「はっはっは! 亡者の定めとはこのようなものだ。何も残らんのだ」坊様は雑兵の亡者どもに顔を向けた。「だが、己れ等はまだ大丈夫じゃ。今ならば、まだ御仏がお救い下さるわ」
言いながら坊様は樹の幹を錫杖で叩いた。小さな穴が開いた。黄金色の光がそこから直線となって漏れ出す。穴が広がり始めた。穴が広がるにつれ、その光は大きく、優しい輝きとなって行く。それを見る雑兵の亡者どもは、恍惚とした表情となって行く。
「この光は御仏の慈悲じゃ。ここに入れば成仏できるぞ。開いておる時はさほど長くはない。ささ、入って行かれい!」
坊様の言葉に誘われるように、亡者どもは次々と光の中に入って行く。
「お前たち! 何をしておる! この糞坊主を取り押さえるのじゃ!」武将は叫ぶが、誰一人振り返らない。最後の一人が穴に入ると、穴は小さくなり、消えた。「……おのれえええっ!」
「敗軍の将とは惨めよのう。肝心な時には誰も居らん」坊様は笑う。「それとも、元々己れには将としての才覚が無かったと言う事かのう」
「ぬ、おおおお、おおっ!」
武将は異様な雄叫びを上げた。からだが膨れ上がり、身に着けていた鎧を弾き飛ばし、赤く隆とした裸の上半身を晒す。角が二本、ざんばらの髪を押し分けて生えてくる。左右の口角の端から牙が伸びる。鼻が膨らみ獅子鼻と化し、目は大きく見開かれ、目尻が鋭く吊り上った。
「ほう、鬼となってしもうたか……」
坊様は錫杖を地に突き立て、首に巻いていた数珠を左手に取り、錫杖の鐶に打ちつけつつ、念仏を唱え始めた。念仏と数珠が鐶に当たる音とが響くのか、鬼は頭を抱え呻き出した。
「成り立ての鬼じゃ! 地獄へ堕ちる前に滅し去ってやろう! それがせめてもの供養じゃ!」
坊様は言うと、数珠を打ちつける手を強めた。念仏の声も強くなる。
「おうおうおうおう……」
呻きながら鬼は膝を付いた。音が聞こえぬように尖った両耳をしっかりと塞いでいる。突然、黒くどろどろした生臭い物を吐き出した。
「それは、己れの邪念! 全て吐き出してしまえい!」坊様は叱りつけるように言う。「全て吐き出し、人に戻れい!」
鬼は吐き続けた。全身からしゅうしゅうと音を立てて黒い湯気が立った。邪気が全身から抜けているのだ。
「今少しじゃ! 早う人となれい!」そう言うと、坊様は念仏を続けた。鬼が穏やかになった顔を坊様に向けた。坊様もほっとした顔になる。「……良し! これで……」
突然、鬼は禍々しい表情に戻ると、雄叫びを上げて坊様に飛び掛かってきた。
「たわけが!」
坊様は素早く錫杖を抜き取ると、鬼目がけて突き出した。
「はおうぅぅ……」
鬼は妙な息漏れの声を発した。錫杖は鬼の腹から背に突き抜けた。
「今少しで人として滅し去る事のできたものを……」坊様は悲しそうな表情を浮かべた。「この、大たわけめが!」
鬼はそろそろと後ずさった。坊様は錫杖から手を離した。鬼はそのまま仰向けに倒れた。
坊様がそこへ行くと、地に突き立った錫杖があるだけで、鬼の姿は無く、丈の高い草が風に揺れているだけだった。
「たわけが……」坊様は呟くと、念仏を唱えた。唱え終わると錫杖を抜き取った。「こやつも戦の無い時に産まれておれば、良い領主となったやも知れんな…… ほんに戦は困りものじゃ」
うっすらと東の空が白み始めた。
「ほう、もうそんなに時が経ったのか……」
そう呟くと、坊様は倒れたおときばあさんの所へ行った。ばあさんはむにゃむにゃ口を動かしながら寝返りを打った。
「はは、何とも達者なばあさんだ。これなら何も心配はいらんな」
坊様は笑いながら頷くと、空を見上げた。今日は晴れそうだ。
坊様は目を閉じ、鼻をひくつかせた。
「……次は西か……」
目を開け、険しい顔で、朝日に背を向け歩き去った。
おしまい
言いながら坊様は樹の幹を錫杖で叩いた。小さな穴が開いた。黄金色の光がそこから直線となって漏れ出す。穴が広がり始めた。穴が広がるにつれ、その光は大きく、優しい輝きとなって行く。それを見る雑兵の亡者どもは、恍惚とした表情となって行く。
「この光は御仏の慈悲じゃ。ここに入れば成仏できるぞ。開いておる時はさほど長くはない。ささ、入って行かれい!」
坊様の言葉に誘われるように、亡者どもは次々と光の中に入って行く。
「お前たち! 何をしておる! この糞坊主を取り押さえるのじゃ!」武将は叫ぶが、誰一人振り返らない。最後の一人が穴に入ると、穴は小さくなり、消えた。「……おのれえええっ!」
「敗軍の将とは惨めよのう。肝心な時には誰も居らん」坊様は笑う。「それとも、元々己れには将としての才覚が無かったと言う事かのう」
「ぬ、おおおお、おおっ!」
武将は異様な雄叫びを上げた。からだが膨れ上がり、身に着けていた鎧を弾き飛ばし、赤く隆とした裸の上半身を晒す。角が二本、ざんばらの髪を押し分けて生えてくる。左右の口角の端から牙が伸びる。鼻が膨らみ獅子鼻と化し、目は大きく見開かれ、目尻が鋭く吊り上った。
「ほう、鬼となってしもうたか……」
坊様は錫杖を地に突き立て、首に巻いていた数珠を左手に取り、錫杖の鐶に打ちつけつつ、念仏を唱え始めた。念仏と数珠が鐶に当たる音とが響くのか、鬼は頭を抱え呻き出した。
「成り立ての鬼じゃ! 地獄へ堕ちる前に滅し去ってやろう! それがせめてもの供養じゃ!」
坊様は言うと、数珠を打ちつける手を強めた。念仏の声も強くなる。
「おうおうおうおう……」
呻きながら鬼は膝を付いた。音が聞こえぬように尖った両耳をしっかりと塞いでいる。突然、黒くどろどろした生臭い物を吐き出した。
「それは、己れの邪念! 全て吐き出してしまえい!」坊様は叱りつけるように言う。「全て吐き出し、人に戻れい!」
鬼は吐き続けた。全身からしゅうしゅうと音を立てて黒い湯気が立った。邪気が全身から抜けているのだ。
「今少しじゃ! 早う人となれい!」そう言うと、坊様は念仏を続けた。鬼が穏やかになった顔を坊様に向けた。坊様もほっとした顔になる。「……良し! これで……」
突然、鬼は禍々しい表情に戻ると、雄叫びを上げて坊様に飛び掛かってきた。
「たわけが!」
坊様は素早く錫杖を抜き取ると、鬼目がけて突き出した。
「はおうぅぅ……」
鬼は妙な息漏れの声を発した。錫杖は鬼の腹から背に突き抜けた。
「今少しで人として滅し去る事のできたものを……」坊様は悲しそうな表情を浮かべた。「この、大たわけめが!」
鬼はそろそろと後ずさった。坊様は錫杖から手を離した。鬼はそのまま仰向けに倒れた。
坊様がそこへ行くと、地に突き立った錫杖があるだけで、鬼の姿は無く、丈の高い草が風に揺れているだけだった。
「たわけが……」坊様は呟くと、念仏を唱えた。唱え終わると錫杖を抜き取った。「こやつも戦の無い時に産まれておれば、良い領主となったやも知れんな…… ほんに戦は困りものじゃ」
うっすらと東の空が白み始めた。
「ほう、もうそんなに時が経ったのか……」
そう呟くと、坊様は倒れたおときばあさんの所へ行った。ばあさんはむにゃむにゃ口を動かしながら寝返りを打った。
「はは、何とも達者なばあさんだ。これなら何も心配はいらんな」
坊様は笑いながら頷くと、空を見上げた。今日は晴れそうだ。
坊様は目を閉じ、鼻をひくつかせた。
「……次は西か……」
目を開け、険しい顔で、朝日に背を向け歩き去った。
おしまい
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