1,
何かにつけ、老後老後と言っているが、老後っていったいいつから始まるのだろう?
文字通りに捉えると、「老いた後」ということになる。ということは、自分が老いていると思わない限り、自分の中では老後はないことになる。
「それは屁理屈だ」と言うのなら、老後という言葉を使わずに、わかりやすく「○十才以降」という言い方に変えてもらいたい。
2,
「ぼくは60代です」というと、「残りの人生をどうして過ごしますか?」「何かやりたいこととかありますか?」と聞いてくる人がいる。しかし、ぼくは来世を確信しており、現世で出来ないことはそちらに持ち越すつもりでいる。それゆえに残りの人生のことなど考えたことはない。
何せぼくは、そんなことよりも、いつもブログのネタ探しの方が大切だと思っている変わり者なのでありますから。
3,
「いつか来る運命の中に向かって
夢を忘れ、恋をわすれ、ただ日々の暮らしに
いくつとなく転がっている生き様を見つけ
ただそれが夢につながればいいと思う」
25歳の時に書いた『これからの生き方』という詩の一部だが、ぼくはずっとこの詩のとおりに生きている。とにかく、ぼくは昔から今に精一杯なのだ。
何かにつけ、老後老後と言っているが、老後っていったいいつから始まるのだろう?
文字通りに捉えると、「老いた後」ということになる。ということは、自分が老いていると思わない限り、自分の中では老後はないことになる。
「それは屁理屈だ」と言うのなら、老後という言葉を使わずに、わかりやすく「○十才以降」という言い方に変えてもらいたい。
2,
「ぼくは60代です」というと、「残りの人生をどうして過ごしますか?」「何かやりたいこととかありますか?」と聞いてくる人がいる。しかし、ぼくは来世を確信しており、現世で出来ないことはそちらに持ち越すつもりでいる。それゆえに残りの人生のことなど考えたことはない。
何せぼくは、そんなことよりも、いつもブログのネタ探しの方が大切だと思っている変わり者なのでありますから。
3,
「いつか来る運命の中に向かって
夢を忘れ、恋をわすれ、ただ日々の暮らしに
いくつとなく転がっている生き様を見つけ
ただそれが夢につながればいいと思う」
25歳の時に書いた『これからの生き方』という詩の一部だが、ぼくはずっとこの詩のとおりに生きている。とにかく、ぼくは昔から今に精一杯なのだ。