★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

**の中の孤独のグルメ

2012-05-23 23:51:59 | 食べ物


以前、大学院のT君が紹介してくれた作品。アホの虫の交響曲(交響曲第7番)を聴きながら読んだ。孤独のグルメなのは、いきなり各話の冒頭でいつも猛烈に腹が減っているゴロー氏が一人で食事するからであるが、その「孤独」は、店に客や主人がわらわらいるのでゴロー氏の食べながらの心的独白がいかにも内的な感じがするからである。先日グログに書いた「うんまーい」と部屋の中で悶絶している人妻マンガとはここが違う。どうも私は、ゴロー氏の気分がよくわかる。ときどき、いかにも安かろう不味かろうという食堂に入り、演歌がかかりブラウン管テレビがしゃべり、まわりのおじさんやおばさんが一言も「旨い」とは言わずにあーだこーだしゃべっている中で、ハンバーグ定食(←味覚崩壊した私でも明らかに旨いとはいえぬ)を食べていると妙に気分が落ち着いてくるのである。ときどき、眼の隅っこにゴキブリの姿がうつったりするのであるが、気のせいだろう、ともう一回見てみるとホントにいたりする。ゴロー氏は恋愛に破れたりいつもは商談で苦労している人のようである……ときどきは食欲を満たす「だけ」に、人がコミュニケーションの相手ではなく絵のように見える状態を欲しているように見える。グルメ雑誌にランキングされているような旨い食事は、どうも自己主張が食べ物からきこえてくるのでコミュニケーションみたいだ。そんなもんは普段やっているからうんざりである。私が、「うんまーい」人妻の気分がわからんのは、この人妻がどちらかといえばコミュニケーションに飢えているような人間だからで(夫とのコミュニケーションにも飢えているであろう)、食事が殆ど食べ物とのコミュニケーション(ありゃほとんど性的交渉に近いな、絵的にも)と化しているからであろう。