どうやら町興しのB級グルメのようでした。
大湊コロッケと言うのもあったような。
この記事を読んで感じたのは横須賀と大湊って似てるんだなと言う事でした。
古くからの海軍の町、戦後はGHQも訪れたりしてるし似てるんでしょうね。
ただ私と妻はむつ市に生まれながらそこに住み続ける事に非常に息苦しさを
覚えたものでした。
結局、県外の大学に進学して故郷に戻る事はなかったのです。
妻と結婚する前提で住む所を考えた時に就職試験を受けに訪れた横須賀市の街並みは
私にとって非常に居心地のいいものでした。
同時に”ここなら彼女も喜んで住んでくれそうだ”とも思ったものです。
横浜への憧れもなく、周辺の鎌倉・逗子・葉山にも興味がなく
私は横須賀の会社に入る事を決め、横須賀に住み、結婚して妻を横須賀に呼んだのです。
そして仕事の都合で東北に行く事になった時、私は家族を横須賀に残して
単身赴任の道を選んだのでした。
定年を迎えたら横須賀に戻ってノンビリ家族と暮らせればいいかな?とね。
ここで改めてやっぱり横須賀市がむつ市(大湊)に似ている事で安心感があったんだな
と思いました。
では何故故郷むつ市に感じた息苦しさを覚えなかったのか?
それは横須賀市特有の”どこの国、地方の人が来ても受け入れる”雰囲気があったから
だと夫婦の間では結論付けています。
米軍も駐留しているわけだし色んな人が出たり入ったりしているわけだし
どんな人が来てもおおらかに迎え入れてくれる印象が最初からあります。
故郷の悪口を書きたくはないですが子供の頃からむつ市は他人と違う事を
言ったり思ったりする事を認めない雰囲気があったのです。
それを理解して同化して人生を送る事が私にはできなかった…
そして高校の同級生である妻も同じ意見でした。
だからこそ県外の大学に進んで偶然一緒だった同郷の同級生は
一緒に故郷に帰るのではなく一緒に故郷から離れる事を選んだのでした。
もうむつ市に帰る理由も私にはなくなっています。住む事はないでしょう。
妻の家族はむつ市にいるからたまに帰省する事はあるのでしょうがその際には
少しくらい居心地のいい雰囲気を味わえたら嬉しいです。
大湊海自カレーと大湊コロッケはその時にでもいただくとします。
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