寝ていた坊様は、風が変わったのを感じて目を覚ました。空が赤く染まっている。
「これは寝過ぎたわい……」坊様は苦笑する。「今日までの命と言われておったからの、もう少しあれこれとしておけば良かったかのう……」
坊様は立ち上がった。夕焼けが次第に闇に取って代わる。珍しく月と星とが出て明るい夜空であった。
「さて、亡者どもが往くにはふさわしい夜じゃて……」
坊様は手にした錫杖を地に突き立て、念仏を唱え出した。次第に半眼となって行く。念仏が四方に流れ始める。まだ陽が暮れ落ちてはいないのに、草を踏み分ける音、恨みの籠った唸り声、合戦の雄叫びが聞こえてきた。
と、坊様の念仏が止まった。それら亡者の立てる音と違う音が聞こえたからだった。目を開け、音のする方を見る。
おときばあさんが草むらを足を動かさずに移動している姿が見えた。良く見ると、いつもは草むらにからだ半分は埋まっているのだが、この時は膝くらいまでしか埋まっていなかった。音は草を左右に分けて進むばあさんのものだった。
ばあさんは表情が無く、瞬きもしていない。
「おときばあさん!」坊様が声をかけるが、何の反応も無い。「おのれ、亡者の将め、ばあさんを操りおったか!」
坊様はばあさんに向かい走ろうとした。が、足が動かない。何者かがその足を抑え込んでいる。坊様は錫杖を振り上げようとしたが、からだも動かない。
「おのれい!」
坊様が短く念仏を唱えると、その足にはそれぞれ三体の雑兵の亡者が、絡みついていた。からだには五体の亡者が乗りかかり、しがみ付いているのが見えた。
雑兵の亡者どもは、ほぼ髑髏と化した顔で落ち窪んだ眼窩に青白い鬼火が燃えていた。坊様に絡んでいる他にも、草を踏み分けながら続々と亡者が近づいて来る。
坊様は念仏を唱えようとしたが、亡者の一体が、坊様の口に朽ち果てた手を突っ込んだ。むせ返る嫌な味と臭気が広がった。
坊様は、おときばあさんを見ている事しかできなかった。
ばあさんは「封」の石の前に来ると、その足を地に付けた。途端に石の表面から黒い邪気が湧き上がり、ばあさんの鼻と口からからだの中へ入って行った。
表情の無かったばあさんの目が爛々と光り出し、口の両端を吊り上げた。
ばあさんの口から獣のような雄叫びが上がった。それから、ゆっくりと身動きの取れない坊様に顔を向けた。
「この糞坊主めが……」ばあさんの声ではなかった。掠れた耳障りな男の低い声だった。「己れの夜毎の念仏、なんと忌々しい事であったか!」
声は亡者の将のものだった。ばあさんの鼻と口から黒い邪気が煙のように立ち上っている。
「だがな、良い事もあったわ。憎しみがわしに力を与えた。依童(よりわら)さえあれば、わしの力で封を解けるまでになったのだ」そして、屈みこんで、石に両手を据えた。「姫から伝えさせたはずじゃ。今宵が糞坊主、貴様の最期だとなあ!」
石は軽々とばあさんの頭上に持ち上げられた。石は脇に捨てられ、重々しい音を立てた。その途端、黒い邪気がばあさんから抜け出し、地へと吸い込まれた。ばあさんはふらふらとなって、その場に倒れてしまった。
つづく
「これは寝過ぎたわい……」坊様は苦笑する。「今日までの命と言われておったからの、もう少しあれこれとしておけば良かったかのう……」
坊様は立ち上がった。夕焼けが次第に闇に取って代わる。珍しく月と星とが出て明るい夜空であった。
「さて、亡者どもが往くにはふさわしい夜じゃて……」
坊様は手にした錫杖を地に突き立て、念仏を唱え出した。次第に半眼となって行く。念仏が四方に流れ始める。まだ陽が暮れ落ちてはいないのに、草を踏み分ける音、恨みの籠った唸り声、合戦の雄叫びが聞こえてきた。
と、坊様の念仏が止まった。それら亡者の立てる音と違う音が聞こえたからだった。目を開け、音のする方を見る。
おときばあさんが草むらを足を動かさずに移動している姿が見えた。良く見ると、いつもは草むらにからだ半分は埋まっているのだが、この時は膝くらいまでしか埋まっていなかった。音は草を左右に分けて進むばあさんのものだった。
ばあさんは表情が無く、瞬きもしていない。
「おときばあさん!」坊様が声をかけるが、何の反応も無い。「おのれ、亡者の将め、ばあさんを操りおったか!」
坊様はばあさんに向かい走ろうとした。が、足が動かない。何者かがその足を抑え込んでいる。坊様は錫杖を振り上げようとしたが、からだも動かない。
「おのれい!」
坊様が短く念仏を唱えると、その足にはそれぞれ三体の雑兵の亡者が、絡みついていた。からだには五体の亡者が乗りかかり、しがみ付いているのが見えた。
雑兵の亡者どもは、ほぼ髑髏と化した顔で落ち窪んだ眼窩に青白い鬼火が燃えていた。坊様に絡んでいる他にも、草を踏み分けながら続々と亡者が近づいて来る。
坊様は念仏を唱えようとしたが、亡者の一体が、坊様の口に朽ち果てた手を突っ込んだ。むせ返る嫌な味と臭気が広がった。
坊様は、おときばあさんを見ている事しかできなかった。
ばあさんは「封」の石の前に来ると、その足を地に付けた。途端に石の表面から黒い邪気が湧き上がり、ばあさんの鼻と口からからだの中へ入って行った。
表情の無かったばあさんの目が爛々と光り出し、口の両端を吊り上げた。
ばあさんの口から獣のような雄叫びが上がった。それから、ゆっくりと身動きの取れない坊様に顔を向けた。
「この糞坊主めが……」ばあさんの声ではなかった。掠れた耳障りな男の低い声だった。「己れの夜毎の念仏、なんと忌々しい事であったか!」
声は亡者の将のものだった。ばあさんの鼻と口から黒い邪気が煙のように立ち上っている。
「だがな、良い事もあったわ。憎しみがわしに力を与えた。依童(よりわら)さえあれば、わしの力で封を解けるまでになったのだ」そして、屈みこんで、石に両手を据えた。「姫から伝えさせたはずじゃ。今宵が糞坊主、貴様の最期だとなあ!」
石は軽々とばあさんの頭上に持ち上げられた。石は脇に捨てられ、重々しい音を立てた。その途端、黒い邪気がばあさんから抜け出し、地へと吸い込まれた。ばあさんはふらふらとなって、その場に倒れてしまった。
つづく
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