団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

高校生通り魔の心理とは

2011-12-06 14:37:17 | Weblog
 松戸、三郷で連続して女性にナイフで切りつけた犯人が捕まった。通信制の高校生だった。ナタも持っていて人を殺そうと思った、と物騒なことを言っている。
 どうしてこういう怪物が生まれるのだろうか。たぶん今回もいろいろな評論家が、この高校生の心理をあれこれと忖度するのだろうが、これまでの例から隔靴掻痒の感が強い。
 本当に人を殺したかったのだろうか。こちらも隔靴掻痒を覚悟でその心理を想像すると、通信制の高校生だから、実際の高校へ行くのには挫折している。たぶん勉強なんかしていない。
 うちにこもり、閉塞感が強まり、行き場のない怒りが内面で膨張していく。それが自分より弱い女性に向けられたかもしれない。
 それ以上に、すでに生きる気力も方向も喪失しており、なにか犯罪を犯すことで、逮捕される、という生き方を選んだ可能性が高い。
 通信制の高校生なら、このまま行けば、いずれは修了ということになり、人生の岐路に立たされる。そこでなにかを選択して、自分に何かを課して、意思的に生きていくということが、残酷なほどに辛くなっていたのではないか。
 それより、ここで考えることを停止したい。もう、いい、と思いつめるようになっていく。しかし自殺をするほどの覚悟はない。
 人を巻き込み、それによって生きることを止めたい、と思っても不思議ではない。捕まり拘束されれば、もう考えることは必要なく、ただ命令されるままに生きていくことができる。もう自分で意思を持つ必要もない。ただ漂うように生きていける。
 そういう心理になってしまったのではないだろうか。一方で従来型の犯罪は分かりやすい面がある。金のため、恨みのため、女のため、としっかりとした動機がある。
 こういう通り魔的な犯罪の動機は分からない。人を殺したい、と思うほど人を恨んでいるわけではない。ただ殺したい、のだろう。つまり自分に向けられた何かが、人に向かうのだろう。やはり現状打破ではあるのだろうが、それが通り魔でしか体現できない不幸がある。
 人には意思があると思われている。しかし意思がない人間もいるのかもしれない。その人に意思を要求することが現代社会では当たり前になっている。要求される意思に追いつめられる。逃げ場があるとすれば、それがたぶん犯罪だったのだろうか。高校生だから少年院に入り、いずれシャバに戻る。それで意思のある人生に戻れるのだろうか。あまりに楽観的的ではないか。こうした人に救いがあるのだろうか。

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