団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

森田知事はどうしていなくなったか

2019-11-08 14:43:21 | Weblog
 千葉県の森田知事が文春砲で木っ端みじんになっている。詳細は譲るとして、どうして災害翌日に災害対策本部からいなくなってしまったか、というのが最大の謎である。
 知事である以上、本部にいてあれこれと指示を与えなければならない立場だ。周りも知事の裁可がなければ動けないケースも多いであろう。たぶん、困った知事、とあきれているのではないか。
 当時の森田知事の心情を忖度すると、たぶん災害対策本部にいたくなかったのではないか。どうして。いろいろな災害情報が飛び交い、それらに対して的確な指示を出さなければならない。極度の緊張状態が続くわけだ。
 それを嫌ったのではないか。だから、私用車か公用車か知らないが、自宅に帰り、視察に単独で行動したという。会見はほとんど森田知事の言い訳に終始していた。
 だったら、いたくなかった、と認めたらどうだ、という意見もあろう。しかし、これを認めると、知事としての立場がなくなるし、リーダーシップが問われ、失脚につながる。
 だから、なんとか取り繕って、ほとぼりが冷めるのを狙っているのではないか。
 千葉県は近年、大きな災害がなく、知事が陣頭指揮をとって、なにかを解決する事案があまりなかった。ところが台風と集中豪雨が一度に襲った。知事としては、自らの手腕を見せる機会でもあった。
 ところが、いなければならない現場から逃げた。恐らく、森田知事としては、こうした修羅場をあまり経験したことがなく、どうしていいかも分からない。パニックに近い状態になったのではないか。
 そもそも非常時にこそ、知事や市長などの存在が不可欠である。だからトップにいられるわけだ。その非常時にいないというのは、やはり自らの仕事を放棄したに等しいであろう。
 これをもって、知事不適格の烙印は早計にしても、知事の適格者でないことは確かであろう。
 こうした立場の人間が、泣き言をいうわけにはいかないが、誰でも、逃げたい時はある。それでも立場上、できないことである。それが辛いのであれば、結局は辞任という落としどころが待っている。
 国、自治体、また企業であろうが、トップとは常に孤独という。その孤独は、最終的な決断を委ねられているからだ。周りには相談はする、いろいろな意見を聞く、しかし決断は自分がしなければならない。
その決断の重みに耐えられなければ、トップであり続けることはその組織にとって不幸なことである。最近のソフトバンクグループは決算発表で、大赤字を発表した。それを発表する孫さんは、まさしくリーダーの顔であった。損も得も自ら引き受ける覚悟が見えていた。森田知事に、それがあるのでだろうか。 

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