★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

丸山眞男とセクトとコペル君

2012-08-16 04:01:31 | 思想


確かに、丸山眞男は「闇斎学と闇斎学派」を、あるいは学生運動におけるセクトの体たらくを横目に見ながら書いたのかもしれない。そこには、海外から来た「全体的世界観」に身を賭ける人達はいかに生きるか、という問いがあった。しかしいまや、問題はそこじゃねえ……と思われるのは、まずはその前提として、賭ける人びとはいまだにいるかもしれないが、その人達が分派と闘争を繰り広げるほど、そもそもまともなセクトが出来ねえじゃねえか、という感じがするからである。確か鎌田哲哉氏がこの丸山の文章をだしにして、NAMの柄谷天皇を批判していたことがあった(『新現実』に載った論文)。たしかに、あの頃、わたくしも、NAMの決起集会などを見物にしにいったあと、つくばで「柄谷大明神の行く末」について語ったりしたものであった。鎌田氏はちょっと真剣すぎるんじゃないかという感じが当時していた、私には鎌田氏が「もっと超越性に賭けよ」というタイプに見えていたからである。それはまちがっていた。鎌田氏は議論をすることに賭ける人であった。そんな姿が私に見えなかったのは、それはそれでなんとなく空気に抗っていない道のような気がしていたからであろう。議論は集団を解体する方向で働くといういやな感じが当時の私を支配していた。

最近、勉強の妨害にばかりあっているためにそんなことを思うのかもしれない。まずは勉強する場所を守らなければならない。そのためには、議論を拒否することも場合によっては必要なのである。

上の画像は、『丸山眞男集 第十一巻』だが、巻末には「「君たちはどう生きるか」をめぐる問題──吉野さんの霊にささげる──」が載っている。懐かしい文章である。わたしはこれを小学校六年のときに読まされている。吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』中の「雪の日の出来事」を脚本化して主人公のコペル君も主演したもんでね……(笑)。吉野の著作は、左翼の転向と文芸復興のちょっとあと(ある種、絶妙な時期である)──昭和12年に書かれたものであるが、丸山の文章は、書かれたてほやほやの文章であって、私はその文章の「そうです、私達が「不覚」をとらないためにも……。」という末尾に、激しい抵抗の精神を感じない訳にはいかなかった。コペル君は、豆腐屋の浦川君とは違って、早慶戦実況の真似をして喜んだり、おじさんから生産関係のことを教わったりする、ブルジョアでインテリの卵である。子供心に思ったのは、コペルニクス的転向こそが目標だ、しかし卑怯な人間にはならないという倫理はその転向から来るものであろうか、ということであった。コペル君あるいはおじさんの「社会科学的」見方は、どちらかというと作中の一場面の如く、銀座の屋上から群集を眺める式のもので、本当に「雪の日の出来事」の倫理的なものを回収できるのであろうか、という疑問である。本当は、「雪の日の出来事」からの感情的回復(同時代的にはこっちの方が「転向」現象である)があるからこそ、社会科学的認識に落ち着くのではないか。マルクス主義者じみた言い方になるが、そこに実践のモメントはあるのか否か。実践が不可能になっているからこその、コペルニクス転向なのではないか。

しかし、だからこそ実践が目指されるべきだとは、私は必ずしも思わないのである。

コペル君の前途は多難であり、果たして彼の青年期以降、仲間はいたであろうか。いや、それ以前に大政翼賛会に入っていたかもしれない。