしたのです。
そのために、牛堀には沢山の船が集って来るようになりました。
カラス天狗も三年くらい太郎松に住んで、その次に潮来の稲荷山に行こうと大杉神社の大天狗と相談していたのです。
しかし、与作がよく働き、きれいなお社にしてくれるので、ついつい永く住み着いていました。
そして、天狗さまは自分の体の羽根を良く手入れして無駄毛を抜いてきれいにし、速く飛べるようにしていました。
天狗さまの無駄毛は落葉に混ざり、お社に落ちてそれを与作が掃いて集めて、家の低いところに埋めていました。
天狗さまの羽根は、めっぽう水に強くて水に落すと浮いて沈みません。
カラス天狗は、与作がお社をきれいにしてくれることに感謝して、松の上から羽根をたくさん落とし、与作の田んぼが水に浮くように応援していたのです。
それを知らない与作は、落葉と混ざった天狗の抜け毛を一生懸命かき集め、川の側の低い土地へ運んでいたのです。
そのうち、小さな田んぼが出来ました。
与作は嬉しくてたまりません。そして村の家の田植えを頼まれたとき、少しの苗が余っても貰って来てその低い田んぼに植えました。
庄屋さまは「与作、いくら植えても大雨が来たら水に埋まってしまうぞ」と言っていました。
おっ母さんも「与作、よしきりの巣が高いところにかけてあるので、今年は大雨が来るぞ、骨を折っても水に浸かって米は採れないぞ」といいました。
与作は村の皆に笑われようと、少しずつ貰った苗を天狗の羽根の混ざった田へ植えてみました。
そして夏が過ぎ、秋の採り入れ時が近くなって来ました。
与作の低い小さな田んぼも稲が実をつけました。
しかし、お盆が過ぎもう少しで稲刈りというとき、大雨の日が一週間も続いたのです。
そのうち、川の水がだんだん増えて大洪水になってしまったのです。
村のみんなの畑や田んぼや家までも水に浸かり、みんな権現山に登って水が引くのを待っていたのです。
権現山から村の方を見ると、一面、海のようになってしまいました。
ほとんどの田んぼが水の下になってしまいました。
水の下では稲がくさって収穫が出来ないのです。
庄屋さまも皆も、がっかりして今年は食べる米どころか来年の種子も採れない、どうしようどうしようと頭を抱えてしまいました。
権現山から見ると、今の佐原の方まで田んぼが水に浸かって海のようになっているのです。
しかし、落ち着いて水に埋まった村の方を見ると、なんと一面の水の中に黄色く色づいた稲の小さな田んぼが、島のように浮いているのが見えるのです。
何だあれは、村の人々はいっせいに見ました。
「あれは与作の田んぼだ、何であんな低い田んぼが浮いているんだ」みんな興奮しています。
枯れ木や草を下にすてて、カラス天狗の水に強い羽根を下にしているので、田んぼが水に逆らわず浮いてしまったのです。
そして、幾日かが過ぎ、水が少なくなり与作の田んぼは稲刈りが出来ました。
みんなが手伝いに来てくれたので米も採れました。
この年、他の村では米が採れず種子も無くて困ったそうです。
牛堀の村では、与作の田のおかげで、米の種子が採れ次の年も田植えが出来たそうです。
この年、他の村では米が採れず種子も無くて困ったそうです。
牛堀の村では与作の田のおかげで、米の種子が採れ次の年も田植えが出来たそうです。
権現山の庭掃除を与作が一生懸命やったので、天狗さまが自分の抜け毛や無駄毛を落してやり、それで田んぼを作ったので、与作の田は水に埋まらないで浮いて稲の収穫が出来たのです。
そのあと与作は自分の田を持ち、村の人たちに尊敬されて暮らしたそうです。
天狗さまのは体の毛をたくさん抜いてので、生えてくるまで遠くまで飛べず、大杉神社まで行くことが出来ませんでした。
その後、天狗さまは稲荷山へ行ったようですが分かりません。
おわり
※「天狗さまの恩返し」
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牛堀町募集 応募「大膳池の総合開発案」 牛堀町
採択1位 (県民の森基本構想になる) 茨城県
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