日本のガンに罹る人、あるいはガンによる死亡率は年々上昇しています。2004年統計での年間死亡総数は102万9千人、そのうちガンで亡くなった方は約32万人と3人に1人がガンで亡くなっています。2015年には2人に1人がガンで亡くなると予測されており、ガン患者も2004年統計に比し250万人も増加すると予測されています。これは厚生労働省の統計です。
また、その原因は高齢化にあると考えられています。なぜ、ガン患者、ガン死亡率とも増えると予測できるのか 増加の根本の原因が高齢化がベースにあるというのは本当かと疑問に思います。
また、私自身も父を胃ガンで亡くしており、私の周囲にもガンに罹る人を多く見聞きします。家族がガンによる治療を受けていたことや、患者様の中にも現代医学でのガン治療(手術・抗がん剤・放射線治療)を受けていた方に接し、こんなに副作用で苦しんで、本当にガンが治るのか 医師はガンをよく”叩く”と表現しますが、本当にそれで身体は治っていくのか ガンを治すのは薬や手術ではなく、患者の身体ではないのか など様々な疑問が湧いてきましたので、いろいろ勉強させて頂いています。
冒頭に書いたように、日本ではガンが増加しています。しかし、欧米ではガンが徐々に減少しています。この差はなんなのでしょうか。欧米にあって、日本にないものはなんなのでしょうか。20世紀初頭のアメリカには、現在のようなガンや心臓病、糖尿病などの病気はほとんどなかったと言います。そこからの疾病構造の変化から、様々なアメリカの取り組みや、日本の国民にはほとんど知られていない情報を交え考えていきたいと思います。
≪アメリカ癌コントロール協会日本支部代表・森山晃嗣氏は、その著書『アメリカはなぜ「ガン」が減少したか』で、こう述べています。
〈アメリカでは1990年以降、国民のガンの罹患率、死亡率ともに減少しています。…中略…最も衝撃的だったのは、1998年に米国ガン協会(ACS)や疾病抑制予防センター(CDC)などの合同研究チームが「アメリカのガンの罹患率と死亡率が低下している」と初めて発表したときです。研究チームは人口統計調査や死亡確認書などをもとに、1973年から1995年までのガン罹患・死亡率の推移を測定して報告書を作成しました。
それによると、アメリカ国民のガン罹患率は1973年から1989年まで毎年平均して1.2%ずつ増加していたのに、1990年を境に減り始め、1990年から1995年までは毎年平均0.7%ずつ減少。死亡率も5年間で2.6%低下しました。…中略…1996年以降の調査はまだ発表されていませんが、1992年から1998年までは罹患率、死亡率とも年平均1.1%の減少という報告があります。〉森山氏は続けてこう訴えています。
〈これはどうしたことかと疑問を抱いたとき、私は「アメリカにあって、日本にないものはなんだろう?」と考えてみました。そして最も大きな違いとして思い当たったのが、両国における代替療法の位置ずけだったのです。〉≫
アメリカも長い間をかけて”ガン”の研究や治療法開発に取り組み、様々な方法を探った時期があっての結果です。それもアメリカはトップの大統領をはじめ政府、議会、医学界が一丸となって徹底的に追及し、正面から疾病に向き合う姿勢がありました。
日本においても近年、代替医療(鍼灸を含めた)に関する国公立大学での研究に文部科学省や厚生労働省から援助が出ています。また、東洋医学研究所 所長 黒野保三先生が研究所HPの平成22年1月 コラムでも書かれているように、厚生労働省の主導で、東京女子医科大学 大野 智准教授を中心とした「がん代替医療の科学的検証研究」という研究班を立ち上げました。3年後に結論を出す目的で作業に入ったということです。このように国においてもやっと代替医療に目を向けてきたというのが日本の現状です。
≪アメリカにおける通常療法と非通常療法の闘い、言い換えれば現代西洋医学と代替医療の闘いは、実に長い歴史を有しています。何しろ人類史上初めて人間を月面に送った世界の超科学大国アメリカですから、現代西洋医学と代替医療の闘いも圧倒的に西洋医学側の優勢で進んできました。ところが、それがおかしいということに自ら気づいたのです。…中略…(和田 努氏と帯津良一医師との対談集『ガンの治療法はこれほどある』の引用)
〈科学がすべてを解決してくれると考える信仰があるようです。ガンという病気は近い将来、科学が解決してくれると信じている人は多いのではないでしょうか。
科学が、ガンを制圧してくれると信じたのは”科学の国”アメリカでした。ラルフ・W・モスというアメリカの科学ジャーナリストが書いた『がん産業[1] がん治療をめぐる政治的力関係の構図』にはこんふうに書かれています。
「がんの征服がもっともらしく語られ始めたのは、20年ほど前のことである。当時アメリカは月に人間を送りこんだところであり、まるでそれに続けと言わんばかりの雰囲気だった。およそ絶対不可能だと思われていたことを成し遂げた国であれば、人類が最も恐れる病気もまた征服できないはずはないという楽観的風潮に包まれていた」
アポロ11号の宇宙飛行士が、人類初の足跡を月面に印したのは1969年7月10日のことです。人間を月に送りこんだ科学の力は、ガンを征服することは可能だと考えたのでした。アポロ11号の成功は”アメリカン・ドリーム”という感じでした。私たち日本人も、月面を飛び跳ねるような宇宙飛行士の不鮮明なテレビの映像に釘づけになったものです。
米国議会は「全米ガン征服諮問委員会」を設けました。委員のラルフ・ヤーボロー上院議員は諮問委員会の最終報告書に寄せられた序文の中で、ガンとの全面戦争に突入すべきであると述べています。
「ガンは征服可能な病気である。ガンの研究分野におけるわれわれの進歩は恐ろしい病気を早期に発見し、コントロールするという点で今まさに重要かつ刺戟的な発展の最中にある」…中略…
アポロ計画は間もなく撤退されることになりました。アメリカとしては膨大な浪費とみられていたアポロ計画から手を引く必要があったようです。アポロ計画と引き替えのように打ち出されたのが「がん征服戦争」だったのです。1971年1月の一般教書でニクソン大統領は医療、医学研究、とりわけ、がん治療研究のために特別な支出を提案し、宇宙開発に向けていた力をがん征服のために向けると演説しました。
1971年12月、ニクソン大統領は「がん関連法案」(ナショナル・キャンサー法)に署名しました。いわゆる、がん征服国家戦略がスタートしたのです。ナショナル・キャンサー法にはこう書かれていました。
「建国200年祭すなわち1976年までに、全米レベルでの征服が達成されるべきものとする」と。
そして、ニクソン大統領は、「核開発や月面到着で見せたあの実力を結集しよう」と呼びかけました。しかし、アメリカ建国200年祭の1976年までに、がんは征服されたでしょうか。答えは明白です。アメリカでも日本でも、そしてほかの国々でも、がんは相変わらず、多くの人びとを死に至らしめる病気であることは変わりないのです。あれだけ大々的に打ちあげられたアメリカのがん征服国家戦略も、際立った成果が上がりませんでした。人びとが夢みたような画期的な抗がん剤も生まれませんでした。〉
和田氏が「戦争」と呼んだように、実際に超科学大国アメリカでは、全米医学界、薬学界の総力を挙げ、基礎研究から新しい抗がん剤開発に至るまで、あらゆる分野でがんを征服しようと挑みました。それから30年近く経ったのち、「サイエンティフィック・アメリカン誌」は「がんとの闘い」というタイトルで特集を組み、「戦いは負けた」と結論づけたのです。≫
アメリカでは今から30年以上も前からガンへの国を挙げた取り組みがなされていました。人間が創造した高度な科学水準をもってガンに挑みましたが「戦いは負け」という結果でした。このアメリカが行ってきた道程を、アメリカという過去にいい例があるにも関わらず、そこから学ばず同じことを繰り返しているのが、今の日本のガン医療であるような気がしてならないのです。これでは、このような情報を知らない国民の大事な命が危険に晒されると言っても過言ではないのかもしれません。
この辺りも、日本のガン患者や死亡率が減らない原因であるように思うのです。
さて、これを受けてアメリカはどう進んでいったか、パート②でみていきたいと思います。
引用文献:『がんを治す「仕組み」は あなたの体のなかにある』 真柄俊一 著
『がんの教科書』 中川恵一 著
二葉鍼灸療院 田中良和
また、その原因は高齢化にあると考えられています。なぜ、ガン患者、ガン死亡率とも増えると予測できるのか 増加の根本の原因が高齢化がベースにあるというのは本当かと疑問に思います。
また、私自身も父を胃ガンで亡くしており、私の周囲にもガンに罹る人を多く見聞きします。家族がガンによる治療を受けていたことや、患者様の中にも現代医学でのガン治療(手術・抗がん剤・放射線治療)を受けていた方に接し、こんなに副作用で苦しんで、本当にガンが治るのか 医師はガンをよく”叩く”と表現しますが、本当にそれで身体は治っていくのか ガンを治すのは薬や手術ではなく、患者の身体ではないのか など様々な疑問が湧いてきましたので、いろいろ勉強させて頂いています。
冒頭に書いたように、日本ではガンが増加しています。しかし、欧米ではガンが徐々に減少しています。この差はなんなのでしょうか。欧米にあって、日本にないものはなんなのでしょうか。20世紀初頭のアメリカには、現在のようなガンや心臓病、糖尿病などの病気はほとんどなかったと言います。そこからの疾病構造の変化から、様々なアメリカの取り組みや、日本の国民にはほとんど知られていない情報を交え考えていきたいと思います。
≪アメリカ癌コントロール協会日本支部代表・森山晃嗣氏は、その著書『アメリカはなぜ「ガン」が減少したか』で、こう述べています。
〈アメリカでは1990年以降、国民のガンの罹患率、死亡率ともに減少しています。…中略…最も衝撃的だったのは、1998年に米国ガン協会(ACS)や疾病抑制予防センター(CDC)などの合同研究チームが「アメリカのガンの罹患率と死亡率が低下している」と初めて発表したときです。研究チームは人口統計調査や死亡確認書などをもとに、1973年から1995年までのガン罹患・死亡率の推移を測定して報告書を作成しました。
それによると、アメリカ国民のガン罹患率は1973年から1989年まで毎年平均して1.2%ずつ増加していたのに、1990年を境に減り始め、1990年から1995年までは毎年平均0.7%ずつ減少。死亡率も5年間で2.6%低下しました。…中略…1996年以降の調査はまだ発表されていませんが、1992年から1998年までは罹患率、死亡率とも年平均1.1%の減少という報告があります。〉森山氏は続けてこう訴えています。
〈これはどうしたことかと疑問を抱いたとき、私は「アメリカにあって、日本にないものはなんだろう?」と考えてみました。そして最も大きな違いとして思い当たったのが、両国における代替療法の位置ずけだったのです。〉≫
アメリカも長い間をかけて”ガン”の研究や治療法開発に取り組み、様々な方法を探った時期があっての結果です。それもアメリカはトップの大統領をはじめ政府、議会、医学界が一丸となって徹底的に追及し、正面から疾病に向き合う姿勢がありました。
日本においても近年、代替医療(鍼灸を含めた)に関する国公立大学での研究に文部科学省や厚生労働省から援助が出ています。また、東洋医学研究所 所長 黒野保三先生が研究所HPの平成22年1月 コラムでも書かれているように、厚生労働省の主導で、東京女子医科大学 大野 智准教授を中心とした「がん代替医療の科学的検証研究」という研究班を立ち上げました。3年後に結論を出す目的で作業に入ったということです。このように国においてもやっと代替医療に目を向けてきたというのが日本の現状です。
≪アメリカにおける通常療法と非通常療法の闘い、言い換えれば現代西洋医学と代替医療の闘いは、実に長い歴史を有しています。何しろ人類史上初めて人間を月面に送った世界の超科学大国アメリカですから、現代西洋医学と代替医療の闘いも圧倒的に西洋医学側の優勢で進んできました。ところが、それがおかしいということに自ら気づいたのです。…中略…(和田 努氏と帯津良一医師との対談集『ガンの治療法はこれほどある』の引用)
〈科学がすべてを解決してくれると考える信仰があるようです。ガンという病気は近い将来、科学が解決してくれると信じている人は多いのではないでしょうか。
科学が、ガンを制圧してくれると信じたのは”科学の国”アメリカでした。ラルフ・W・モスというアメリカの科学ジャーナリストが書いた『がん産業[1] がん治療をめぐる政治的力関係の構図』にはこんふうに書かれています。
「がんの征服がもっともらしく語られ始めたのは、20年ほど前のことである。当時アメリカは月に人間を送りこんだところであり、まるでそれに続けと言わんばかりの雰囲気だった。およそ絶対不可能だと思われていたことを成し遂げた国であれば、人類が最も恐れる病気もまた征服できないはずはないという楽観的風潮に包まれていた」
アポロ11号の宇宙飛行士が、人類初の足跡を月面に印したのは1969年7月10日のことです。人間を月に送りこんだ科学の力は、ガンを征服することは可能だと考えたのでした。アポロ11号の成功は”アメリカン・ドリーム”という感じでした。私たち日本人も、月面を飛び跳ねるような宇宙飛行士の不鮮明なテレビの映像に釘づけになったものです。
米国議会は「全米ガン征服諮問委員会」を設けました。委員のラルフ・ヤーボロー上院議員は諮問委員会の最終報告書に寄せられた序文の中で、ガンとの全面戦争に突入すべきであると述べています。
「ガンは征服可能な病気である。ガンの研究分野におけるわれわれの進歩は恐ろしい病気を早期に発見し、コントロールするという点で今まさに重要かつ刺戟的な発展の最中にある」…中略…
アポロ計画は間もなく撤退されることになりました。アメリカとしては膨大な浪費とみられていたアポロ計画から手を引く必要があったようです。アポロ計画と引き替えのように打ち出されたのが「がん征服戦争」だったのです。1971年1月の一般教書でニクソン大統領は医療、医学研究、とりわけ、がん治療研究のために特別な支出を提案し、宇宙開発に向けていた力をがん征服のために向けると演説しました。
1971年12月、ニクソン大統領は「がん関連法案」(ナショナル・キャンサー法)に署名しました。いわゆる、がん征服国家戦略がスタートしたのです。ナショナル・キャンサー法にはこう書かれていました。
「建国200年祭すなわち1976年までに、全米レベルでの征服が達成されるべきものとする」と。
そして、ニクソン大統領は、「核開発や月面到着で見せたあの実力を結集しよう」と呼びかけました。しかし、アメリカ建国200年祭の1976年までに、がんは征服されたでしょうか。答えは明白です。アメリカでも日本でも、そしてほかの国々でも、がんは相変わらず、多くの人びとを死に至らしめる病気であることは変わりないのです。あれだけ大々的に打ちあげられたアメリカのがん征服国家戦略も、際立った成果が上がりませんでした。人びとが夢みたような画期的な抗がん剤も生まれませんでした。〉
和田氏が「戦争」と呼んだように、実際に超科学大国アメリカでは、全米医学界、薬学界の総力を挙げ、基礎研究から新しい抗がん剤開発に至るまで、あらゆる分野でがんを征服しようと挑みました。それから30年近く経ったのち、「サイエンティフィック・アメリカン誌」は「がんとの闘い」というタイトルで特集を組み、「戦いは負けた」と結論づけたのです。≫
アメリカでは今から30年以上も前からガンへの国を挙げた取り組みがなされていました。人間が創造した高度な科学水準をもってガンに挑みましたが「戦いは負け」という結果でした。このアメリカが行ってきた道程を、アメリカという過去にいい例があるにも関わらず、そこから学ばず同じことを繰り返しているのが、今の日本のガン医療であるような気がしてならないのです。これでは、このような情報を知らない国民の大事な命が危険に晒されると言っても過言ではないのかもしれません。
この辺りも、日本のガン患者や死亡率が減らない原因であるように思うのです。
さて、これを受けてアメリカはどう進んでいったか、パート②でみていきたいと思います。
引用文献:『がんを治す「仕組み」は あなたの体のなかにある』 真柄俊一 著
『がんの教科書』 中川恵一 著
二葉鍼灸療院 田中良和
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