
「剣舞」棄児行(雲井龍雄作)の解説
幕末の乱世には貧困から、江戸の街のあちこちで「捨て子」があったと言われています。それを門人から聞いた幕末の儒学者・雲井龍雄は、その情景をつぶさに漢詩にしたためました。それがこの棄児行です。
明治維新になり浪人となった武士や、職を失った著名な剣豪達が、大道で真剣を振るって、見世物同様に演じた迫力ある剣舞は、この棄児行とか、斬り合い剣舞(立ち回り)が主流だったと言われています。
昭和30年代までは、剣舞の各流派の宗家などが、挙って吟詠大会などの舞台で演じ、観客から涙を誘い、会場からは、すすり泣く声まで聞こえましたが、今は殆ど演舞する人も、居なくなりました。
この剣舞は、剣術神鳳流の流れをくむ、大伸流剣舞創始者(初代宗家)元昭和天皇の護衛官も務めた、斉藤儀兵衛(通称鈴木儀平重俊)と言い、この「棄児行」の剣舞は、宗家継承者のみに相伝とされて来ました。
大伸流二代宗家内藤重正玲鳳は、静岡市清水文化会館(取り壊しのため)最後の公演で演ずべく、昨年11月山形県米沢市にある、雲井龍雄の菩提寺である「常安寺」を訪ね、棄児行の長詩を吟じ奉納して来ました。
そして、真剣を振るっての極限の演舞を、もと同門の ★吟詠玉翠流宗家 則竹玉翠先生の凛とした素晴らしい吟詠で、精一杯の演舞をすることが出来ました。
棄児行 雲井竜雄作
(和歌) 小夜更けて しばし赤子の 泣きやむは
母が添い寝の 夢や見るらん
(詩吟)
この身飢ゆれば この児育たず この児棄てざればこの身飢ゆ
棄つるが是か 捨てざるが非か 人間の恩愛 この心に迷う
哀愛禁ぜず 無情の涙 また児の面を弄して 苦思多し
児や命無くんば 黄泉に伴わん 児や命あらば この心を知れよ
焦心しきりに属す 良家の救いを 去らんと欲して忍びず 別離の悲しみ
橋畔忽ち驚く 行人の語らい 残月一声 杜鵑啼く