今日は、二つの同時代作家のイベントを見に行ってきた。この二作家を対立物としてではなく、共通する問題物として考えるのが以前からの私の目的である。一人目は、機械に乗って雪国に行く作品を書いた「がらんどうな」(小林秀雄)川端康成。二人目は、人間の抱える矛盾を意識的に構成して視覚的に定着できると考える?「人間機械」村山知義。
昼間は、菊池寛記念館でやってる川端康成展のための特別講演を聞きに行く。四国大の友重幸四郎氏のもの。昨年、芥川龍之介展の時は私がやったので、参考に聞きに行ったのである。どうも一般市民向けのものをどうやったらいいのかいまいちわからんので……。友重氏の講演は、「雪国」一つに絞ったものだったが、これに較べると私のものは様々な作家の作品を出し過ぎて散漫にきこえたかもしれない。友重氏のスタイルは、案外、作品論の研究発表に近いにもかかわらず、市民向けの感じになっている。私の場合、作家論や文学史に近い──というよりサービスしているつもりでいろいろ語った結果──、そのいろいろ(笑)の「関係性」を説明するために専門的になりがちであった。単純なことであるが、一般の読者は、ある作品の「読書」体験を深めたいと思っているのが普通であって、文学史や思潮史を聞きたい訳ではない──というかそういう観点をそもそも知らないからだ。それにしても、一般市民に向けてのお話というのは、そもそも教育が目的であろうか?啓蒙が目的であろうか?癒しであろうか?
夜は、あごうさとし脚本=やなぎみわ氏演出の「1924 人間機械」を見に行く。村山知義の意識的構成主義からプロレタリア演劇への転向?を素材とした舞台である。アフタートークでも脚本家と演出家が語っていたことであるが、その転向?が本当は何なのか?という解釈が問題で、京都公演の時とは、そこをめぐって演出自体かなり変更されていたようである。今日の舞台では、その「転向」を、彼がはじめから機械であるが故に──「踊る村山」(意識的構成主義)から「しゃべる村山」(プロレタリア演劇)の創出=分裂といった風に、さしあたり描いた。機械から人間にもどったという風にとれなくない部分であったが、しかし、今日の演出の特異性は、この分裂はその一部が美術館や観客の持つイデオロギーによる分割であると挑発したところにあったと思う。
以下ネタバレ含む
「しゃべる村山」は、「帝国主義絶対反対!」を連呼する──すなわち特定のイデオロギーに基づくために、×松美術館から追放され、選挙カーみたいな車で去っていった。観客は、途中で美術館の車庫まで歩かされてその模様を目撃した。そのとき、観客からは笑いがわき起こったが、それはどのような感覚に基づくものであろうか。その感覚を検証するかのように、今度は「踊る村山」が観客の後ろから現れ箱に入れられて、美術館に収蔵されてゆく。観客は、この分裂をいかに見たか?
こうして、私も、このブログで「3びきのくまさん」のプロレタリアートバージョンを描いて遊んでしまった行為の意味を改めて確認できた次第だ。美術展の内容は、村山の投獄=転向時代が明らかに手薄だった。確かに「美術」展としては、前衛美術時代と絵本の絵に傾くのはしょうがないとしても、しょうがない以上の妙な抑圧があることも確かなのである。今日の演出が突いているのはそこであろう。
一方、演出でいちばんの盛り上がりを見せていたのが、萩原恭次郎『死刑宣告』を描いた部分であろう。どうも観客が視覚的に一番面白がったのはこの場面かもしれない。そしてこの場面の極点で村山の転向?が起こるので、左傾した村山がなんかしらけた奴に見えかねなかった。研究上も非常に難しいところであろう。『死刑宣告』表紙デザインを行った村山に対し、「プロレタリアへの突進」の必要性を説くような口ぶりで転向を促しているようにみえる(「構成派研究の著者へ」)のも恭次郎なわけで……。
昼間は、菊池寛記念館でやってる川端康成展のための特別講演を聞きに行く。四国大の友重幸四郎氏のもの。昨年、芥川龍之介展の時は私がやったので、参考に聞きに行ったのである。どうも一般市民向けのものをどうやったらいいのかいまいちわからんので……。友重氏の講演は、「雪国」一つに絞ったものだったが、これに較べると私のものは様々な作家の作品を出し過ぎて散漫にきこえたかもしれない。友重氏のスタイルは、案外、作品論の研究発表に近いにもかかわらず、市民向けの感じになっている。私の場合、作家論や文学史に近い──というよりサービスしているつもりでいろいろ語った結果──、そのいろいろ(笑)の「関係性」を説明するために専門的になりがちであった。単純なことであるが、一般の読者は、ある作品の「読書」体験を深めたいと思っているのが普通であって、文学史や思潮史を聞きたい訳ではない──というかそういう観点をそもそも知らないからだ。それにしても、一般市民に向けてのお話というのは、そもそも教育が目的であろうか?啓蒙が目的であろうか?癒しであろうか?
夜は、あごうさとし脚本=やなぎみわ氏演出の「1924 人間機械」を見に行く。村山知義の意識的構成主義からプロレタリア演劇への転向?を素材とした舞台である。アフタートークでも脚本家と演出家が語っていたことであるが、その転向?が本当は何なのか?という解釈が問題で、京都公演の時とは、そこをめぐって演出自体かなり変更されていたようである。今日の舞台では、その「転向」を、彼がはじめから機械であるが故に──「踊る村山」(意識的構成主義)から「しゃべる村山」(プロレタリア演劇)の創出=分裂といった風に、さしあたり描いた。機械から人間にもどったという風にとれなくない部分であったが、しかし、今日の演出の特異性は、この分裂はその一部が美術館や観客の持つイデオロギーによる分割であると挑発したところにあったと思う。
以下ネタバレ含む
「しゃべる村山」は、「帝国主義絶対反対!」を連呼する──すなわち特定のイデオロギーに基づくために、×松美術館から追放され、選挙カーみたいな車で去っていった。観客は、途中で美術館の車庫まで歩かされてその模様を目撃した。そのとき、観客からは笑いがわき起こったが、それはどのような感覚に基づくものであろうか。その感覚を検証するかのように、今度は「踊る村山」が観客の後ろから現れ箱に入れられて、美術館に収蔵されてゆく。観客は、この分裂をいかに見たか?
こうして、私も、このブログで「3びきのくまさん」のプロレタリアートバージョンを描いて遊んでしまった行為の意味を改めて確認できた次第だ。美術展の内容は、村山の投獄=転向時代が明らかに手薄だった。確かに「美術」展としては、前衛美術時代と絵本の絵に傾くのはしょうがないとしても、しょうがない以上の妙な抑圧があることも確かなのである。今日の演出が突いているのはそこであろう。
一方、演出でいちばんの盛り上がりを見せていたのが、萩原恭次郎『死刑宣告』を描いた部分であろう。どうも観客が視覚的に一番面白がったのはこの場面かもしれない。そしてこの場面の極点で村山の転向?が起こるので、左傾した村山がなんかしらけた奴に見えかねなかった。研究上も非常に難しいところであろう。『死刑宣告』表紙デザインを行った村山に対し、「プロレタリアへの突進」の必要性を説くような口ぶりで転向を促しているようにみえる(「構成派研究の著者へ」)のも恭次郎なわけで……。