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憂多加氏の華麗な日常   6) 雪国の彼女

2021年01月23日 | 憂多加氏の華麗な日常(一話完結連載中)
 憂多加氏は旅に出た。まとまった有給を取り、北国へと向かった。テレビの旅番組を何気なく見ていて、一面の雪景色を見た途端、体験したくなったと言う訳だった。
 まとまった有給は難なく取ることができた。日頃の真面目な勤務態度のお蔭だと憂多加氏は思っているが、実際は一人いなくても困らない閑職的な部署だったからだ。
 某有名小説の書き出しを体験したくて、憂多加氏は列車の旅にした。北へ向かうにつれて、窓が白く曇って行く。それを見ていると、何となくひんやりとしてきた気がする。はて幾つめのトンネルだったろうか、それを抜けると、いきなり雪景色が飛び込んできた。憂多加氏は言葉にならない感動を覚えていた。
 途中で乗り換えをして、各駅停車の二両編成のローカル線に乗る。乗り換えてから、さらに北へと数駅進み、宿のある駅に着いた。下車する。平日のせいもあり、降りる客は少ない。地元の人たちばかりだった。足早に改札へと向かっている。
 昼間だと言うのに薄暗い。雪は降ってはいないが、空はどんよりと曇っている。乗り換えの駅では晴れていたのだが。ホームに降り立つと、鼻と頬と耳がきんと冷えて、痛くなってきた。着ているコートの襟を立てるが、春秋用なので寒さをしのぐには厳しい。防寒下着を着てはいるものの、都会仕様では本場の寒冷地ではあまり役に立たない。次第に手足も冷えてくる。
「やれやれ、こんなに寒いとは……」
 憂多加氏は独り言を呟きながら息を吐く。真っ白な吐息が消えずに残っている。
「ほう……」
 憂多加氏は漂う自分の吐息を面白がった。そして、子供のように幾度も息を吐く。しかし、急にからだを震わせる。
「……それにしても寒いものだな。凍えてしまいそうと言うのは、この感覚の事なのかな……」
 憂多加氏は己がからだを己が腕で抱きしめる。しかし、寒さは治まらない。車両も人も居なくなったホームを見回す。異様なほど、しんとしている。取りあえずは改札を出て待合室まで行こうと、憂多加氏は歩き出す。
「もし……」
 ふいに背後から声をかけられた。憂多加氏が振り返ると、白い着物を着た三十路を少し超えたくらいの、長い黒髪も艶やかな、美しい女性が微笑みながら立っていた。
「はい、何でしょう?」憂多加氏は答える。こんな美しい女性に声をかけられるのは久し振りだった(実際は初めてと言っても良い)。「……寒くは無いのですか?」
「ほほほ、わたくしはここの在の者ですから、平気なのですよ」女性は品良く笑って言った。「あなた様は旅行でいらしたのですか?」
「はい、そうです」女性の丁寧な物言いに好感を覚える。「テレビの旅番組でこちらの雪景色を拝見して、是非体験したいと思いましてね」
 憂多加氏は素直に答える。そして、地元の人と言うのは寒さに強いのだなと、素直に感心する。
「左様でございますか」女性は頷いた。さっと吹いてきた風に女性の着物の裾が舞い、白い脛が覗いた。女性は慌てて裾を押さえる。「……あら、はしたない。何ともお恥ずかしい事で……」
「いえいえ……」詫びる女性に憂多加氏は言う。「……それにしても、お美しいですね」
「この雪景色が、でございますか?」女性はすっと憂多加氏の方へと歩む。「わたくしには見飽きた景色でございますわ……」
「いえ、僕が言ったのは、この景色の事ではありませんよ……」憂多加氏は女性を見つめて言う。「……あなたの事ですよ」
「まあ!」女性は驚いた表情をし、次いで頬を染めた。白の中でその色は映えていた。「初対面の女性をおからかいになるものではございませんわ……」
「いえ、初対面であろうがなかろうが、僕はあなたに運命的なものを感じました。あなたもそうお感じになったから、僕に声をかけて下さったんじゃありませんか?」
 憂多加氏は言いながら、こんな積極的な自分に驚いていた。憂多加氏は女性を見つめる。恥じらいつつも、決して拒否するようには見えないその姿に、憂多加氏は何やら強い確信を抱いていた。
「僕は憂多加と申します。あなたは……?」
「わたくしは…… 雪と申します」
「ほう、まさにこの地の申し子のようですね」
「左様ですわね……」雪は、つと空を見上げた。「春は遅く、夏は短く、秋はたちどころに去り、後は永い永い冬…… 一面の雪景色は、住んでいる者には、まるで呪いのようですわ」
「そうなのですか……」憂多加氏は頭を下げた。「僕は地元の方の心も知らず、はしゃぎ気分でやって来てしまいました。申し訳ない……」
「ほほほ、正直な方ですわね……」雪は優しく笑う。「ふざけた輩であったなら、罰を与えようかと思っておりましたが、あなたはそうでは無いようですわ……」
「え? どう言う事ですか?」
 雪は微笑みながら憂多加氏の目の前に立つ。不意に右手を伸ばすと、手の平で憂多加氏の両目を覆った。思わず目を閉じる。ひんやりとした感触が瞼に広がる。
「本来ならば、凍えさせて命を奪う所なれど、免じてくれようぞ……」
 古臭い言葉遣いをする雪の声が、遠くから聞こえてくるようだ。目を閉じたままの憂多加氏には訳が分からなかった。
 しばらくすると、からだは温かくなってくるのが分かった。
 憂多加氏は目を開けた。最初に見えたのは駅員服の頭の薄い年配の男性だった。その後ろには地元の男女幾人かが心配そうな顔をしているのが見えた。
「……ここは?」
 憂多加氏は掠れた声で言う。
「気が付いたかい。良かった良かった」駅員は頷く。「ここは待合室だよ。あんたはホームで倒れていたのさ。寒過ぎたんだろうね。都会から来る客の中に、たまぁに居るんだよね。なんて言ったっけ? ヒートショックだっけか?」
「……はあ、そうでしたか……」憂多加氏は寝かされていた長椅子から起き上がる。「……ホームには他に誰か居ませんでしたか?」
「いや、誰も居なかったよ。誰か居たって言うのかい? そりゃ、気を失っている間に見た夢だよ」
「夢…… ですか……」憂多加氏は溜め息をついた。「白い着物を着た美しい人で、名前を雪と言っていたんですよ……」
「ははは、なんとまあ、雪女の夢を見ていたのかい」駅員は笑う。周りの人たちも笑った。「ま、凍え死にさせられなくて、良かったなぁ。ははは……」
 回復した憂多加氏は、駅員に礼を言い、待合室を出た。小さな駅前ロータリーにタクシーが数台並んでいる。陽が射してきた。それなりに温かい。雪を踏みしめるときゅっきゅっと鳴った。
「やれやれ、夢だったのかぁ……」憂多加氏は呟く。「……現実では女性に縁が薄いけど(本当は全く縁が無いと言って良いだろう)、夢でも縁が薄いとはなぁ……」
 憂多加氏はタクシーに乗り込み、宿の名を告げる。タクシーが動き出す。何気なく駅を見た。
「あれ?」
 憂多加氏は思わず声を上げた。
 白い着物を着た三十路を少し超えたくらいの、長い黒髪も艶やかな、美しい女性が微笑みながら立っていたのが見えたような気がした。タクシーは駅を背にして走り出した。憂多加氏は振り返り、リアガラス越しに駅を見たが、誰も立ってはいなかった。
 

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