一理あるが、さて、その幸せはどこに逃げるんだろうか?そしてその幸せを取り戻す方法はあるんだろうか?
幸せとはその人の心の持ちようだという。
「貧乏であっても幸せと思っている人は幸せだし、金持ちであっても不幸せと思っている人は不幸せだ」
幸せを語るときに、よく引き合いに出される喩えだ。だから「物事をネガティブに捉えずに、ポジティブに考えましょう」という無責任な考えもここから出てくる。
しかし、へりくつ野郎のぼくの経験から言わせてもらえば、それは不幸せなことなんです。そういう風に自分の心を縛って、無理矢理ポジティブに考えようとすることが、幸せだと言えるんだろうか?
例えば人通りの多い道を歩いている時に、石につまづいてこけたとしよう。その時「おお、おれはなんと幸せなんだ!!」と思う人がいるだろうか?大半の人は「ちぇっ、ついてない。恥かいてしまった。今日は不幸な一日だ」と思うのではないだろうか。
しかしポジティブの考え方から言えば、「これを幸せだと捉えないと」と、こけたことが幸せであるための根拠を探さなければならない。
「そういえば、こけた場所のちょっと先に犬の糞が落ちていたなあ。こけなかったら気がつかんで踏んでいただろう。おれはなんと幸せなんだ!」とか、
「今日こけたということは、次からここを通る時は用心して歩くだろうからこけなくてすむ。なんとおれは幸せなんだ!!」とか、
「おっ、今日のこけ方は決まっていたぞ。おそらく見ていた人も『かっこいい』と思っただろう。うーん、なんといい日だ」などと、「ちぇっ、ついてない」の何十倍のことを考えなければならなくなる。
しかも、この幸せに考えようとする癖をつけてしまうと、万事にこの考え方をしなければ気がすまなくなる。つまりは「幸せの言い訳」である。
これを続けていると、他人から、
「変な言い訳するねえ」
「回りくどい人やねえ」
「素直さが足りんねえ」
「いつもヘラヘラ笑いよるねえ」
などと言われ変人扱いされてしまう。そんな陰口を叩かれても、なお
「おお、おれは陰口を叩かれている。なんと幸せなんだ!!」と思おうとする。いや、そう思わないと何か落ち着かなくなってしまう。
ここまでくれば、立派な病気です。これを不幸と言わずに、何を不幸と言うのだ!?心の持ちようだの何だの言うが、不幸なものは不幸です!
さて、冒頭の「ため息をつくと、幸せが逃げる」というのは、「『ため息をつくと幸せが逃げる』と思うことが、不幸せ」ということだ。
「あ、ため息ついた。どうしよう?」と思うより、そのことに触れずに歌でもうたっていたほうが賢明である。
幸せはどこに逃げるのか?
― はい、あなたが「幸せが逃げる」と思っているところに逃げます。つまり意識がそこに移行するだけの話です。
幸せを取り戻す方法は?
― はい、忘れることです。忘れることが一番幸せです。
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