13日に旧友たちと都心でおしゃべりしたあと、深夜日付が変わるころ座間から信州へと向かう。国道246号、秦野中井インター、御殿場までは主義に反して東名高速道も併用する。時間短縮の為のやむなき手段だ。足柄SAは午前の一時でも超満員、レジャーや帰省する人々の仮眠休憩のクルマでごったがえしている。旧盆にかかわるようなクルマ旅は初めてのことだ。ここでコーヒーを飲んで眠気を飛ばす。
信州への二日間の最初の寄り道場所は茅野や諏訪にも近い富士見高原とする。1990年代までは甲府にある「アローン」というジャズバーの野口さんと組んで八ヶ岳のジャズフェスティバルに関係していたことがある。小淵沢インターから近い公園のような草原のようでもある広場の野外ライブにはピットイン系のジャズマンが沢山出演していた。アメリカ帰りの大西順子の演奏を初めて聞いたのもこのフェスティバルだった。フェスティバルの前後に寄り道した場所には原村、清里、大泉等があって鱒釣りやハイキングも楽しめた。
しかし尾崎喜八等の詩作に登場する富士見高原は永いあいだ憧れの土地だったが立ち寄る機会はなかった。御殿場インター、須走、篭坂峠、山中湖、河口湖、御坂峠、御坂トンネル、ヘヤピンカーブが続く深夜の道では睡魔には襲われる閑もない。途中、闇の中の道路際で計三匹の鹿を目撃する。猿は寝ているが鹿は起きている。鹿は夜行性動物ということを再認識する光景だ。河口湖付近の「セブンイレブン」では夜行性若者のクルマに混じって2時間ほど仮眠する。駄菓子やコーヒーを買っているから店員も文句は言ってこない。持参のコールマン製羽毛寝袋の出番だ。仮眠後は夜も白み始める御坂の長い下り坂を一気に下って旬が終わりかけている一宮近辺の桃林の淵でその香りをたっぷりと吸い込むことで夜明け時間を過ごす。甲府から韮崎までの国道20号は生憎の小雨に霞んで左前方に連なっている南アルプスが拝めない。残念だが韮崎をすぎると豊饒な真夏の田舎道が白州にかけて広がってそのニュアンスが豊かな緑のある景色はどこまでもあきることがない。
富士見の手前には白州や上蔦木という集落があって付近の山村から集まってくる野菜や食材の「道の駅」がある。ジャージー種の乳牛から搾ったアイスクリーム、都会には出回ることもない硬い皮が特徴の桃、大粒のブラックベリーをつまんでから憧れの富士見駅へ向かう。小雨に煙る木造建築の駅舎は四季派の詩人に愛されてきた抒情の風格である。標高950メートル、明治37年には飯田町(今の飯田橋)始発の官鉄中央線の終点がこの富士見駅だったと駅舎の説明板に記されている。白樺の梢、旅人を送迎する向日葵、駅前の花壇には百合の香りがむせている。気温は23度、蒸し暑い関東の都市では信じられない冷涼な空気だ。
駅舎の待合室に接している蕎麦屋があってこれもJR東日本がやっている人を食っているような蕎麦屋かと疑わしかったが、どうも経営はちがうようだ。「かけ蕎麦」が280円、この熱い汁蕎麦に舞茸の天ぷらをトッピングしてもらう。太めの二八蕎麦は香りも腰もあってJR蕎麦チェーンの味とは高原の空気もプラスして格段の差を感じる。
満腹後は昔の結核療養所だった病院を眺めて駅付近を散策する。小雨が降ったりやんだりの入笠山牧場の裾野にある武智温泉で疲れをとろうと寄ってみたがなぜか休業している。そこで次の目的地松本・安曇野へ行く前に、富士見の福祉施設兼用温泉にて入浴休憩をとる。単純硫黄泉のかけ流し、地域外の客は時間制限もなく600円の入浴料だ。こんこんと湧きだす浴槽を独占できる喜び、入浴後も畳部屋で寝転ぶこともできた。ここから茅野、諏訪、塩尻、松本というコースは信州の即興旅のメインディッシュみたいなものである。
まだまだ蒸し暑い夏が続いていますね。春樹さんとは
彼がデビューする前から知り合いでした。よく千駄ヶ谷
の店ではビスケットを粉末にしてチーズケーキの素地を
作っているところを目撃していました。デビュー直後に
ジャズ専門誌のお初インタビューを務めたのもよい思い
出になっています。彼と学生時代に和敬会館?で同室
していた奇人として描かれている岐阜のSさんとも知り合いでした。春樹氏はえらぶったところのない稀有の感性を保持している人です。秋は古本漁りでもしましょう。
なかなか涼風がよせてきませんね。
先日はYさんとの再会を手引きしていただき感謝です。
こんどは座間で時事放談といきましょう。
お誘い有難うございます。秋の色が濃くなってきましたら日帰りツアーに乗らせてください。どのへんが面白いのかお任せします。