知床エクスペディション

これは知床の海をカヤックで漕ぐ「知床エクスペディション」の日程など詳細を載せるブログです。ガイドは新谷暁生です。

知床日誌⑭

2020-06-20 17:39:42 | 日記



知床日誌⑭

北海道はヒグマの生息地であり人とクマとの関係が長く続いてきた。都市化か進み住宅地が山に拡がった札幌では、今もクマが現れて騒動になっている。北海道では開拓期以前にはアイヌのクマ猟が続けられていたが、明治大正期からは開拓農家を襲う凶暴なヒグマと人との戦いが始まった。1887年の札幌丘珠事件や1915年の道北苫前サンケベツ事件は入植地の広がりとヒグマの生息域が重なったことで起きている。これらの事件では複数の人間がクマに殺されている。そしてそれは昔話ではない。札幌では毎年クマが市街地を徘徊し、道南の島牧村では海沿いの集落に頻繁に出没して騒ぎになっている。今年は古平町で山菜取りの人がクマに連れ去られる事件が起きている。今も昔と変わらず騒ぎのたびに人々のクマへの恐怖はつのる。

ヒグマはネコ科のトラのように獲物として人を襲うことはあまりない。クマが人の近くに現れるには理由がある。エサがそこにあるからだ。その点で畑は良い餌場だ。デントコーン畑に座り込めば何日でもエサに困らない。放牧された家畜もそうだ。捕まえやすい。日高では半殺しの馬を後ろ足で歩かせ、前足を背負って国道を越えて海岸まで運んだクマがいたという。最近の話だ。札幌の西には定山渓から喜茂別まで山が続き、豊平川源流のこの地帯は今もヒグマの生息域だ。そこに町が拡がり畑だけでなく家庭菜園で作物が作られ始めた。クマにはウドもフキもカブもトウキビも同じだ。ドングリや山ブドウ、コクワの実も果樹園のナシやサクランボも区別はない。だから彼らは市街地に出る。昨年は羅臼で犬を狙うクマが騒ぎになった。驚いて足を折る人も出たが、このクマはまだ獲られていない。

ヒグマは本来臆病な生き物だ。普段は植物を食べることが多い。だから春先から夏にかけての糞はウシのようだ。それに木の実や高山植物の実が混じる。イラクサや蟻、蜂の巣も好みだ。肉も食べる。魚は秋の主食だ。ヒグマはその時期に手に入るもので腹を満たす。その点で彼らは人間と同じ雑食動物といえる。食性が変化するのは環境が変わった時だ。北海道では明治期からの人の増加が彼らを変えた。人の近くには野菜や果物があり、海辺の村には良い臭いのする魚が干されている。それを拒む理性は彼らにはない。そしてそれに固執する。苫前の妊婦殺しや1970年の日高山脈の3名の事故はそのような中で起こっている。ヒグマはエサを自分のものと認識し、近寄るものを襲う。だから知床で私はエゾシカやトド、クジラの死骸に近づくなと言う。それはクマのものなのだ。昨年は定置網のそばを通っただけで山からクマに吠えられた。クマは網の中に魚の所有権を主張し、それを私たちに取られると思ったのだろう。何年か前には何故か敵意を持って私に向かってきた若いクマを追い払ったことがある。クマガスは外れたら意味のない銃より身を守る道具として役に立つ。

クマの被害に遭わないためにはその習性を知るべきだ。私は若いころ(中学生だった)余市岳でクマに追われた。またヒマラヤでクマに襲われて川に隠されたヤクの死骸を見た。1970年の日高の事故では稜線に散乱する登山パーテイのザックや破られた米袋を見て変だなと思った。そして沢に降りた。福岡大学の事故はその数日後に起こった。事故には必ず理由がある。クマは本来大人しい動物だ。しかし人が不用意に行動することで猛獣化する。またその性格には個体差とともに地域差がある。星野道夫の事故もカムチャッカとアラスカの環境の違いを忘れたことで起こったように思う。

知床のヒグマは半島の狭い土地の中で古来生きてきた。川にはサケマスが遡上し、山から海岸までの豊富な食べ物を得て彼らは生きてきた。知床は住みやすい土地だった。そしてそれは猟師にも同じだ。アイヌだけでなくカラフトのニブフも宗谷を越えて知床でクマ猟をした。50年前頃まで半島の台地にニブフのクマ送りの跡があったと知床財団の山中さんに聞いたことがある。知床はかってクマとともに狩猟民にとっても天国だったのだろう。

しかし今日その全てが危うくなり始めている。メディアや学者は無用に恐怖をあおりテレビでおもしろおかしく知識を広める。やがてそれでは済まない事態が起こる。そうなる前に積極的な対策を始める時なのではないか。クマを誘因するゴミの始末やエサやりの禁止は当然だが、今は危険な個体を全て駆除する覚悟が役所には必要だ。しかし本気でそれに取り組む気はないようだ。国も道もこの問題は金のない各市町村と猟友会任せだ。かって間引きが野生を健全に保ってきた。しかし春熊駆除の禁止から30年、エゾシカの天文学的な増加に見られるように生態系はすっかり変わった。今はDNA解析で危険な個体を同定する前に、他にすることがあるのではないだろうか。私は環境問題にもグローバル化の弊害が現れているように思う。生態系の保護だけが保護なのではない。環境問題と人権問題は表裏一体と思う。ヒグマは沿海州の猟師、デルスウ・ウザーラが言ったように「臆病な人」なのだ。

新谷暁生


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