サードウェイ(第三の道) ~白井信雄のサスティナブル・スタイル

地域の足もとから、持続可能な自立共生社会を目指して

近代環境史(イギリス編)

2013年08月17日 | 講義・講演

 2013年度、東海大学大学院の近代環境史の中で、イギリスをテーマにした講義を行った。これまでも、日本の近代環境史を担当してきたが、今年度から、それとあわせて、イギリスも担当することになった。日本とイギリスの各々の歴史を取り上げた後、それらを比較することで、近代環境史の本質的な意味や国状による違いを明らかにするものだ。

 

 イギリスの近代環境史の中で、注目すべき点を示し、今年度の講義の振り返りとしておく。不勉強な点が多いが、今後、さらに充実させたい。

 

1.産業革命は、18世紀後半のイギリスで発生したとされるが、なぜ、イギリスだったのか。

 2つの側面を苦強調しすることができる。

 1つは、産業革命が、商業革命や農業革命による資本力の蓄積を基盤としている点である。イギリスは16世紀までは後進国であったが、17世紀により商業(貿易)と農業が発展してきた。これらの富の蓄積は、植民地支配という陰の部分を持つが、民間資本の蓄積と事業家の台頭が産業革命の基盤となっている。

 もう1つは、イギリスは湿潤でやせた土が多い国土で、薪炭利用により森林の草原化が進みやすい状況にあり、いち早く薪炭から石炭に切り替えている点である。このため、石炭の需要が増加するが、炭鉱開発において、炭鉱の排水、石炭の輸送が課題となった。排水のためのポンプ技術として、産業革命を促すコア技術である蒸気機関が開発された。

  

2.産業革命がブレークスルーとなり、燃料革命、動力革命、交通革命、生活革命が波及的に進展した。

 燃料革命とは、薪炭の限界から、石炭に転換を進めた。動力革命では、石炭採掘のポンプの限界 から、蒸気機関(ポンプ)の導入を進めた。交通革命は、馬力の限界から蒸気機関車への転換を進めた。 生活革命は、大量生産による価格低下により、上流階級の文化が庶民に普及し、市場が拡大された。

 また、産業面では、燃料革命と動力革命により、石炭、製鉄が発展した。また、牧草地を基盤とした毛織物産業の発展が食糧との競合における限界が生じてきたため、植民地であったインドから原料となる綿を輸入し、加工する綿工業が発展する。

  

3.産業革命により、農業革命により村を追われた農民が都市における鉱工業やサービス産業に吸収され、都市の工業化と都市化が進行した。

 マンチェスター(綿工業)、リヴァプール(原綿の輸入と綿製品の輸出)、バーミングガム(鉄工業・金属工業)、ブリストル(製糖業・タバコ産業)、グラスゴー(綿工業)等は、石炭の煙で汚れ、労働者がひきめきある汚い町となった。

 また、安い労賃・劣悪な住宅、不衛生な環境、悪臭・汚物による公害問題が発生した。

 

4.イギリスでは、ナショナル・トラスト、ユートピアづくり等の先進的な取組が進められた。

 近代化の歪み(開発と放棄、労働者への抑圧)、自然への希求が、自然の保護と自然への回帰を求める活動に展開された。イギリスは、近代化とそれに伴う問題も先進地であるとともに、その回帰運動(揺り戻し)の先進地でもあった。

 イギリスをまねる回帰運動は世界各地に広がるが、イギリスほどの実現力を伴っていない面もある。

 

5.イギリスは、今日、地球温暖化問題に積極的に取り組んでいる国の1つであるが、酸性雨の問題では消極的な態度であった。

 英国や西ドイツ等の工業化の進展により、1960年代後半に、スカンジナビア半島南部での酸性雨被害が激化した。1972年の「国連人間環境会議」がストックホルムで開催された際、スウェーデンは英国や欧州の工業諸国の硫黄酸化物による北欧諸国の湖沼の酸性化、森林の枯死・衰弱を報告した。

 これに対して、英国と西ドイツは当初、消極的な態度であったが、西ドイツが途中で態度を変えて、硫黄酸化物の排出を1980年比で30%削減する協定に参加した。しかし、英国は協定に不参加。英国は、国際世論や環境NGOの反発を受けることとなる。

 この失敗から、英国は地球温暖化問題には、率先して取組み、イニシアティブをとる動きを継続している。

 

以上にようなイギリスと日本を比較すると、日本の特徴や課題として、次の点を指摘できる。

 

・既にイギリス等で開発・導入されていた産業革命を、政府が率先する形で急ピッチで導入した。民間資本の活力が主導するというより、官民一体となり、国策として、近代化が推し進められた。日本では、相対的に森林が豊かな気候条件、土地条件にあるが、そうした恵まれた資源が十分に活用されていないことは残念である。

 

・日本の場合も、石炭と製鉄という重工業が、富国強兵、殖産興業の掛け声の中で、重点的に育成された。軽工業では、生糸の輸出で冨を蓄積した紡績産業が発展し、紡績技術が機械工業を発達させ、自動車産業につながってきた。日本の場合は、キャッチアップ型である。

 

・日本でも、工業化と都市化により、公害問題が深刻化したり、感染症の流行等の被害を受けてきた。ただし、イギリスの都市における劣悪かつ不衛生な状態は、日本の都市ではみられなかったと推察される。水道事業や伝染病予防を行政の仕事として進めた日本と、公共性のある事業が民間主導で展開されたイギリスとの違いはある。

 

・ナショナルトラストやユートピア運動等は日本でも導入されてきたが、日本独自の発想による取組みが創造されてきたとは言い難い。また、英国は、酸性雨問題への取組の反省から、地球規模の環境問題に先駆的に取り組むことでイニシアティブを発揮し、経済との両立を図ろうとしてきた。日本でも同様の考え方や方針を持っているが、EUと東アジアの近隣諸国の状況の違いがある。東アジアの中でも、環境政策で主導権争いをするような状況にしなければならない。

 

主な参考文献:

角山栄・村岡健次・川北稔:生活の世界歴史10「産業革命と民衆」、河出書房新社、1992

川北稔・木畑洋一:「イギリスの歴史」有斐閣アルマ、2000

大場英樹「環境問題と世界史」公害対策技術同友会、1979

湯浅赳夫「環境と文明」新評論、1993

川名英之「世界の環境問題 第2巻西欧」緑風出版、2007

木原啓吉「ナショナル・トラスト」、三省堂選書、1992

四元忠博「ナショナル・トラストの軌跡 1895~1945年」緑風出版、2003

 

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