★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

ジャカランダ 対 ホテル・ルワンダ

2012-08-29 09:11:27 | 思想


いま研究していることに関係する事象を扱っているので、考えさせられた作品。私が考えているのは、この破壊のみ(最後にちょっと妙に明るい場面があるが……)の物語が、なぜ植物によって引き起こされているのか、である。

そんなことを考えていたら「ホテル・ルワンダ」のことを思い出した。100万人が殺されたとも言われるルワンダ虐殺のさなか、1200人の難民をホテルに匿ったホテルマンの話である。ルワンダ虐殺が起こった歴史的背景などの説明がまるでない映画なので、これはむしろ、ホテルマンの生き方に焦点を当てた「こんな時あなたはどうするか」という一般的なメッセージを発している映画であると思う。……といっても、それは「どんな時なのだ?」と言われると困る問題ではあろう。わたしはルワンダ虐殺についてはほとんど何も知らないが、フツ族とツチ族の対立がベルギーの支配下で創作された対立であったことは確かでも、その後の虐殺に至るプロセスについては謎の部分が多いはずだからである。昔みたNHKのドキュメンタリーでは、当時ルワンダに入ってほとんど何も出来ずにノイローゼになってしまった国連軍の司令官が「人間の顔じゃなかった、悪魔の顔があった」とか、当時の虐殺を振り返っていたが、要するに、その宗教的な観念をとり去ってみれば、彼は当時も今も何のことやらさっぱり分からなかったと見るべきではなかろうか。ウィキペディアにも書いてあったように思うが、この虐殺が、プロパガンダによる興奮状態によって引き起こされたものではなく、組織的、計画的な虐殺でもあったことは、十分あり得る。が、なぜそうなったのかはよく分からないのではなかろうか。そんな訳のわからなさを人間の「自然」だと言うのは自由であるが、よく分からないことにはかわりはない。

これに対して、主人公のホテルマンの手段を選ばない行動は分からないではない。ホテルにいる難民(というか、彼にとっては「お客様」である)のためなら、フツ族に頼んで食料調達、軍のお偉方をビールや金銀で買収、とかなんでもやってのける。そもそも、彼は、一目惚れした女の子に近づきたくて、大臣に賄賂を送って彼女の配置換えをさせたような男なのだ。(この女の子が後の彼の奥さんである。彼女を守るために彼はこの映画で奮闘する。)ここまでくると、彼は常に公私混同しており、もはや、国家の一大事に際しても、家族を守るという私事が私事に見えないのではなかろうか。……というのは冗談だが、もしかしたら、フツ族の大義に燃えて、ツチ族を殺しまくっている民兵の方が、私的感情を交えず大まじめに純粋に天下のことを考えていたかもしれないからである。確かに、小物というのは、そうなりがちであろう。外国との接点や国内での様々なコネクションを持つホテルマンの方は、その履歴はもはやいろいろな意味でクリーンではあり得ない。が、それを気にするほど「個人的」な人間ではなくなっていたのではないか。大物はそんなもんかもしれない……(と私のような小物が言ってみよう……)

こんな逡巡すらなく、破滅と再生とかいっている、しりあがり寿や我々は、ほとんど人間ではなく、植物なのかもしれない。