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一昨日、新橋で「ぷちショップ」の会議があった。
16時過ぎに終了したので、少し足をのばして日比谷公園に
行ってみた。
高校の修学旅行で訪れた記憶がある。
その後5年間東京で暮らしたが、生活エリアが新宿、池袋
を起点とする私鉄沿線だったので、新橋界隈はついぞ
縁がなかった。
だから31年ぶりだ。
記憶に残っている光景と再会出来るか、がテーマだった。
あった。
このベンチと、芝生と花壇に見覚えがある。
ベンチ自体は勿論別物だろうが、それらが醸し出す風情は
当時のままである。
私にとって「東京」はタイムカプセルなのだ。
何故?
帰省してからは関西中心の活動になるので、東京を
訪れる必要がなくなった。
たしか友人の結婚披露宴出席の為に10数年前、
それと、ある団体の研修旅行で5年程前に上京した程度。
どちらも品プリに泊まったっけ。
その程度の頻度だから、心が日常化しない。
勿論、街は、あったものがなくなって、また逆に、なかったものが
出来たりして、様変わりしてはいるが、この日比谷公園のように
当時を彷彿とさせる場所や建物もまだたくさん残っている。
だから、この地に入ると、心が当時に戻ってしまう。
そう。
タイムスリップしてしまうのである。
二十歳前後の「自分」が居た時空で、五十歳手前の「自分」が
徘徊するといった感覚に陥る。
当時、品川には多分1回だけ訪れている。
それは、仕事仲間と研修旅行で上京する父親が、地理不案内
ゆえ、自分の宿舎に息子を事前に呼んだもので、その宿舎が
品川のとある旅館だった。
詳細な記憶はもう彼方ではあるが、坂道の途中にある旅館だった。
駅の出口も品プリのある側だった。
ちゃんと探せばもしかするとまだあるかも知れない。
当時の私の年齢と、現在の私の長男の年齢がほぼ同じ。
長男を授かった年齢が父と私とでやはりほぼ同じ。
ということは、
そこに行って、愛媛から来ている「河端」に面会を求めれば、
ちょうど「今」の私と同じ年頃の父親が出てくるかも知れない。
そうすると、同い年の父子が対面するわけだ。
話してみたい。
「おやっさん、息子はどう?」
「おやっさん、今楽しい?」
そんな奇妙なことを妄想させる力が私の「東京」にはある・・・
16時過ぎに終了したので、少し足をのばして日比谷公園に
行ってみた。
高校の修学旅行で訪れた記憶がある。
その後5年間東京で暮らしたが、生活エリアが新宿、池袋
を起点とする私鉄沿線だったので、新橋界隈はついぞ
縁がなかった。
だから31年ぶりだ。
記憶に残っている光景と再会出来るか、がテーマだった。
あった。
このベンチと、芝生と花壇に見覚えがある。
ベンチ自体は勿論別物だろうが、それらが醸し出す風情は
当時のままである。
私にとって「東京」はタイムカプセルなのだ。
何故?
帰省してからは関西中心の活動になるので、東京を
訪れる必要がなくなった。
たしか友人の結婚披露宴出席の為に10数年前、
それと、ある団体の研修旅行で5年程前に上京した程度。
どちらも品プリに泊まったっけ。
その程度の頻度だから、心が日常化しない。
勿論、街は、あったものがなくなって、また逆に、なかったものが
出来たりして、様変わりしてはいるが、この日比谷公園のように
当時を彷彿とさせる場所や建物もまだたくさん残っている。
だから、この地に入ると、心が当時に戻ってしまう。
そう。
タイムスリップしてしまうのである。
二十歳前後の「自分」が居た時空で、五十歳手前の「自分」が
徘徊するといった感覚に陥る。
当時、品川には多分1回だけ訪れている。
それは、仕事仲間と研修旅行で上京する父親が、地理不案内
ゆえ、自分の宿舎に息子を事前に呼んだもので、その宿舎が
品川のとある旅館だった。
詳細な記憶はもう彼方ではあるが、坂道の途中にある旅館だった。
駅の出口も品プリのある側だった。
ちゃんと探せばもしかするとまだあるかも知れない。
当時の私の年齢と、現在の私の長男の年齢がほぼ同じ。
長男を授かった年齢が父と私とでやはりほぼ同じ。
ということは、
そこに行って、愛媛から来ている「河端」に面会を求めれば、
ちょうど「今」の私と同じ年頃の父親が出てくるかも知れない。
そうすると、同い年の父子が対面するわけだ。
話してみたい。
「おやっさん、息子はどう?」
「おやっさん、今楽しい?」
そんな奇妙なことを妄想させる力が私の「東京」にはある・・・
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