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コーイチ物語 3 「秘密の物差し」 190

2020年11月21日 | コーイチ物語 3(全222話完結)
「姫様のあのようなご様子、初めて見ましたわ…… ねえ、竹さん」
「本当、姫様の乙女なのですねぇ…… そうは思われませんでしたか、松さん」
 腰元二人はそんなやりとりをしながら歩いている。その後ろをコーイチは歩いている。
「あのう、松さん、竹さん……」コーイチが前を歩く腰元二人に声をかける。二人は立ち止まって振り返る。「それはどう言う事ですか?」
「あら、話を聞かれましたか……」松がにこりと笑む。「どうもこうも、申し上げた通りでございます」
「姫様は、あまりお笑いにならずお話もされず、勝ち気で男勝りの所ばかりが目に付いておりました……」竹が言う。「それが、あのように赤くなったり、駄々をこねたり……」
「そうそう、信じられない話でございますわ」
 腰元二人は顔を見合わせて「ねぇ」と言いながら、うなずき合っている。
「そうなんですか?」コーイチは不思議そうな顔をする。「ボクと二人の時は良く笑うし、良くお話もされますよ」
「まあ!」松が自分の頬を両手で挟みながら頓狂な声を上げた。「それは、コーイチさんが姫様に気に入られたからですわ!」
「あらあ!」竹も松と同じ事をする。「コーイチさん、何ともお羨ましい事!」
「でもでもでも!」コーイチは慌てて言い返す。「ボクには、逸子さんという人がいるんです……」
「コーイチさん……」松がふと真顔になる。「あなた様の事情など存じませぬ」
「左様でございます」竹も真顔になる。「コーイチさんには、この内田家を継いで、守って頂かなければなりませぬ」
「それが叶わぬと言うのであらば……」松が袂で自身の目頭をそっと拭う。「我ら内田の家は断絶。多くの者が路頭に迷う事となりましょう……」
「おおお……」竹は袂で顔全体を覆って泣き出した。「なんと言う事! 何と言う哀しき事!」
 腰元二人は涙の流れる顔を見合わせて「ねぇ」と言いながら、うなずき合っている。
「あの、そうは言いますけど……」
「コーイチさん!」松が顔を上げてコーイチを見つめる。「あなた様はご自身のお幸せために、わたしたちをお見捨てになるとおっしゃるのですか?」
「左様です、コーイチさん」竹もコーイチを見つめる。「姫様のお気持ちを斟酌なさっては下さりませぬのか?」
 二人に迫られて、コーイチは返事が出来ない。
「……とは申しましても……」松が不意にため息をついた。視線を地面に落とす。「姫様はあまりにも様変わりをなさいましたから……」
「どう言う事でございますの?」竹が松を見る。「その辺の事は存じ上げておりませぬ故……」
「そうでしたね。竹さんは姫様に就いて、まだわたしより日数が浅うございましたわね。知らぬ事でございましょう」
「……あの、ボクも関心があります」コーイチが割り込む。「お差し支えなければ、聞きたいです」
「分かりました……」松は軽く咳払いをする。「綺羅姫様はお小さい頃は、上のお二人の姫様、紗弥姫様と優羅姫様に負けぬほど、お美しい方でございました」
「そうでしたの!」竹は信じられないと言う顔をする。「それが、また、どうして、あの様な……」
「上のお二人の姫様は、早い内に嫁ぎ先が決まったのです」
「赤塚家と青山家と言う実力者の許へ、それぞれ嫁いだって聞きました」コーイチが言う。「家を守るためだとか……」
「左様でございます」松はうなずく。「それからでございます。姫様のご容姿が今の様にとなって行かれました……」
「そうなのですか……」コーイチはつぶやく。大食いで甘い物好きな姫の姿を思い出す。「お姉さん方の結婚が原因なんですねぇ……」
「綺羅姫様は内田の家を継ぐ事となりました。ところが、その事で綺羅姫様は殿様にとんでもない事を申しました……」
「どのような?」竹が身を乗り出す。「わたしはその辺のいきさつを存じませぬ故、是非……」
「楽しそうな顔をするものではありませんよ」松は竹をたしなめる。しかし、すぐにため息をつく。「姫様は、自分が内田を継ぐのなら、自分の気に入った者を婿としたい、と申したのでございます……」
「それは思い切った事を言ったものですねぇ……」コーイチは妙に感心する。「殿様は困ったんじゃないですか?」
「すでに幾人か婿の目星を付けておられたようですので、お困りでした」松も困った顔をして見せる。「ですが、姫様は一度言いだしたら引かぬお方。更には、ご容姿もあのようにおなりですので、その迫力たるや…… あら、これは言い過ぎでございましたわ」
「そう言えば、姫様は常日頃おっしゃっておられましたわね」竹が目を閉じ思い出すように続ける。「『わたくしは家の道具ではない。わたくしはわたくしじゃ』と」
「なるほど」コーイチはうなずく。「家とか、そう言う背景を気になさらないから、ボクの事もあれこれと聞かないんですね」
「左様でございます。ですが、お城では……」松が言いにくそうに話し出す。「その…… どこの馬の骨とも分からぬものが城主となるのはけしからぬと、鼻息を荒くする輩もおりまして……」
「そうでしょうねぇ」コーイチは素直にうなずく。「ボクだって、どうしたものかと悩んでいます」
「あら、ずいぶんと頼りの無い事を……」竹が言って笑う。「わたしは、姫様がお気に入られた方でしたら、全く気には致しませんわ」
「あら、竹さん、ずるいわ」松も笑う。「わたしとて同様です。姫様に従いますわよ」
「はあ、それはどうも……」コーイチは頭を下げようとしたが、姫の言葉を思い出して止めた。「……でもですね、先程も言いましたけど、ボクには逸子さんと言う好きな女性がいるんです」
「斯様な事はわたしたちの存知あげる事ではございません」
 松は言うとそっぽを向いた。竹もそれに倣う。取りつく島の無くなったコーイチはぽりぽりと頭を掻いた。
「ただ一つ申し上げられます事は……」そう言いながら松はコーイチに振り返る。「コーイチさんが姫様を拒めば、内田家はもちろんでございますが、コーイチさんのお命も……」
「ああ、そうでございますわね」竹もコーイチに振り返る。「これでは、逸子さんがどうのこうのと言っている場合ではございませんわね」
 松と竹はくるりと後ろを向いて、自分の首の後ろを、ぴんと指を伸ばした右手の小指側で、とんとんと叩いてみせ、それから、じろりと陰険な眼差しで振り返った。
「ははは……」
 コーイチは二人の眼差しに圧倒され、引き吊った笑いを浮かべている。


つづく


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