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静岡市藝術祭『藝道大会』大伸流剣舞

2013-10-24 16:58:26 | 演武

大伸流神鳳館宗家館長の内藤重正です。今年は私の芸歴60年の記念の年です。
大伸流は今は珍しい古流剣舞で、舞には真剣を使います。海外公演も昭和61年から、中國・台湾・オーストラリア等、
10回以上、多い時には80名もの芸道団を連れて出掛けます。
日本の伝統芸道として、人気も高く行く先々で、多くの観客が見に来て下さいます。
文化交流を目的とした交流ですので、特別な場合以外は、入場無料で行って居ります。
先日(10月14日(祝)にも、静岡市藝術祭『藝道大会』を清水文化会館・マリナートで、
盛大に開催しました。多くの市民の皆さんに観て戴き、だれでも・いつでも入会出来ますので、お問い合わせください。

☎054-334-3377
〒424-0901
静岡県静岡市清水区三保3797-32
大伸流神鳳館
館長 内藤重正
mail: naitou@shinpoukan.com

「剣舞」棄児行(雲井龍雄作)

2012-07-09 11:52:19 | 演武
「剣舞」棄児行(雲井龍雄作)の解説

 幕末の乱世には貧困から、江戸の街のあちこちで「捨て子」があったと言われています。それを門人から聞いた幕末の儒学者・雲井龍雄は、その情景をつぶさに漢詩にしたためました。それがこの棄児行です。
 明治維新になり浪人となった武士や、職を失った著名な剣豪達が、大道で真剣を振るって、見世物同様に演じた迫力ある剣舞は、この棄児行とか、斬り合い剣舞(立ち回り)が主流だったと言われています。
 昭和30年代までは、剣舞の各流派の宗家などが、挙って吟詠大会などの舞台で演じ、観客から涙を誘い、会場からは、すすり泣く声まで聞こえましたが、今は殆ど演舞する人も、居なくなりました。
 この剣舞は、剣術神鳳流の流れをくむ、大伸流剣舞創始者(初代宗家)元昭和天皇の護衛官も務めた、斉藤儀兵衛(通称鈴木儀平重俊)と言い、この「棄児行」の剣舞は、宗家継承者のみに相伝とされて来ました。
大伸流二代宗家内藤重正玲鳳は、静岡市清水文化会館(取り壊しのため)最後の公演で演ずべく、昨年11月山形県米沢市にある、雲井龍雄の菩提寺である「常安寺」を訪ね、棄児行の長詩を吟じ奉納して来ました。
そして、真剣を振るっての極限の演舞を、もと同門の ★吟詠玉翠流宗家 則竹玉翠先生の凛とした素晴らしい吟詠で、精一杯の演舞をすることが出来ました。

棄児行           雲井竜雄作

(和歌) 小夜更けて  しばし赤子の  泣きやむは
     母が添い寝の  夢や見るらん
(詩吟)
この身飢ゆれば この児育たず  この児棄てざればこの身飢ゆ
棄つるが是か 捨てざるが非か  人間の恩愛 この心に迷う
哀愛禁ぜず 無情の涙      また児の面を弄して 苦思多し
児や命無くんば 黄泉に伴わん  児や命あらば この心を知れよ
焦心しきりに属す 良家の救いを 去らんと欲して忍びず 別離の悲しみ
橋畔忽ち驚く 行人の語らい   残月一声 杜鵑啼く


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2012-07-02 16:21:45 | 棄児行・雲井龍雄作


「剣舞」棄児行(雲井龍雄作)の解説

 幕末の乱世には貧困から、江戸の街のあちこちで「捨て子」があったと言われています。それを門人から聞いた幕末の儒学者・雲井龍雄は、その情景をつぶさに漢詩にしたためました。それがこの棄児行です。
 明治維新になり浪人となった武士や、職を失った著名な剣豪達が、大道で真剣を振るって、見世物同様に演じた迫力ある剣舞は、この棄児行とか、斬り合い剣舞(立ち回り)が主流だったと言われています。
 昭和30年代までは、剣舞の各流派の宗家などが、挙って吟詠大会などの舞台で演じ、観客から涙を誘い、会場からは、すすり泣く声まで聞こえましたが、今は殆ど演舞する人も、居なくなりました。
 この剣舞は、剣術神鳳流の流れをくむ、大伸流剣舞創始者(初代宗家)元昭和天皇の護衛官も務めた、斉藤儀兵衛(通称鈴木儀平重俊)と言い、この「棄児行」の剣舞は、宗家継承者のみに相伝とされて来ました。
大伸流二代宗家内藤重正玲鳳は、静岡市清水文化会館(取り壊しのため)最後の公演で演ずべく、昨年11月山形県米沢市にある、雲井龍雄の菩提寺である「常安寺」を訪ね、棄児行の長詩を吟じ奉納して来ました。
そして、真剣を振るっての極限の演舞を、もと同門の ★吟詠玉翠流宗家 則竹玉翠先生の凛とした素晴らしい吟詠で、精一杯の演舞をすることが出来ました。

棄児行           雲井竜雄作

(和歌) 小夜更けて  しばし赤子の  泣きやむは
     母が添い寝の  夢や見るらん
(詩吟)
この身飢ゆれば この児育たず  この児棄てざればこの身飢ゆ
棄つるが是か 捨てざるが非か  人間の恩愛 この心に迷う
哀愛禁ぜず 無情の涙      また児の面を弄して 苦思多し
児や命無くんば 黄泉に伴わん  児や命あらば この心を知れよ
焦心しきりに属す 良家の救いを 去らんと欲して忍びず 別離の悲しみ
橋畔忽ち驚く 行人の語らい   残月一声 杜鵑啼く


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2012-06-27 16:09:17 | 剣舞


 幕末の乱世には貧困から、江戸のあちこちで「捨て子」がありました。それを聞いた幕末の儒学者・雲井龍雄は、その情景を漢詩にしました。
 それがこの棄児行です。明治維新になって職を失った剣豪達が、大道で演じた剣舞は、この棄児行が主流でした。
昭和30年代までは、各流派の宗家などが挙って演じましたが、今は殆ど舞う人が、居なくなりました。
 演者(剣士)は、昨年11月この作者、雲井龍雄の眠る、山形県米沢市の菩提寺「常安寺」を訪ね墓前に下記「棄児行」の漢詩を心を込めて吟じ、雲井龍雄居士の遺徳を称えました。
 静岡県静岡市清水区桜ヶ丘「清水文化会館ホール」最後の公演として、静岡市主催の文化祭「藝道大会」で静岡市藝道連盟会長でもある、剣士内藤重正(大伸流宗家)は、真剣を振っての熱演で、吟士は女流吟詠家としても名高い、則竹玉翠(玉翠流宗家)の凛とした吟で、満場の客席を、感涙と咽び泣きに沸かせました。


剣舞、棄児行・(幕末の志士)雲井龍雄作

この身飢ゆれば、この児育たず  この児棄てざれば、この身飢ゆ
棄つるが是か、棄てざるが否か  人間の恩愛、この心に迷う
哀愛禁ぜず、無情の涙      また児の面を弄して、苦重多しで
ぎん児や命無くんば、黄泉に伴わん  児や命あらば、この心を知れよ
焦心しきりに属す良家の救いを  去らんと欲して忍びず、別離の悲しみ
橋畔忽ち、驚く行人の語らい   残月一声、杜鵑啼く

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2011-03-16 12:15:05 | 日記
私たちは世界の皆さんと芸術を通じて、交流を深めようと昭和61年から、日華文化交流団として、台湾・中国へ剣舞・詩舞・洋舞・大正琴・歌謡・ステップ21(体操)など、芸道団を結成し、ニ十数回の海外公演などの文化交流を行っています。
久しぶりに仲間の四人で、『新日本三景』の一つでもある「三保の松原」にある三保園ホテルに一泊し、飲んで語って楽しい一夜を過しました。
翌日はお天気も良くなり、ホテルの直ぐ前の海岸に出て、霊峰富士をバックに記念写真を撮りましたが、自動シャッターで撮ったため、富士山は後ろに隠れてしまいました。
皆様に美しい富士山をお見せ出来なくて残念です。
皆さんも、是非三保の松原(羽衣の松)に天女に逢いに来てください。