あの街この町♪

青春18キップやツアー旅行などエコで省エネな小さな旅日記。

武相荘(H23年5月)

2011年05月09日 | Weblog


 前日夕方に急遽「武相荘」行きを決定。健康志向から最近歩くことを心がけており、つい最近も登戸から府中まで多摩川沿い約20kmを制覇。今回も自宅から長後駅まで約1時間半歩いて小田急線へ。
 白洲次郎はマッカーサーに逆らった従順ならざる日本人としてNHKドラマで知り、金持ちのダンディというイメージが強かったが、戦後の昭和史を知れば知るほど白洲次郎という人物の偉大さを認識させられる。戦前は近衞文麿首相のブレーン、戦後は吉田茂首相の側近となって政治の中枢にいた昭和史の鍵を握る人物であるにも関わらず、その生涯は歴史の闇の中に埋もれている。
「武相荘」は昭和15年に空き家の農家を買い取り、武蔵と相模の境にある立地と自身の無愛想をひっかけて命名したとのこと。サンフランシスコ条約の吉田茂の英語原稿を日本語に修正させたことなど溜飲が下がる活躍に国際的な平衡感覚を感じる。
ジーパンや高級車レースなどの一方、隠居部屋を改造した書斎の壁にはびっしりと英英辞典や歴史書、折口信夫全集など様々な書物が並び、こちらも多才な正子夫人との静謐な生活の日々が偲ばれる。民家といっても屋内はかなり広く、敷地内には新緑茂る大きな柿の木や太い孟宗竹の竹林もある。門前の皐月も今が盛り。


 この武相荘は鶴川駅から歩いて15分。道路には身なりのいいおじさんが道案内。家の中にも揃い半纏を着たおばさんが室内を案内。入場券売り場のすぐ横にはNHドラマでも実際に使った大型の高級外車が展示してありいやでも目を引く。
 邸内にあった正子夫人の近所の散歩コースの写真に薬師池公園という景色のいいところがあったので行くことに。入り口の案内のおじさんに道を尋ねたところ、歩いていくなんてとんでもない、駅まで戻ってバスで行ったほうがいですよというアドバイスをありがたく聞き流し、途中を横道に逸れて通りすがりの人に道を聞きながら薬師池公園方面へ。途中、鶴見川と書かれた看板を右折、小さな川沿いのこぎれいな遊歩道に沿って炎天下を歩くこと約1時間半。公園近くのコンビニで冷たいガリガリくんを食べてようやく一息。薬師池公園では菖蒲園でザリガニ釣りをしたり、太鼓橋から鯉に餌を投げたり、思ったより大勢の家族連れやアベックで大賑わい。

園内には椿園や梅林、神社もありかなり広い。町田のはずれにこんなに広い立派な公園があるとは知らなかった。ボタン園も今が見ごろの看板あり。帰りはさすがに疲れてバスで町田駅へ。
今年初めての夏日、とにかく暑い一日だった。

川村美術館へ(H23年5月)

2011年05月09日 | Weblog
今回のルート(戸塚7:58―千葉9:21~9:34―佐倉9:51→川村美術館バス10:00(庭園散策)11:20→佐倉11:40~12:17発→成田空港12:43~14:00発→佐倉城址(散歩)~佐倉16:25発→(成東経由)→18:05茂原)。 
川村美術館は今回で2回目。TVや携帯などの液晶技術が世界屈指の大日本インク所有の広大な庭園を有する美術館で、佐倉駅北口から無料送迎バスが1時間に1本あるが、GW期間中はさらに大型の臨時バスが増発されており、どの便もほぼ満席。約20分で美術館へ。バス客よりもマイカー客のほうが圧倒的に多く時駐車場もほぼ満車状態。五月晴れのバスロータリーには大きな鯉のぼりが泳ぐ。レンブラントも常設され今回は上村松園の予定だったが大震災で中止。庭園はかなり広く白鳥や鴨が泳ぐ大きな池の周りの芝生が緑が映え、池の周囲を一周する遊歩道には大勢の見物客が散歩を楽しむ。
 桜は終わったが赤やピンクの色鮮やかなさつきやつつじがちょうど見ごろで、藤棚の紫や大きな芍薬も目を楽しませる。


散歩道の途中では本物の大きな白鳥の玉子も展示され直接触ることもできる。
かなり硬い。大きな広場は前回来たときは菜花と水仙の黄色だけが目に付いたが今は緑一色。
大きな木の下や草の上ではあちらこちらで弁当を囲む家族連れやグループが平和な初夏を満喫。

売店の行列の先では地元の手作り弁当が飛ぶように売れていた。
菖蒲園はまだ田んぼ状態で子ども達がおたまじゃくしに大喜び。
美術館を訪れる人より庭園散歩の人のほうが圧倒的に多い。しかも往復の足付きとはさすがDIC太っ腹。
 再び佐倉駅から総武線へ。成田で途中下車し米屋で名物の豆菓子をお土産に購入。
久しぶりの成田空港では改札出たところで身元チェック、パスポートを持ってないので身分証で通過。空港内レストランで昼食後、デッキでしばし飛行機を眺める。先月、六郷土手から羽田空港まで歩いて往復。羽田空港でたっぷり飛行機を見てきたばかりなので早めに切り上げ再び佐倉へ。駅前の観光案内所でレンタサイクルを借りる予定が、当日は陽気がよかったため9台全て貸出中で断念。川沿いの遊歩道を歩いて印旛沼方面へ。思ったより遠いため途中Uターンして佐倉城址内を散策。姥が池や草花園など新発見があり、やはり何度か来ないと分からない名所も多い。
 帰りは例によって成東の0番線から大網経由で茂原の「はち」へ。どの料理も旨く店長とも顔なじみで安心の店。隣の席では女子会が盛り上がりGWにもかかわらずこの日も満員御礼。

仙台から松島へ(2010年8月)

2010年08月31日 | Weblog
今回のルート)湘南ライン→宇都宮→黒磯→郡山(市民文化会館)→福島→仙台(泊)→仙石線→松島海岸駅~観光クルーズ~塩釜港→本塩釜駅→仙台→福島→黒磯→宇都宮→小金井→湘南ライン。

郡山のコンサートの客の入りはしょぼかった。今までいった中では最低の入り。それでも内容は濃く、湘南サウンドから映画音楽そして定番の運命と津軽じょんがら節まで十分に神様を堪能。コンサートが思ったり早く終わったので郡山から仙台行きの一本早い電車に乗ることができた。一時間に一本しかないので助かった。
 予定より一時間早く夜7時に仙台に到着。仙台駅近くのホテルにチェックイン後、夕食付の宿泊プランで「喜助」駅前店でお楽しみの牛タン定食に舌鼓。味噌味、タレ、塩味とも旨い、隣の席の常連さんが「半タレ」と注文したのを見て、「半タレ」と「半塩」を追加注文。
一人前では量が多すぎるが半人前注文でいろいろな味が楽しめた。


夕食後、市内の繁華街で仙台の七夕の最終日を歩く。
翌日はホテルの朝食バイキングで腹ごしらえしてから、仙台駅から仙石線へ初乗車。平日の通勤時間帯のためか思ったより混んでいる。しばらく地下を走ってから地上へ。この頃になると車内は空いてくる。松島海岸駅で下車。思ったより小さな駅で降りる人も少ない。



駅近くの円通寺は石庭が見事。まさに庭全体が一幅の絵のようだ。紅葉シーズンは混むだろう。


瑞巌寺は本堂の改修工事のため、代わりに普段は開放していない国宝の庫裏の中を見学できた。400年以上前の見事な屏風絵や伊達家代々の大きな戒名など普段は絶対見ることのできない貴重な歴史を垣間見ることができて良かった。本殿改修が終わる7年後以降は二度と開帳しないとのことで貴重な体験ができた。瑞巌寺の参道は両側に大きな杉並木があり、山側の崖の洞窟には室町時代の多くの墓が残る。土産物屋で「かもめの卵」を買い五大堂へ。久しぶりだ。たぶん二十数年ぶりか。


12時発の観光クルーズに乗って塩釜港へ。他の大きな観光船は大勢並んでいたが、塩釜行きは小型船で乗船客も20人位か。それでも松島湾の周遊コースは大型船と同じためかえってゆっくり松島湾の島々を巡ることができた。ああ松島や・・の風情にはほど遠いが。
 塩釜港で漁師丼とビールで昼食。電車の時間ギリギリのため、港からタクシーで本塩釜駅へ。何とか間に合った。仙台は素通りして真っ直ぐ福島へ。福島から黒磯行きの直通に乗車。途中、線路沿いの大きな川沿いには、「一目千本桜」の大河原駅や、昨日、仙台にむかう途中でも見た大きな白鷺の群れが旅情を誘う。黒磯駅では郡山から乗った乗客がそっくりそのまま宇都宮行きの電車にゲルマン民族の大移動するお馴染みの風景。帰りの電車がわりと早かったので宇都宮駅で途中下車。東口の小ぎれいな店でギョーザとビールでお疲れさん。

外房へ(2010年8月)

2010年08月29日 | Weblog

今回のルート(木更津~内房線~南三原(ローズマリー公園)~太海(仁右衛門島)~千葉~横須賀線快速)
 まずは木更津で下車。お富さんの愛人の切られ与三郎の墓は東金にもあったがここ木更津にもある。こうもり安の墓もある。どっちが本物か真贋は不明。木更津駅前はすっかりさびれ日曜の昼間だというのに大通りも与三郎通りも人通りは少ない

 駅から歩いて木更津港へ。11時開店の「行き活き亭」は既にマイカー組が並んでいたが、それでも店内が広いので、あまり待たずに入れた。ここの店は、ケースに入った新鮮魚介類を自分で選んで精算し、テーブルのガスコンロで焼きながら食べる仕組み。もちろんお勧め定食もある。まずは地元で取れたアサリに似た貝と・・・をチョイス。メインはここの名物で本日のお目当てのエビとアナゴの天重。焼いた貝の香ばしさと冷たいビールが実に旨い。周りの人たちには大アサリやエビやホタテなどが定番人気番。しかし、ここは何といってもエビ2匹と大きなアナゴなどが重箱からはみ出している天重が外せない。大きいだけでなく旨い!これで1260円。また来たい店だ。




内房線は本数が少ない。木更津12時43分発の内房線で約1時間40分で、「道の駅」ローズマリー公園には一番近い南三原駅へ。一番暑い盛りだ。人気のない田んぼ道を海側へひたすら歩いて約30分で、シェークスピアガーデンと道路を挟んで道の駅があり、シェークスピアガーデン(有料)と庭続きで町営のローズマリー公園が同じ敷地内にある。ここも家族連れなど大勢のマイカーでいっぱいだ。地元農家のおばさん手作りの夏みかんジュースで喉を潤した後、真っ赤なサルビアとローズマリーの立派な英国風庭園の休憩デッキでで冷たいソフトで一休み。この辺一帯は昔田んぼに地下水を汲み上げたという大きな風車があちこちに点在しちょっと変わった風景。再び歩いて南三原駅へ。道がわかっているからか来たときよりも近くに感じる。







次は再び内房線で太海へ。電車が遅れたので少し待ち時間に余裕があったが、それでも1時間に一本のため乗り遅れたら大変だ。お目当ての仁右衛門島は個人所有の島で駅から歩いて20分。手漕ぎの渡し船で5分で島を往復できる。乗船料1350円。夕方5時過ぎのためか船着場は地元の人が2.3人で釣りをしているだけで観光客はいない。島はすぐ目の前にあり、とてもお金払ってまで渡る気はしない。平家に追われた義経が隠れたという洞穴伝説も眉唾か?
 夕食時で腹が減ったが近くにコンビニがなく、途中駅で弁当など売ってる駅もないので真っ直ぐ千葉まで戻り、千葉駅で軽い食事を買って21時01分発の横須賀線へ。





桃源郷花見山へ(H22年4月)

2010年04月10日 | Weblog

(今回のルート)上野6:49ラビット→8;19宇都宮8:45→9;35黒磯9:39→10:40郡山11:06→11:54福島着。(帰り)福島17;24発→黒磯19:31→宇都宮20:38ラビット→古河(湘南ライン大船行)→23:11着 
 宇都宮から乗ったほとんどの乗客は黒磯駅に到着した途端、一斉に東北線の郡山行のホームへ民族大移動。こんなに混むとは思わなかった。途中駅で降りる人はほとんどなく宇都宮から郡山まで同じ乗客がそっくり移動した感じ。郡山駅では2年前の夏に乗った磐越西線の赤ベコ号が隣のホームに停車中。発車ギリギリで飛び乗ったのを思い出して懐かしい。郡山駅の改札口には花見山の大きな観光写真と桜の花やレンギョウが飾られていて期待が膨らむ。福島駅西口の小洒落た店で腹ごしらえしてから、東口バス停6番のシャトルバス「花見山号」に乗車。往復500円也。乗客は思ったより少ない。ゆったりと流れる阿武隈川を渡り約20分で花見山公園入口の広場に到着。県内外の観光バスと大勢の花見客でいっぱいだ。

 バスを降りると目の前に東海桜の小さな花が地面から両手をいっぱいに広げ林のように咲き誇り、サンシュや源平の桃の花が彩りを添える。さらに前方の山々は山全体が薄いピンクの霞がかかった一幅の絵のような見事な景色。観光写真で見るのとは大違い。すごい迫力だ。シーイングイズビリービング、まさに桃源郷だ。
あっちこっちで写真を撮っているがとてもこの景色は撮りきれないだろう。道々には地元の花のボランティアの方々が道案内や花の説明をしてくれる。広場では桜の枝で飾ったコック帽をかぶった髭のおじさんが大きな声で桜の薀蓄を語ってくれた。それによると今の盛りは東海桜でこの桜は枝の周りに360度花をつけるのが特徴で木を長持ちさせるために3年にいっぺん木を切るとのこと。ヒガンザクラは花が下を向いて咲くのが特徴。ソメイヨシノはまだこれから。桜の他にも桃の花だけでも約30種類あるとか。この花見山には約1万本の桜の木が植わっているそうだが、元々は阿部さんという地元の農家の方が個人で自分の山に桜を植えたのがそもそもの始まり。今は地元の農家とボランティの人達だけでこの山を守っているそうだが手間も時間もかかるので大変だ。

 桜の山道を人の流れに沿ってゆっくり登りながら一面の花景色を堪能。山頂近くに目にも鮮やかな真っ黄色のレンギョウの見事な群生があり、人の背丈より大きな鮮やかな黄色をバックに記念写真を撮る人多数。山頂からは薄いピンクの山の向こうに阿武隈川と福島市内が一望でき、遥か彼方の正面には残雪の吾妻山連邦の青い山脈が見事。右の山は残雪の形がウサギのように見えるため地元では雪ウサギと呼ぶそうだ。桜のウンチクの続き。濃いピンクで蕾が垂れ下がったように見えるのが沖縄原産の寒緋桜でこれは花は開かない。オカメ桜も濃いピンクだがこちらはきれいに花が咲く。山を下りたところに最初に桜を植えた阿部一郎さんのお宅があり、軒先で観光客が休憩している。これから染井ヨシノが咲く頃には、東海桜や桃の花、レンギョウなども終わっているため、今日あたりが天気も良く一番の見頃だとのこと。遠くまで来た甲斐があった。


 帰りに「ももりん号」という市内周遊バスの無料券をもらい、福島駅発3時20分のももりん号に乗車。(桃とリンゴでももりん号)市内の観光名所を約60分で周遊するコースで、ここもバスガイドはボランティアの方。乗客は6名。最初に御倉邸という元日銀福島支店長公邸を見学。バス停ではモンペ姿の案内の方が待っていて、養蚕で潤った昭和初期の広い屋敷内で、芝生の庭園のすぐ目の前に流れる阿武隈川を眺めながら民話を語ってくれた。その他にもノートルダム修道院や古関裕而記念館など見所はたくさんあったが残念ながら時間切れ。福島駅の東口に、ピアノを弾いている若かりし頃の古関裕而さんの像があり、時間がくると古関メロディが流れる。昔好きだった「家族そろって歌合戦」という番組で古関裕而さんが審査委員長をやっていたのを思い出す。いい曲がたくさんある。


 帰りに夕食の弁当を買って17時24分発の黒磯行直通に乗車。乗ってすぐに腹ごしらえ。最初はガラガラだったが、そのうち段々混んできて発車する頃にはかなりの混雑。早めに食べておいてよかった。黒磯ではまた乗客が一斉に宇都宮行きのホームへ民族大移動。朝より混んでなかったので何とか座れた。今日は一日電車に乗っている時間が長かったので、夜遅く電車を降りてからも足がフワフワ宙に浮いているような変な感じ。

梅祭りと弘道館(H22年3月)

2010年03月14日 | Weblog
梅祭り真っ最中の偕楽園へ。一年のうち、この梅祭りの期間中の十日間、しかも下り線だけ臨時に開設される「幻」の偕楽園駅へ下車。(今回のルート)上野~偕楽園駅→水戸駅~小山~大宮
偕楽園駅の小さなホームには着物姿のミス梅祭りがにこやかにお出迎え。偕楽園は昔マイカーで一度来たことがあったが電車では初めて。しかも「臨時駅の偕楽園駅」ももちろん初体験。たくさんの出店や土産物屋を通って園内へ。今年は開花がやや遅かったようで3月中旬の今日あたりが一番見頃のようだ。ナイスタイミング。大勢の梅見客の流れに沿って歩く。

芝生の上でお弁当を食べる家族連れや水戸黄門と記念写真を撮る人、赤い非毛氈の上で野点を楽しむ人など真っ青な空の下には平和がいっぱいだ。
 好文亭に上ってみたいと思っていたが大勢並んでいて50分待ちの看板を見て断念。紅白の梅林の小途をゆっくり眺めてから線路の反対側にある千波湖へ。千波湖方面に渡る偕楽橋の上では撮り鉄や観光カメランが並ぶ。上野方面からの下り特急列車が右側斜面の偕楽園の紅白の梅の花をバックに手前のカーブから姿を現す。その瞬間が絶好のシャッターチャンスだ。

 千波湖の近くに今年秋公開予定の映画「桜田門外の変」の巨大なオープンセットが造られ新たな観光名所になっている。オープンセットの前の出店で鶏レバの甘辛煮と鶏肉のごぼう巻きをお土産に購入。水戸駅に向かうため再び偕楽園駅へ。駅前のバス停広場にちょうど市内巡りのボンネット型のレトロな観光バス「助さん号」が入ってきた。もう一台「格さん号」が道が混んでいて1時間遅れとのアナウンス。このバスも今日が今年最後の運行日。そういえば偕楽園前の道路や千波湖の駐車場もはるか彼方まで延々と大渋滞が続いていた。電車で良かった。
 帰りの偕楽園駅では乗客の列が延々と続き、電車が到着して駅員が誘導するが乗客が全員乗り切らないうちに発車ベルが鳴ってしまい大変な騒ぎ。せっかくの観光名所なのでもう少し要領よく誘導して欲しいものだ。
 水戸駅ビルで海鮮丼を食べてから弘道館へ。
ここも偕楽園と同様、9代目水戸藩主徳川斉昭が文武を学ぶ若者たちのために約170年前に建てたもの。徳川最後の将軍慶喜も5歳のときからここで父斉昭の厳しい教育を受けたとのこと。ここも梅の名所となっていて、偕楽園よりじっくり花を見られるのでこっちのほうがかえっていいかも。広い邸内の庭には紅白の梅の花に混じり、黄色のさんしゅの花が一段と青空に映える。あんずの木や大きな百日紅もある。弘道館の周囲を一回りした後、屋敷内へ。畳敷きの便所や展示室などもあり見学者も多い。塾生が武術の試合をしたという対試場に面した弘道館正面の縁側には、「芸於遊」と書かれた大きな扁額が掛かってあり、文武ともに遊ぶように楽しみながら学べという斉昭の教えとか。なるほど。
 帰りは水戸線でのんびりと小山駅へ。途中地震があって車両が揺れたがそのまま進行。小山駅で栃木出身のお笑いコンビU字工事で有名?になったレモン牛乳を購入。例によって大宮で途中下車、「力」のガツ刺で一杯。今日はやけに周りの声がうるさかった。

崖観音と空手バカ一代(H21年8月)

2009年08月08日 | Weblog

(今回のルート)千葉8;58発→舘山行→「崖観音」へ→12:47安房鴨川~13:36発→安房天津~バス15:17→清澄寺~安房天津16;23着~安房天津→ 18:08茂原着
まずは舘山駅の一つ手前の小さな那古船形駅で降りて「崖観音」へ。大福寺というお寺の後ろの大きな崖の中断に朱色の観音堂が崖の壁面にせり出すように建てられている。お寺の横の細い崖道を登ると小さな御堂があり、崖にせり出した見晴らし台からの眺めると漁港に浮かぶ船と真っ青な空がはるか彼方まで広がり見事。この観音様へは駅から歩いて20分くらい.来るときには気がつかなかったが、帰りに駅の跨線橋から見たら崖の中断に観音堂を遠望することができた。
再び外房線で地魚料理の昼飯を楽しみに安房鴨川駅へ。お目当ての回転すしが混んでいたので、近くの道路沿いの地魚料理「藤よし」へ。店内は広くきれいでゆったり座ることができた。メニューに「鯨のステーキ丼」があったので迷わず注文。旨い!懐かしい味だ。グリーンピース何するものぞ。頑張れニッポン!
鴨川駅で千葉行に乗ったら舘山方面行きとの車内放送があったので慌てて降り、駅員に聞くとここ安房鴨川は内房線と外房線のちょうど中間なので、上下線とも同じ千葉行の表示とのこと。危なかった。次の目的地は安房天津駅からバスで清澄寺へ。
ここのバスも本数が極端に少ないので事前に調査してから行かないと大変なことになる。小型の乗り合いバスで20分くらいクネクネした山道を上って目的地へ。境内には天然記念物の千年杉などもあり、観光客らしい姿もちらほら。お寺の東方の山の上に日蓮上人の大きな立像があり、その横に「初日の出が日本で一番早い場所」との表記。
バス停裏の山中に牛殺しで有名な「空手バカ一代」の大山倍達の顔写真入りの大きな石碑があった。
そういえばこの清澄山に一人こもって空手の修行をしたという昔読んだマガジンの漫画を思い出した。思わぬところで思わぬ発見!帰りのバスでは話し好きの元気なおばあちゃんが女学生の時、この山道でアメリカの兵隊に見つかりそうになって木に隠れたとか、民宿やっていていろいろ料理を覚えたけど今はすっかり忘れたとか、お寺の近くのお父さんの土産物屋を継いでいるだとか駅に着くまで同じ話の繰り返し。帰り際に自分で作ったという茗荷をたくさんいただいた。ご馳走様。そして本日の締めくくりは茂原の「はち」へ。

日光で山女魚を見た(H21年7月)

2009年07月20日 | Weblog


(今回のルート)宇都宮9:57発⇒日光10:42着~ JR日光駅14:20発⇒今市14::26着
 宇都宮から日光線で約40分で日光駅へ。日光線の各車両の側面には濃いあずき色で日光駅のシルエットが描かれていてちょっと高貴な感じがする。日光駅の2階は元貴賓室として使われていたそうだ。さすがに有名な観光地だけあって外国人客も目につく。JR駅の右側には東武日光駅の大きな屋根があり、土産物店からは呼び込みの声が賑やか。 駅から東照宮方面へやや上り坂になっている大きなまっすぐな道路を歩く。途中、観光案内所やお城のような市役所を見ながらブラブラ歩きで約20分、金谷ホテル入口へ到着。世界の有名人御用達のクラシックホテルのロビーは薄暗い。「メイプルリーフ」で名物の百年カレーを注文。周りもほとんどの人が気軽な服装でカレーを食べている。2000円也。味もそれなりの旨さ。
 ホテル裏側の河原に下りるとすぐ近くに朱色の神橋があり、赤とんぼも岸辺の草で羽を休めている。
 東照宮の敷地は広い。大きな輪王寺から、大きな杉の木の参道を歩いて境内へ、完璧なものはないという教えの「逆さ柱」、人の一生を表現した「三猿」や"日暮しの門"とも呼ばれる豪奢な陽明門、眠り猫の裏側には雀が遊ぶ。夏休みの課外授業なのか小学生の団体が見学に来ていて非常に賑やか。

記念写真で並ぶ姿もほほえましい。">">大権現の遺言で駿河の久能山東照宮から三代将軍家光が約400億円もの費用を投じて造営しただけあってスケールも装飾も世界遺産に相応しい豪華さだ。帰りは日光から一つ目の今市駅で降りて杉並木を散策。近くの古民家風の建物の裏側に大きな水車があり、そこに流れる大きな用水路に
20cm位の山女魚が泳いでいてビックリ!非常に水はきれいだ。< 今市駅までしばらく歩いて再び日光線で宇都宮へ。宇都宮駅前で12種類の餃子セットで小腹を満たし、大宮の「力」のガツ刺しで一杯。

新緑の長瀞から芝桜公園へ(H21年5月)

2009年05月05日 | Weblog
(今回のルート)湘南ライン(快)籠原行6:52発 →8:46熊谷~8:51熊谷発→秩父線(48分@740円)→9:39長瀞着~「岩畳」「宝登神社」・秩父線SL運転見学~11:33長瀞発→秩父線 (24分@460円)→11:57 御花畑駅着~「羊山公園」~西部秩父駅13:48発(臨時急行)→西部線(@390円)→東飯能駅乗換14:58発⇒JR八高線(22分)→拝島駅15:26発→西立川着「昭和記念公園」へ。
 当初計画では池袋から西武線で羊山公園へ行き、帰りはホリデーパスで八高線で立川へ回る予定だったが、せっかく秩父まで遠出するのに芝桜だけ見るのは勿体ないと思い、ル-ト調査したところ、熊谷から秩父線一本で長瀞と羊山公園のある御花畑駅へ行けることが分かり、最短ルートで出かけることに。帰りはもちろんホリデーパスを最大限に利用。
 熊谷駅から初めて乗った秩父線はガタゴトの旧い車両で、寒さ対策のためか乗降ドアと客室との間にアコーデオンカーテンがある。乗客のほとんどが山登り風の格好をした観光客でまあまあの混み具合。寄居駅を過ぎたあたりから遠くに長瀞の清流がちょこっと見える。長瀞駅は丸太小屋風の小さな駅舎。駅の目の前のライン下りの発券所には大勢の人が並び、地元の呼び込みの人が川のほうにも発券所はありますよと大声で案内していた。駅からみやげ物屋さんが並ぶ狭い通りを抜け、長瀞の名所「岩畳」までは歩いて5分で到着。 すぐ目の前にライン下りの舟の発着所があり、文字通り畳を重ねたような平らな岩が遠くのほうまで続き、広い岩畳には家族連れやアベックなどたくさんの人が遊ぶ。この辺りはさすがに長瀞一の景勝地だけあって人が多い。天気もよく、新緑もきれいだ。眼下には川下りの舟がゆったりと流れている。川面から数メートルの高さがある断崖の淵スレスレに座っている人もいてちょっと危ない。
 岩畳を後に川とは反対の山側にある「宝登神社」へ。立派な石造りの一の鳥居をくぐりしばらく登り坂を歩いて約15分。残念ながら本殿は修理中のため仮本殿へお参り。山頂の奥の院までロープウェイがあるがは30分間隔のため、乗っている時間がない。この神社は名前が縁起がいいということで人気があり参拝客も多いとか。本当の名前の由来は元々が山火事を止めた古事から「火止(ほと)神社」という名前だったが、後に現在の「宝に登る」という宝登神社になったとのこと。
 一日一往復運転のSLが長瀞駅へ到着する時刻の11時30分に間に合うよう再び長瀞駅へ。駅のホーム後方はSLの予約乗車券を持った観光客がいっぱいに溢れ、ヴォーッ!シュッシュ!!という大きな雄叫びとともに、真っ黒な巨大な車体がゆっくりと小さなホームに滑り込む。と同時に待ち構えた大勢のカメラマンがたちまち群がり前が見えない。

機関士も観光客慣れしたものでカメラを意識したちょっと誇らしげなポーズ。
間近で見る「C58型」は男らしい力強さがあり、鉄道フアンならずともこのSLの魅力には惹かれる。
 次は、本日2番目の目的地である芝桜で有名な羊山公園のある御花畑駅へ。駅近くの臨時休憩所で山菜おこわと漬物とコロッケで軽い昼食。地元商店街の協賛ということで、ガラガラを回した抽選で600円の商品券をゲット。早速、近くの饅頭屋さんで桜餅を購入。ラッキー!。駅から公園までは、秩父の象徴である武甲山を正面に見ながら大勢の人がぞろぞろ歩いているので迷うことはない。公園は山の上にあるため、登り坂を上っていくが、上から見ると真夏の富士登山のように下からずっと人が切れ目なくアリのように続いている。

歩いても歩いてもなかなか目的の芝桜は見えない。初めての場所のため余計遠く感じられる。25分ほどでやっと「羊山公園」の看板があり、そこからさらに歩いてようやく公園入口へ。眼下の丘陵には、ピンクと白や紫色の芝桜が山の斜面いっぱいに咲き、花畑の向こうには武甲山が聳える。すごい人だ。花畑の中の通路はもちろん、反対側の山の斜面の木陰にもたくさんの人が座って花を眺めている。TVや観光パンフでみるとかなりの規模で花畑が広がっているようなイメージがあるが、実際に来てみるとそんなにびっくりするような広さではない。富良野のラベンダー畑よりは大きいといったところか。なかには見ごろを過ぎた花畑もあり、全体が満開ということではないが、特に公園入口正面の斜面にピンクと白のコントラストが見事な一角があり、誰もが一番最初に目を奪われる。


 帰り道は、出店のきゅうりの一本漬を食べながら、近道ルートで西武線の西部秩父駅まで下山。帰りは早い。秩父線の御花畑駅(この季節だけ駅の名前が秩父駅から"御花畑駅"に代わる)と西部線の西部秩父駅は、ちょっと離れてはいるがすぐ近くにある。しかし両社ともHPにはお互いの駅が近くにあることは載せてない。不親切だ。
  初夏の日差しがまぶしい西部秩父駅から上りの臨時急行に乗り、東飯能からJR八高線に乗換え「昭和記念公園」へ。立川は先週寺内タケシのコンサートできたばっかりだが、あいにくの大雨で予定していた昭和記念公園の花が見られなかったため、今回のルートで再挑戦したもの。公園へ着いたのは3時半頃。陽気がいいのでボート遊びの人も多く、ボタン園やポピーの花畑も見事だが、大手鞠の真っ白な花が緑の林の中にくっきりと浮かび上がるように咲いていて特にきれいだった。
 帰りは立川駅南口の「まぐろ人」で軽く一杯。南武線で帰路へ。

蔵の街栃木から足利学校へ(H21年4月)

2009年04月05日 | Weblog


昨年も訪れた下野の国栃木で途中下車、蔵の街を今回はレンタサイクルでゆっくり周遊。さすがに二度目となると街の様子もよく分かってくる。前回行けなかった遠くの小路までスイスイ。街の東を流れる巴波川(うずまがわ)沿いの遊歩道を歩く観光客はまばら。約1時間でサイクリング終了。200円ポッキリ 再び両毛線で本日の目的地足利へ、地元の人が学校様と呼んで崇める足利学校は駅から歩いて15分。入学料400円也。案内ビデオによると、足利学校は日本最古の総合大学で、隆盛期の天文年間(1532~54)には全国から学徒3000人を集め、儒学・医学・兵学などの授業が行われたという。授業料は無料。入学も退学も自由。誰が開祖かは諸説あっていまだに不明とか。時代的には織田信長が十代後半の頃か。
「学校」の額看板がかかった立派な校門の左手に大きな孔子像が建つ。


正面には孔子廟があり右手が大きな学問所の建物になっている。広い畳の教室には「試験問題」が置いてあり誰でも自由にテストを受けられるようになっている。家族連れが何人かやっていた。

 当時を忠実に再現したという築山泉水は校舎の北側と南側にあり、校長室や広い畳敷きの学問所から見事な日本庭園を眺めることができる。この学校史跡は平成2年に江戸中期の頃の建物を復元したそうで、江戸後期には維持費がなく廃校になりかけたようだが、有志の働きかけでようやく歴史的建物を今日まで残すことができたとのこと。現在の学長には東大名誉教授の名前があった。この学校様では毎年11月に地元の人による釈てん(せきてん)という孔子を祭る儀式が執り行われるそうで、足利学校を世界遺産に登録しようという地元のポスターも目に付く。


 次はすぐ近くの鑁阿寺(ばんなじ)へ。ここは足利氏宅跡で、楼門と周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形。鎌倉時代の武家屋敷の面影が残る歴史ある寺で、国の史跡に指定されているそうだ。ここのしだれ桜もまだ5部咲きといったところか。

 さらに東に歩いて足利のシンボルと言われる織姫神社へ。

境内の桜の木の下では日本人と外人のグループが静かに花見をしていた。この山の上まで登って初めて気がついたが、眼下に渡良瀬川がゆったりと流れている。どっちが川上か川下かは分からないが、川上の渡良瀬鉄道の紅葉はいつかは行きたいと思っている。帰りは大宮駅で途中下車、「一力」のガツ刺しで一杯。

鹿島神宮からいすみ鉄道へ(H21年3月)

2009年03月28日 | Weblog
今回はちょっと足を延ばして鹿島線で鹿島アントラーズの本拠地鹿島神宮から菜の花が盛りの外房大原のいすみ鉄道のまで春の房総の旅。佐原9:42発の1時間に一本あるかないかの鹿島線で鹿島神宮駅へ。駅前ロータリーはガランとしていて人は少ない。鹿島神宮へは駅前から上り坂を歩いて20分くらい。坂道の途中には「剣豪塚原ト伝生誕の地」と書かれた大きな看板。参道は立派な石畳で両側に土産物が並ぶがほとんどの店が閉まって閑散としている。石畳の参道の正面に石造りの大きな鳥居がドーンと聳える。これがニの門一の門ははるか南の北浦の湖畔にあるそうで、鎌倉の八幡様の鳥居と同じような配置になっているのが面白い。神社入口で案内板を読んでいると女性の方が来て「地元のボランティです。ご案内しますよ」とのことで案内してもらうことに。境内に入ると両側にうっそう繁る大木に囲まれるようにまっすぐな広い参道があり、長さは200mで毎年この場所を使って流鏑馬が行われるとのこと。流鏑馬で馬に乗る人は全国あちこちの神社を同じ人が渡り歩いていて、たまに地元の馬術部などの高校生などが混じっているんですよとのこと。この鹿島神宮は香取神宮と並んで東国三社(もう一箇所の名前は忘れた)の一つで、全国の鹿島神宮の総元締めの由緒ある神社。本殿そのものはあまり大きくはないが、屋根の造りが“流れ造り”と呼ばれる神社特有の前方より後方の屋根のほうが長めに文字通り流れるような反った造りになっている。案内の方が本宮の横の細い通路の奥まで連れて行ってくれて横から屋根を眺めて確かに納得。

またこの鹿島神宮は鹿島アントラーズの選手がシーズン終了すると全員揃いのスーツで参拝にくるため、その日はものすごい数のサポーターで境内は一杯になるそうだ。選手の黒いお揃いのスーツ姿はかっこいいですよと嬉しそう。当然、小笠原選手も来るだろう。鹿島アントラーズのアントラーというのは「鹿の角」という意味で地元の小学生が考えたネーミングが採用されたんですよ」と聞いてびっくり。たいしたもんだ。



ボランティアの方にお礼を言って再び鹿島神宮駅へ。
 本日の次の目的地は、大原からいすみ鉄道に乗って沿線の菜の花を眺めること。鹿島神宮から水郷のある十二橋駅など春の景色を眺めながら銚子方面へ乗換えのため香取駅で下車。次の電車まで一時間以上ある。駅周辺をブラブラ散歩。近くの小高い山の古墳跡など見て時間つぶし。どうせ時間あるなら佐原まで行けば良かったと反省。ようやく来た銚子行きに乗り、銚子駅前の小さな食堂で煮魚定食で腹ごしらえしてから成東線、大網経由で大原へ着いたときは既に夕暮れ。
途中駅の新田野駅で降りて往復。前回来たときより菜の花が盛りで、夕暮れの田園を走る電車の運転席側から眺めていると沿線の両側に黄色い色がゆっくりと流れていく。帰りはいつもの茂原の「はち」へ。三元豚で疲れを癒し、茂原始発のグリーン車でぐっすり。

名古屋へ(H21年3月)

2009年03月16日 | Weblog
(今回のルート)<行き>6:24発→沼津行→沼津8:05~8:09発→浜松行→浜松10:18~10:28発→豊橋行→豊橋11:01~11:07→(快)大垣行→11:57名古屋着。地下街~栄町~TV塔~名古屋城公園~名古屋駅<帰り>名古屋17:13発→(快)豊橋行→豊橋18:06~18:10発→浜松行→浜松18:43~18:49発→静岡行→静岡20:01~20:04発→熱海行→熱海21:18~21:25発東京行
 名古屋駅を降り広い地下街を迷いながら、やっと目的のモーニングの店へたどり着いたと思ったら、「本日休業」!?。インターネットには、この店は夕方までモーニングセットをやっていると書いてあったので、名古屋名物のモーニングの初体験を楽しみにしていたのにがっかり!

 昼時で腹も減っていたが、せっかく名古屋まで来たので何か名物を食べようと気を取り直して、地下鉄で名古屋の繁華街の中心である栄町へ。賑やかなところと聞いてたのでさぞかし食べ物屋さんもたくさんあるだろうと期待して行ったが、食事どころかまったく人は歩いていない。通りもガラ~ンとしている。再びがっかり。
 空腹で萎える気持ちを奮い立たせて、近くのデパート(といってもかなり小型)の地下へ。「地鶏」の看板のある小さなイートインの店が混んでいたのでたぶん旨いだろうと思い「鶏カツ丼」を注文。店のおばさんの接客態度はいまいちだったが、出てきたカツ丼は旨かった!特にカツ丼の上にのった生卵が抜群に旨い!こんなに味わいある美味しい卵を食べたのは初めて。名古屋コーチンや味噌カツみたいにメジャーではないが、ここの地鶏の鶏カツ丼は捨てがたい。まさに隠れた逸品だ。拍手!
やはり何事も人の話だけでは分からない。実際に自分で体験するのが一番!!

名古屋TV塔の展望台に上り、360度の名古屋のパノラマを眺望。名古屋城の手前に名古屋城の屋根と同じ色、同じ形の屋根の大きな洋風の建物が気になったので近くの人に聞いてみると名古屋市役所ですとのこと。隣の県庁も歴史的風格がある立派な建物だ。案内にはこの展望台からは遠く岐阜城、犬山城など5つの城が眺望できると書いてあったが、名古屋空港に降りる飛行機は見えたが、はるか遠くの山々は春霞でぼやけ何がなんだか分からない。TV塔から歩いて名古屋城公園へ。支庁舎と県庁は近くで見るとやはり重厚感がある。

名古屋城を見学するには時間が足りないので、金ぴかのシャチホコを桜並木の間から見上げながら愛知県立体育館側の公園を散歩。桜のつぼみはまだ固い。前に名古屋へ来たときは城の修復中でシャチホコが外されていたので、屋根に乗っているのを見たのは久しぶり。そういえば6年前の平成15年10月に名古屋に来たときに、名古屋にいる高校の同級生に案内されたときにライトアップされたお城を見たのを思い出した。

名古屋城前のバス停で循環バスを待っていると、外人の男の観光客から声を掛けられた。このバスは名古屋駅へ行くかとかこのバス停はどこかなど簡単な英語だったが、見せてくれた英語のガイドブックは字が小さすぎてまったく見えない。近くにいた地元のボランティアのおじさんに地理を聞いて答えてあげたら喜んで「アリガトウゴザイマス」とお礼を言われ、国際親善に貢献。駅ビルで3色ういろうをお土産に買って上りの東海道本線へ。相変わらずこの電車は混んでいる。早めに並ばないと座れない。


日本平から久能山東照宮~浜松へ(H20年12月)

2008年12月13日 | Weblog


今回のルート(東静岡駅10:32発→バス→日本平→ロープウェイ→久能山東照宮→久能山下→バス→登呂遺跡→静岡駅→浜松駅14:32着~浜松駅17:20発で帰路へ)
 12月の18切符の旅は今回が初めて。しかも沼津から西のJR東海在来線へ乗るのも初めて。さらに当日12月13日は小生の誕生日のため記念旅行にもなった。安い旅行だ。前日まで寒かったが、当日は快晴で昼中は日差しも割りと暖かかった。
本日最初のスタート地点の東静岡駅舎は新しく、駅前にドデカイ奇抜な外観の芸術劇場が建つ。さすがは清水エスパルス。日本平行きのバスの本数は少なく乗客もシーズンはずれのためか少ない。町外れから急な坂道をクネクネ上り20分ほどで日本平の頂上へ。展望台からは雲の上に富士山がくっきり浮かび眼下に三保の松原の海岸線がきれいに見える。快晴でよかった。近くのおばちゃんグループが喜んで富士山に手を合わせて拝んでいた。近くに赤い靴の女の子の像があり、この女の子が静岡出身で実際にはアメリカに行かず東京で亡くなったことを石碑で初めて知った。
 久能山東照宮へは日本平山頂から葵の御紋のロープウェイに乗って久能山へ。久能山が東の海側に向かって下の方にあるので山の斜面を太平洋に向かって下っていく感じ。ロープウェイはかなり高度が高く下を見ると迫力がある。わずか5分で到着。出発地点が山頂なので下から見ると黄葉の山が青空に映えてきれい。


 東照宮はさすがに観光客が多い。家康の遺言により二代将軍秀忠が建立した立派な建物だが、400年前の当時にこんな山の上によく造ったもんだ。相当大変だっただろう。後年建てられた日光より規模は小さいが、凝った外観や外壁、小鳥などの繊細な彫刻などは職人技が光る。ガイドさんの説明によると、大きな甕に落ちた子供を一人は梯子を掛けて助けようとし、もう一人は甕を割って子供を無事助けたという話を彫ったものが本殿正面にあるが、家康はこういう話を好んだのでここに彫ったとのこと。
本殿裏の小高いところに家康の墓「神廟」があり、家康の遺骨は日光に移さずに今もここにあると言われているとのこと。東照宮の入口の山門のところに家康の左手の手形の実物がある。家康の身長は153cmと思ったより小柄。
山門を下ったところに武田信玄の軍師山本勘助が掘ったという勘助井戸があり、蓋がしてあって井戸の中を覗くのは100円。覗く人がいるんかなあ?
 帰りのバス停までは久能山のロープウェイと反対側の海側の長い石段をダラダラ下って約20分。かなり急なため九十九折になっているため膝にこたえる。ここを下から登ってくる人もいて、この人たちはロープウェイでの逆ルートでのお帰り。
ようやく下まで辿り着き、2時間に一本の12:40発のバスに乗車。乗客6名。 


 登呂遺跡はバスで久能山から静岡駅に向かう途中にある。表通りのバス停から歩いて10分。登呂遺跡公園に教科書に載っている弥生式住居が点在。公園敷地内はブルドーザが音を立てて工事中であちこちにロープが張られ、観光パンフの写真にような森厳とした雰囲気はまったくない。竪穴式住居の中に入ったが中はガランとして何もなく古代の感動は伝わってこなかった。この工事が終われば少しは雰囲気も変わるか?
 大きな静岡駅ビルでお土産の抹茶プリンを購入。下りの14:32発の浜松行に乗車。始発のためかホームは人が一杯で車内も混雑、なかなか座れなかった。
ジュビロ磐田の本拠地を過ぎたあたりでようやく座れた。しかしどこの駅も相変わらず乗降客は多い。電車の本数が少ないからか。
 約1時間ちょっとで浜松駅へ到着。本当はせっかくだから浜名湖まで行きたかったが、時間がないので断念。
 浜松駅は駅前にロケットのような形の高いビルがあり目を引く。西口から歩いてお目当ての「うなぎの八百徳」へ。大きなビルだ。東口の駅前にも同じ店があったが、こちらが本店。3時近い時間帯からか店内には何組かいる程度でゆっくり座敷に座れた。お櫃うなぎ茶漬けとうな重を注文。ビールで祝誕生日!。他のほとんどの客もうなぎ茶漬けを食べていた。確かに旨い!。うなぎも久しぶりだ。
店を出るとすっかり街中は夕景。近くにある楽博物館へ。浜松といえば楽器で有名。博物館は閉館30分前だったがせっかくだからと入館。1階より地下の方が広いですという案内で地下の展示場へ。世界各国の見たこともない歴史のある楽器が広いフロア一杯に展示され、一つ一つの楽器について実際の音楽をヘッドホンで聴くことができる。音色が好きなハプシコードや動物の皮で作ったバグパイプ、その他の珍しい楽器が本当にたくさん展示してあり、時間があればゆっくり楽しめるところだ。
 帰りは17:20始発の熱海行で最小乗換回数で帰路へ。車窓からの冴えた冬の月がきれいだった。

名瀑袋田の滝へ(H20年8月)

2008年08月09日 | Weblog
 今年の夏はあちこちで雷や豪雨など突発的な不安定な天気が毎日続き、今回の茨城県北部の天気予報も当日は曇りで降水量1ミリではあったが、突然の雷雨も予感しつつ水戸駅から水郡線へ。
 初めて乗った水郡線は3両編成の単線で車両は新しく、水戸から乗車する人が思ったより多く、4人がけと2人がけの座席はほぼ満員の状態。地元の人らしき人はちらほらで、観光客に混じってサラリーマンが目に付く。途中上菅谷駅から常陸大田方面へ行く単線が出ているが、郡山までの直通運転は1時間に一本の運行。目的地の袋田までは水戸から約1時間10分。
 関東平野の真ん中の田園地帯を抜け奥久慈近くになってくると、久慈川が車窓の右や左にゆったりと流れ旅情豊か。キャンプ場も近くにある。曇りだが時々日が差すと車内にいても暑い。袋田駅はロッジ風の建物がポツンと建っているだけで駅員1人。駅前から列車の到着時刻に合わせて客待ちをしていた路線バスで袋田の滝へ。一緒に乗ったのは7~8人。約10分、200円で終点に到着。
 バス停から土産物屋が並ぶ川沿いの小路を歩いて10分ほどで、滝につながるトンエルの入口へ。管理事務所でトンネル通行料300円也を払ってひんやりとしたトンネル内を歩く。思ったより長い。突然ゴウゴウと音が聞こえ、トンネルの暗闇を出たとたん、目の前に大きな滝が視界いっぱいに現れた。さすがに迫力がある。ここのところ夕立が多かったせいか水量も多く、はるか上の方から豪快に四段に滝が落下し、西行法師が絶賛したという『四度の滝』の音が周囲の緑にこだまする。観瀑台左手には屏風岩が上空に高く聳え、滝の周りの緑も深く紅葉の季節には大勢の観光客で賑うだろう。滝の右下方には、奇岩怪石が横たわる川に吊橋が架かり、この吊橋から見る滝全体の景色もまた見事。
 ちょうど昼食時で、バス停までの帰り道を歩いているとあちこちの食堂から呼び込みの声がかかったが、その一角を過ぎると小ぎれいな料亭風の静かな店があったのでそこで昼食をとることに。店の中は割と新しく造りも立派であり、小上がりの座敷で「鮎定食」を注文。中型の鮎の塩焼き2匹で1000円。身をほぐして鮎ご飯にして食べた。旨い!。冷たいビールを飲みたかったが、帰り道は袋田の駅までの炎天下を歩いて行くことを考えぐっと我慢!。店を出て建物を振り返ってみるとそこは「豊年万作」という立派な和風旅館だった。道理で小ぎれいなはずだ。
歩きはじめたとたん、暑い日差しがじりじりと照りつけ、たちまち汗ビッショリ。バスで来た道をそのまま引き返したら遠回りなってしまったが、30分ほどで駅に到着。駅前には、さっき昼食を食べたときにいた「豊年万作」の送迎車が先に着いていた。どうせ駅に来るなら送ってくれればいいのに。
 駅近くの酒屋さんで冷えた缶ビールを飲んでようやく人心地がついた。駅の事務室には駅員の代わりにパートのおばさんが座っていた。
帰りはガラガラの水郡線でゆったりと車窓の夏景色を眺めながら水戸駅へ。
 本日の次の目的地である日立は、水戸駅から常磐線で約30分。日立駅は西口は駅舎も割と新しく大きなビルやヨーカ堂などがあり人が多いが、東口は駅舎も古く周辺も人がまばらでさびれた感じの田舎町。海が近い。駅から歩いてすぐに眼下に真っ青な太平洋が横たわる。海岸線に沿った海の上には高速道路が走り、青空をバックに青い海と白い高速道路の曲線が溶け込んだ景色は一幅の絵のようだ。海岸は遠浅のようで波も静かだが泳いでいる人はいない。中学生くらいの女の子が2人波打ち際で遊んでいただけ。静か。
 帰りの日立駅のホームには、吉永さゆりの「いつでも夢を」と「寒い朝」の懐かしい発車メロディが流れ、思わず歌を口ずさむ。
水戸線の笠間駅で途中下車、ちょっと寄り道してから小山経由で湘南ラインへ。


磐越西線で会津若松へ(H20年7月)

2008年07月24日 | Weblog
今回のルート(上野6:50-快速ラビット→宇都宮-黒磯→郡山10:40-快速会津ライナー→喜多方12:16~喜多方ラーメン~13:49→会津若松14:05~会津若松城~16:21→郡山17:37~郡山発18:15→小金井20:45湘南ライナ-)
 当日の天気予報では郡山は曇りから雨との予報だったが、思い切って東北本線に乗車。黒磯駅で途中下車したが快晴。午後からの悪天候を予想して、先に喜多方へ行ってから会津若松に戻るルートに予定を変更。
 郡山から直通運転の快速会津ライナーは、在来線の特急電車とまったく同じ車両で、座席も立派で非常に快適。発車間際に飛び乗ったが車内もそんなに混み合ってなく何とか座ることができた。赤と黒の車体に郷土玩具の赤ベコのイラストが描かれており、初めての磐越西線で気分もすっかり旅行気分。車窓には青々とした山や田んぼの夏景色が広がり、遠くに磐梯山が見える。
 会津若松でほとんどの乗客が降り、ここから電車がスイッチバックのように反対方向に走り始めたのでびっくり。後で調べたら只見線と新潟方面が交差しているので反対方向になったことが判明。
 終点の喜多方駅まで乗った人は少なかった。ちょうど昼時だったので、喜多方駅前の観光案内所でパンプをもらい、蔵の町の散策ルートやラーメンマップでおいしいラーメン屋さん探し。小型のレトロの市内観光バスもあったが、帰りの電車までにあまり時間もないため歩いて回ることに。夏の日差しが強くたちまち汗がダラダラ。
 インターネットにも載っていて、観光案内所の人も紹介してくれた「坂内食堂(ばんない)」へ。店の前に車が何台かあり、混んでいると思ったが、1時過ぎのためか地元のサラリーマンや家族連れが多いが比較的空いて、小上がりの座敷に座れた。店内は名前の通りごく普通の「食堂」そのもので建物も古く、テーブル席と小上がりでかなり広いがお世辞にもきれいとはいえない。店員は男性だけで6~7名くらいか。
料金先払いで名物の肉そば(900円)と冷たいビールを注文。
パンフレットの写真に偽りなく一面にチャシューがびっしりで麺が見えない。麺は太麺の縮れ麺で黄金スープと呼ばれる透き通ったうすい醤油味。
 有名店なのであまり味は期待していなかったが確かに旨い。ふと周りを見るとほとんどの人が同じ「肉そば」を食べていた。もっとも注文種類が肉そばとネギそばなど4種類しかないので当然か。ちょうどテレビでは甲子園の福島大会の決勝戦の真っ最中。
 お腹もいっぱいになったので市内の蔵造りの町並みを散策しようと歩き始めたが、それらしき建物が見当たらない。一軒だけ近くにレンガ壁の2階建の蔵があったので、入って見学ルートを歩いていたら、醤油屋さんの店先の中に出た。案内のおばあさんの手馴れた口上で蔵の歴史などを聞いたところ、この建物がNHKの「美の壺」という谷啓の番組で紹介されたとのこと。この番組は好きで良く見ているので、もしかしたらこの蔵をTVで見たのかも知れない。
 蔵の中にある座敷のテーブルや柱は、約200年も前に黒柿という木目のきれいな珍しい柿の木作られたもので、値段は付けられないが、おばあさん曰く「TVでは現在の値段では数百万円すると言われている」とのこと。
そのままおばあさんの口上に乗せられてだし醤油をお土産に買うことに。
 喜多方は蔵造りの建物は多いが、ほとんどが現住建物のため一般には公開していないそうだ。この建物と同じように一般公開しているところがもう一件あり、そこは有料見学で総檜造のかなり立派な建物で観光パンフにも載っているが、このおばあさんの弟の家だそうです。
 喜多方から次の目的地である会津若松へ。天気は快晴。
 駅前から市内周遊バス「ハイカラさん」に乗ろうと思ったが、時間が合わないため、路線バスで会津若松城へ。約10分で西門入口に到着。立派なお堀を渡って城内へ。城の周りは公園になっていて、芝生もきれいで桜の木も多く、お花見の季節はかなりの人で賑わうだろう。
幕末の悲劇の舞台となった会津若松城(別名鶴ヶ城)は、比較的小さい城であるが、天守閣までの7層の各階には、当時の城内の模様や会津の歴史、生活文化が展示され、思ったより内容が濃く、500円の入場料では安いくらいに見所がたくさんあった。
 天守閣からは、会津若松市内や遠く白虎隊の飯盛山や磐梯山などの眺望がきれいで、わずか140年前に大勢の会津武士の血の歴史があった地とは想像できない。
 帰りのタクシーの運転手の話によると、昔は会津若松は観光名所として賑わったが、ご他聞にもれず若者が都会に流出し、夏は暑く冬は寒い盆地のため今は観光客もめっきり減り、見所といえば会津若松城と飯盛山ぐらいしかないですよとの寂しい言葉。
 やはり天気予報があたり、帰りの会津若松駅から郡山への途中で土砂降りの雨が降ってきた。予定を変更して正解!。
 郡山ではゆっくり歩く時間がなく、駅前を歩いているうちに帰りの電車ギリギリになり、慌てて夕食の釜飯と缶ビールを買って車内へ。思ったより混んでいてしばらく弁当を食べられなかったが、今回は思い切って遠出した甲斐があった。青春18切符はすごい!