岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

2 忌み嫌われし子

2019年07月16日 17時55分00秒 | 忌み嫌われし子

 

 

1 忌み嫌われし子 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

1234567891011あとがき忌み嫌われし子幼少時代、私は幸せか不幸せかといったら、間違いなく後者だった。父親はよそで女を作り、私と母親を捨てて出て行った。残されたもの、...

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 仕事を終え、真っ直ぐ我が家に帰り、家族揃っての夕食を取る日々。
 佳奈を寝つかせると、みゆきは私の腕を枕代わりに乗せてくる。
「おいおい、何だよ。たまにはゆっくり寝かせてくれよ」
「いいじゃないの。いつまで経っても仲良しでいられる夫婦でいたいんだし」
 確かにみゆきの言う通りだった。卓を失った頃のみゆきの表情は二度と見たくない。あんな表情になるぐらいなら、ベタベタしていても笑顔のほうがいい。
「今頃さ、あの子が生きていてくれたらって何度も思うんだ……」
 みゆきは天井を見つめながら静かに言った。
「卓か……」
 確かにあの子が生きていれば、どれほど幸せだっただろうか。
「うん……」
「……」
 未だ脳裏から離れない卓の水死体。
「ごめんね。あの時、私がしっかりしていれば……」
 妻はまだ自分自身を責め続けていたのだ。
「君が謝る事なんてないよ。その分、佳奈がしっかりと明るく元気に成長してくれている」
「うん……」
「過ぎてしまった事なんだ。これ以上自分ばかり責めないで」
「でも……」
「気持ちは分かるよ。でもそれを言ったら誰のせいにしたらいい? 私たち夫婦で責任をなすりつけ合ったところで、あの子は戻ってこないんだ」
 それにみゆきのあんな顔も、もう見たくない。あえて口には出さなかった。
「今でも夢に見るんだ……」
「そりゃあ私だって見るさ」
「……」
「私はさ、みゆきと佳奈が笑顔で明るくいてくれれば、それで幸せさ」
 そう言いながらみゆきの手を力強く握る。
「あなた……」
「ずっと笑顔でいられるよう一緒に頑張ろうな」
「うん……」
 私はこの日、愛情を込めて妻を抱いた。


 次の水曜日になるのを、まだかまだかと、楽しみにしている自分がいた。
 今のところ私一人では、ブログの更新も何もできないのである。部下の河合に頼るしか方法はなかった。
 ここ最近水曜日だけはお互い残業もせず、ひたすら定時まで仕事をするといった状態になっている。誰の誘いでも断り河合を連れ、我が家へ帰る日。
 この間コメントをくれた新宿トモさんに、気まぐれマダムさん…。どんな人なのだろうか。初めてコメントをくれた二人。いいイメージしか湧いてこない。
 新宿トモさんは、名前の通り、新宿で住んでいる人なんだろうか。年は若いような気がする。危険な香りがしているような感じも受ける。
 気まぐれマダムさんは、すごい大金持ちの美人妻といったところだろうか。とても上品で本物のブルジョワ階級…。いや、考え過ぎか……。
 私は単なる平凡なサラリーマン。どんな人たちが、ブログをやっているのだろうか。
 河合が横に座り指導されながら、早速今日の新しい記事を書き始めた。

『ご機嫌パパ日記 その五』 気まぐれパパ

 こんにちは、気まぐれパパです。日記その四で、初コメントをいただき、何だかくすぐったいような感じですが、嬉しいという感情でいっぱいです。
 こんな平凡な日記を見て、しかもコメントまでいただけるなんて、恥ずかしいやら嬉しいやらで少し困惑しています。
 新宿トモさん、気まぐれマダムさん。コメントをありがとう!

 簡潔に記事を書き終えると、私は河合に聞いた。
「ねえ、河合君。コメントをくれた人たちには、どうやって返せばいいんだい?」
「ちょっとマウス、いいですか?」
「ああ、どうぞ」
 河合は、手馴れた手つきでマウスを巧みに操作する。
「いいですか? まず、このその四でのコメント……」
「うん」
「新宿トモと、気まぐれマダムっていますよね?」
「ああ」
「そのコメントの下…。名前の下に、アドレスあるじゃないですか?」
「アドレス?」
「HTTPから始まる相手の住所みたいなものです」
「え、住所? どこに住所なんてあるんだい? 何県なの?」
 私の台詞に河合は呆れたような表情を見せ、大袈裟に溜め息をつく。
「まったく頭固いなあ~…。いいですか? アドレスっていうのは、このインターネット上にある住所の事なんです」
「え、何それ?」
「う~ん、分かりやすくいうとですね。空…、いや、宇宙でいいです。宇宙に住所って言ったって分かります?」
「いや、そっちはさっぱり詳しくない」
「無限の空間じゃないですか。でも、宇宙にそれぞれが自分の場所というものを持っていたとしたら、ある程度の場所を表す取り決めがないと混乱しますよね?」
「まあ、そうだね」
「だから個人の場所。ネット上でのスペースを表示する住所なんですよ」
「へえ、じゃあ、新宿トモさんって、新宿なんだ?」
「何を言っているんですか…。それは名前の上だけでしょ。俺が言いたいのはですね…。う~ん、まあいいや…。とりあえず課長、マウスでそのアドレスの上をクリックしてもらいますか?」
「何で?」
「いいから言われた通り、やって下さいよ」
「は、はい……」
 まったく短気な部下を持ったものだ。分からないからその事を聞こうとしているだけなのに…。あとで今日の食事は漬物と味噌汁だけで充分だって、妻のみゆきに言っておこう。
 指示された通り、アドレスをクリックしてみる。
「おぉっ!」
 パソコンのモニタ上に、別枠のものが現れる。
「おい、河合君。何だね、これは? 別のウインドーが勝手に開いたぞ?」
「何をこれぐらいで驚いているんですか。今、気まぐれマダムのアドレス押したでしょ。だからマダムのブログの窓が、開いただけじゃないですか」
「窓って?」
「もう…。今さっき、自分でウインドーって言ってたじゃないですか」
「あ、ああ…。なるほどね…。それにしても河合君。名前も知らない同士なのにマダムとか呼び捨てにするのは感心しないなあ」
「そんな事いいじゃないですか。課長は、芸能人を呼び付けで呼ばないんですか?」
「え……」
「それと似たようなもんですよ。まだ覚えてもらわないといけない事、いっぱいあるんだから、そんなどうでもいい質問や無駄話は避けて下さいよ」
「あ、はい……」
 こんなやり取りをしている間に、モニタはマダムさんのブログが完全に開いていた。

『気まぐれマダム』 気まぐれマダム
 我が家の姫

 おカマの日(笑)。四月四日に生まれた姫のお宮参り、明日の予定だったのに、お天気悪いらしい~。
 来週に延期になりそう……。
 今日のブログ、前のところから引越しを試みたけど、調子はどうかな。

 気まぐれマダムさんも、まだブログ、始めたばかりだったんだ。いや、前もブログをやっていて引越し…。どういう意味だろうか。調子はどうとか…。体の具合でも悪いのだろうか。
「ほら、課長。ここにコメントを投稿するって、あるじゃないですか?」
「ああ」
「押して下さい」
「でも、体調悪いみたいだし……」
「はあ?」
「いや、調子はどうかなって書いてあるから、またの機会にしたほうが、いいんじゃないのかな」
「……」
「なんだい河合君?」
「あのですね…。どこが体の具合悪いなんて、書いてあるんですか?」
「いや、引っ越したばかりで、疲れたのかなと……」
「……」
「どうしたんだよ、河合君」
「引越しって、他のブログから、たまたま新しく引っ越してきたってだけじゃないですか。ちゃんと文章読んで下さいよ~。そんな事、気にしないでいいから、とっととマダムの記事見て、コメント書いて下さいよ。俺、会社終わってから、まだ、飯も食ってないんですよ。早くして下さい」
「そ、そんなピリピリするなよ……」
「早く」
「はいはい……」
 明日、会社で何かミスをしたら、逆に怒鳴ってやろう。内心そんな事を思いながら、私はマダムさんの記事へコメントを書き出した。
 姫のお宮参りという事は、名前の通り、ご結婚されて、まだ若い奥さんなんだな。文章全体が可愛らしく感じる。きっと清楚で美人な奥さんなのだろう。

(気まぐれパパ)
 はじめまして、コメントありがとうございました。
 明日、天気が良ければいいですね。陰で良くなるよう祈っております。
 引越し、お疲れさまでした。

「そしたら、投稿ボタン押して下さい」
「……。おぉ…。すごいねぇ、河合君。私のコメントが、ほら」
「はいはい、すごいですよ。さ、次、行きましょう」
「え、次って?」
「新宿トモって奴ですよ。コメントしなくていいんですか?」
「あ、ああ…。そうだったね」
「さっきと同じように今度は、新宿トモのアドレスをクリックして下さい」
 なるほど、これがアドレスという訳か…。パソコンって本当に便利なものである。私は自力で、新宿トモさんのブログへ行けたのだ。
「おお…。音楽が鳴っているよ、ここ…。これはドビュッシーの月の光かな?」
「音楽ぐらいで驚かないで下さいよ。そんな事したら本当は開くの重くなって、みんな嫌がるんですから」
 本当にこいつは細かい奴だ。明日から仕事中は私も、もう少し厳しく接してやろう。
「でもこの鳴っている曲、新宿トモさんって人が実際に自分で演奏した曲だって書いてあるよ?」
「そんなの本当かどうかなんて、誰も分からないじゃないですか。何の証拠もないんだし」
「まあそうだけどさ……」
「それにドビュッシーの月の光でしょ? 俺なら断然、ビゼーを選曲しますけどね」
「ビゼー?」
 キーボードのescキーを押す河合。新宿トモさんのブログから聴こえていた月の光の音楽が途端にやむ。
「今、何をしたの?」
「このキーを押せば、こうやって自動で流れる音楽を止める事ができるんですよ。社内でこっそりインターネットをしている連中にしてみれば、いきなり音楽が聴こえてくる訳ですから、いい迷惑なはずですからね」
「そう言いながら河合君も仕事中サボって、しょっちゅうインタネットで遊んでいるんだろ?」
「へへへ、鋭いですね。それよりジョルジュ・ビゼーって知らないすか?」
「ああ、聞いた事がない」
「有名な曲だとカルメンとかそうですよ」
「あのチャンチャカチャカチャカ、チャンチャカチャカチャカ、チャンチャカチャカチャカチャーって曲?」
「そうです。ちょっと音程外れてますけどね。それは歌劇カルメンの前奏曲です。ビゼーは、フランスのパリで千八百三十八年に生まれた偉大なる音楽家なんですよ。敗血症という病気で三十六歳の若さで亡くなり、そのあとで世界的に認められるようになったんです」
「なかなか博学だね~」
「でも俺は有名なカルメンよりも、アルルの女が好きなんですよね」
「アルルの女?」
「ええ、課長じゃ知らないか……」
「何だ、嫌味な言い方をするなあ」
「ちょっと待ってて下さい。ネット上に多分落ちていると思うから」
 河合は私からマウスを奪い取り、キーボードに文字を打ち込みながら画面を凝視している。
「お、あったあった。いいですか? まずアルルの女は前奏曲から始まり、メヌエット、アダージェット、カリヨンまでが第一組曲なんです。次にバストラール、間奏曲、メヌエット、ファランドールの第二組曲で編成されているんです」
「何か貴族たちがパーティーでダンスに使うような曲だけど、若干寂しさを感じさせる曲だね」
「結構悲しい物語なんですよ、アルルの女って曲は」
「へえ」
「南フランスの地主の息子であるフレデリという男の話を曲で現しているんです。課長、アルルって知ってます?」
「分からない……」
「フランスの南部にある一番大きい市です。フランス四大河川の一つであるローヌ川の分岐点にあり、絵で有名なゴッホも、このアルルは描いた絵の題名につけるぐらい有名な市です」
「河合君、君にそんな芸術的な一面があろうとは」
 私はポカーンと口を開けたまま、彼を見ていた。
「中でも俺が好きなのが、第二組曲の二曲、間奏曲なんですよ。これです」
 耳を澄ませたまま河合お薦めの曲を聴いてみる。
「何とも言えない寂しい曲だな~」
「嫌いですか? こういうの」
「いや、不思議と心が癒されるかも……」
「アルルにある闘技場いた美しい女を見て、一瞬にして心を奪われたフレデリ。彼にはヴィヴェットと言う許婚がいたが、彼女の献身的な愛もまるで通じないぐらい、フレデリは正気を取り戻せないでいた……」
 河合は淡々とアルルの女の話を言い出した。何か特別思い入れのある曲なんだろう。私は黙って聞く事にした。
「日に日に衰えていく恋わずらいのフレデリ。見るに見かねた彼の母親は、アルルの女との結婚を許そうとした。それを人づてに聞いた許婚のヴィヴェットは『それが彼の幸せの為なら』と身を引こうとする。彼女の真心を知ったフレデリは、アルルの女を忘れ、ヴィヴェットとの結婚を決意した。幸せな二人の結婚式の夜、意地悪いカウボーイのミチフィオが現れ、今夜アルルの女と駆け落ちする事を新郎であるフレデリへ伝える。それを聞いたフレデリは嫉妬に狂い、祝いの踊りファランドールが賑やかに踊る中、機織り小屋の階上から身を躍らせて自ら命を絶った……。これがそのファランドールの曲です」
 そう言って河合は別の曲を選択した。
「最初に聞いた前奏曲だっけ? 出だしがあれと感じが似ているね。最後の曲だけあって音響がいっそう派手に聴こえるけど……」
「アルルの女の話を聞いて、どう思いました?」
「う~ん、まあ昔の曲だから設定も昔のままだと思うんだけどさ、それを差し引いても主人公のフレデリだったっけ? ちょっと彼はわがままだよね。婚約者がいるのにひと目見たアルルの女に惚れて、今度はまた婚約者に行ってさ。挙句の果てに結婚式当日なのに、嫉妬に狂って飛び降り自殺をした訳だろ?」
 私がそこまで言うと、河合は大きな声で笑い出した。
「でしょ? 課長もそう思いますよね? 俺もこの話、さっきまで真面目に話していましたが、フレデリって奴、ほんとわがままだなって思うんですよ。この話で重要視するのが俺は意地悪なカウボーイのミチフィオだと思うんです。だって結婚式ってめでたい席にわざわざこんな事を言うんですからね。よほどフレデリって奴は恨まれていたんでしょう」
「でもさ、嫉妬に狂って飛び降り自殺をするぐらいなんて、よほど酷い事を吹き込んだんじゃないのかな」
「さあ、あくまでも当時の作り話でしょうから、詳しくは知りませんけどね」
「まあねえ」
「だから俺はこのミチフィオって人物が、この話の中じゃ抜群に好きなんですよ」
「趣味悪いな……」
「あ、いっけね。話がそれ過ぎましたね。新宿トモの月の光から、話が大幅にずれちゃいました。ブログの事に集中しましょう」
 河合はそう言いながらマウスを私に戻してきた。

『新宿の部屋』 新宿トモ
 生きるという事について

 数年前まで俺はイケイケだった。正々堂々をコンセプトに様々なジャンルへ挑戦してきたつもりだ。
 唯一の自分の武器が、いつ倒れても構わないというものだった。自分の好きなように、やりたい事をやってきたのだ。いつ倒れても悔いはない。
 ずっとそう思ってやってきた。
 プロレスへの挑戦。バーテンダーとして酒とサービスについての追求。歌舞伎町裏稼業での仕事。総合格闘技への挑戦。ピアノへの挑戦。小説へのチャレンジ。
 すべてが自分には貴重な体験で、非常に勉強になった。色々なものに接触して、成長できたと感じる。現在、小説を頑張っている。ずっと書き続けたい。
 気がつけば、応援してくれる人も徐々に増えた。馬鹿にされたり、中傷しかしない人間もいるけど、応援してくれる人の為にも挫けず頑張っていきたい。そう思うと、まだまだ倒れる訳にはいかず、生きて頑張らないとって思う。

 文章から察するに、若い男という印象を受けた。
 随分と色々な事をやってきているんだなと感心する。プロレスと小説なんてすごいミスマッチだ。それにピアノも。
 あまりまともにとらえてもしょうがないか。
 どこまで本当の事だか分からない。このブログの世界では、嘘と偽って自分を表現する事も可能だからだ。
 ジッと記事を眺めていても、また河合の奴がグチグチとうるさいだろうから、早めにコメントを書く事にした。

(気まぐれパパ)
 はじめまして、気まぐれパパです。コメント、ありがとうございました。今になって一度、過去の自分を振り返り、見つめ直しているのですね。
 人生は自分のものです。悔いのないよう頑張って下さい。

 二回目となれば、操作も手馴れたものである。もう河合に頼らなくても、私は自分自身でコメントを書けるのだ。
 勝ち誇ったように河合の顔を見ると、呆れた表情をしている。
「コメントを返せるようになったぐらいで、そんな得意面されても……」
「今日でレッスンも五回目。その気になれば、私は吸収率が早いのだよ」
「じゃあ、そのレッスンも今日で終わりにしますか? まだ課長は画像の貼り付けとか、リンクの作り方とか、色々な事を知らない」
 嫌な笑い方で俺を見る河合。確かに今の状態で天狗になっている場合ではないのである。まだまだ私は、色々と学びたい事があるのだ。
「い、いや…。これからも、お…、お願いします……」
「分かってますよ。いいブログ、作りましょうね」
 妻のみゆきは、前回よりも、さらに豪華な夜食を作っていた。
 デミグラスソースのロールキャベツ。
 ペペロンチーノのパスタ。
 ポテトのホイル焼き。
 ふんだんな野菜を使ったサラダ。
 カボチャの煮つけ。
 それにチキンカツと、いつもの食卓よりも出ている品数が豊富だ。
 悪い事ではないが、いまいち歯痒い部分もあった。
 この家だって、この豪華な食事だって、私が汗水流して働いているからこそだ。私に気を一番使うのが、本来の趣旨ではないのか……。
 河合を楽しそうに見つめるみゆきを眺めながら、ついこんな事を思っている。嫉妬心だろうか。いや、すっかりマンネリ化した夫婦生活を送っている私は、妻に対し女として見ていない事実を自覚していた。
 では、この歯痒さは、一体何なのだろう?
 娘の佳奈までが、私よりも部下の河合になついているせいだろうか。
 パソコンのブログという新しい世界を知ってしまった。最近水曜日が待ち遠しい。こうなったのも週に一度来る河合のおかげである。
 しかし何故、こんなにヤキモキしているのだ?
 とりあえず明日からは、一人で記事を書けるようにしてみよう。

 部下の河合は来る度に様々な新しい技術や、やり方を私に教えてくれた。
 いつの間にかブログを更新するという事が、私の日常の一部にもなっている。
 毎日の更新、そして毎日やり取りするコメント。ブログを開くたびに私はワクワクしていた。
 初期の頃から、コメントのやり取りをしている気まぐれマダムさんに、新宿トモさん。
 最近では、牧師さんという人まで、コメントをくれるようになった。名前の通り、教会の神父なのだろうか。非常に気になる。
 毎晩、妻が寝静まると、私のブログ日記の時間となっていた。
 ある日の事だった。
 私がパソコンを開き、いつものようにブログを更新していると、妻のみゆきがトイレで起きてきた。
「あら、あなた。まだ、パソコンで何かやっているの?」
「ああ、覚えてみると、パソコンって面白いものでね」
「私には、全然分からない世界だけど、いつも何をしているの?」
「ああ、私のブログを更新しているんだよ」
「ブログ?」
「分かりやすくいえば、ホームページだよ」
「へえ、あなた、まだ三ヶ月ぐらいでしょ? すごいわね」
「これからは何をするにも、パソコンが必須になると思うんだ。まだ、佳奈も小さいけど、これから嫌でもパソコンに触れなきゃいけない時が、来ると思うしね。その時、私が少しでも教えてあげられたらって思うんだよ」
「確かにそうね。いつまでも頼りがいのあるお父さんでいて下さいな」
「もちろん」
「ところで、どんなホームページを作っているの?」
「ああ、見てみなよ」
 私は適当に自分の書いた記事をクリックして、妻に見せる。

『ご機嫌パパ日記 その十六』 気まぐれパパ

 先日は家族そろって外食に出掛けました。ちょっと奮発した甲斐あって、なかなかのご馳走にありつけました。
 妻の手料理もいいけど、たまにはこういうのもいいもんですね。
 おかげさまで妻も娘も大いに喜んでくれました。
 今日はそのレストランの従業員に撮ってもらった私たち家族の写真と、料理の写真を数点載せたいと思います。

 真剣な表情で画面を見つめるみゆき。私より五歳年下の三十五歳ではあるが、その横顔は美しい。外見からは、実際の年齢を感じさせない。
「あら、嫌だ。私たちの事まで書いてあるじゃないの、フフ……」
「ああ、ご機嫌パパ日記という題名だからね。実際に日記をつけた事とかないけど、こうやって、日常の日々を記録しておくって、大事だと思うんだ」
「あら、私や佳奈の写真まであるじゃないの、フフ……」
「いつまでも仲良くやっているというのをネットで、みんなに見せつけるのも悪くはないだろ?」
「そうですね。でも、私の写真写りが、いまいち悪いわね」
「そんな事ないよ。いつだって綺麗だよ。ほら、このコメント見てみなよ」

(新宿トモ)
 こんばんは、新宿トモです。
 とても仲良く見えますよ、写真。奥さん、すごい美人じゃないですか。ビックリしました。娘さんも可愛いですね。さぞかし、美人になるんじゃないですか。
 このたび、自分の小説『新宿クレッシェンド』を賞に応募する事にしました。いつも、気まぐれパパさんを始め、みなさまの暖かいお言葉、感謝しています。
 俺、頑張りますね!

 彼のコメントを読んでいる妻の表情は、はにかんでいた。お世辞でも綺麗と言われて、嫌がる女はいない。
「何だか恥ずかしいわ。でもこの人、小説を書いているんだ? すごいわね~」
「うん、色々あるみたいだけど、こうして知り合ったんだから、応援したいよね」
「本当に賞が取れたらすごいじゃない。作家がお友達になるんだもん」
「はは、そんなミーハーな考えで、彼に接したら失礼だよ。素直に応援してあげなきゃね。まだ、三十四歳らしいよ。みゆきと、一歳違いだね」
「へえ、そうなんだ。あら、他にもコメントがあるじゃない」
「ああ、こちらは牧師さんっていってさ、穏やかでいい人なんだよ」
「本物の牧師さんなの?」
「う~ん、どうだろ。今度、もう少し仲良くなったら、聞いてみようかと思ってるんだ。あとはこの気まぐれマダムさん。いつもこの人のブログ見ると、ヨダレ出ちゃってね。すごいご馳走ばかりなんだ。これ見ると、俺も、もっと頑張らないとってね」
「へえ、どんなブログなの?」
 私はマウスを操作して、気まぐれマダムさんのブログを開く。昨日はフレンチのフルコース。そして今日は、高級寿司屋の記事であった。
「はぁ…。こういうところに通える人が、本当にいるんだね~」
 みゆきは、マダムさんの記事を見て、感心しきっていた。
「コメントを見た感じ、お高くとまってないんだよ。すごい明るくてね。いい人だよ」
「それにしても、すごいわね~」
「そうだね。パソコンをしてなかったら、まったく縁がない人たちだしね」
 奇妙な繋がり。お互い顔も名前も、住んでいる所さえ知らない仲なのである。そういった人間同士が、毎日ようにコメントのやり取りをしているのだ。
 日常の一部となっているブログ。それは人間の心の繋がりなのかもしれない。
「あら、あなた」
「ん?」
「この間、温泉行った時のところのコメント」
「ああ、牧師さんだろ?」
「ええ、何かホッとするような事を書いてくれるのね」
「うん、だって、まずはお帰りなさい…。なかなか言えないよ。俺さ、仕事明けだったから、楽しかったけど、体的には疲れていたんだよ。でもさ、この牧師さんのコメント見て、何かホッとしたんだよね」
「うん、分かるわ。ブログって面白いのね。何だか、あなたのブログのコメント見るの、楽しみだわ」
 そういえば部下の河合が携帯でもブログを見られるとかいって、実際に見ていたな。あれはどうやるのだろうか。明日辺り会社で聞いてみるか。
 この日初めて妻が横で見ている状態で私はブログを書いた。変な事は書いていないつもりでも本人が真横にいると、なかなか記事を書きづらいものがある。

『ご機嫌パパ日記 その二十九』 気まぐれパパ

 初めて妻が横にいる状態で、今、ブログを書いています。別にコソコソしている訳ではないのですが、なかなか恥ずかしいものですね。
 今日、珍しく仕事でケアレスミスをしてしまい、大恥を掻いてしまいました……。
 仕事の失敗…。やはり、こればかりは慣れるって事がありませんね。

「あら、嫌だ。あなた、仕事で何かしたの?」
「え、大した事じゃないんだけどね……」
 密かにやっていたものの存在を妻に知られる。
 心の奥底で、そわそわした妙な感覚を覚えた。
 私は今まで「気まぐれパパ」という仮面を、この空間で作り上げていたのかもしれない。
 ここ最近になって、日常の中にすっかりと組み込まれているブログの更新。会社から帰ってくると、密かな楽しみにもなっている。
 よく気がつき、私に尽くしてくれる妻。
 なついている娘。
 私にはこの家族があり、とても大事なものである。どんなに嫌な事があっても、面白くない事があっても、常にこの絆を守っていかなければならない立場にあるのだ。
 その為には、会社でストレスを感じようが、私は我慢しなければならない。
 前に考えた事がある。
 今のこの現状を死ぬまで続けていくのかと……。
 妻のみゆきと知り合い、恋に落ちて、結婚をした。
 子供も産んだ。一度は失いもしたが、再び子を宿し現状に至る。
 幸せだった。それはもちろん、今もそう感じている。
 自分の理想の家庭を築き上げた。思い描いたような暖かい家庭を妻と協力して作り上げたのである。
 逆にいえば今、こんなに幸せでいいのだろうか。そんな不安にも駆られている。

 

 

3 忌み嫌われし子 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

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