★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

カツオ人間とお祭り騒ぎ

2013-12-15 18:27:28 | 音楽
http://j-town.net/tokushima/news/localnews/033253.html


カツオ人間、彼女募集。
(高知県在住か通える、明るく元気な20歳以上の女性で、カツオ人間と一緒に高知県を盛り上げたい人)

カツオ人間は怖いので、×松交響楽団の第111回定期演奏会に行ってきた。


ファリャの藁人形「三角帽子」組曲と、「阿片中毒幻想交響曲」。

ファリャの「三角帽子」といえば、エロ代官が粉屋の人妻をナンパしようとしたが、結局、いろいろあって失敗し、最後はドン百姓たち民衆が、代官に似せた藁人形を放り投げたりしてお祭り騒ぎをやらかす、という――のちのスペインのゴタゴタを予言したとはお世辞にもいえないお話。

ベルリオーズの「幻想交響曲」といえば、説明するまでもなく――、たとえば「彼はまず、あの魂の病、あの情熱の熱病、あの憂鬱、あの喜びをわけもなく感じ、そして、彼が愛する彼女を見る。そして彼女が突然彼に呼び起こす火山のような愛情、胸を締めつけるような熱狂、発作的な嫉妬、優しい愛の回帰、厳かな慰み。」といった作曲者による自己愛大爆発の解説がついている、非常に美しい曲である。舞踏会で逢瀬→野っ原でデート→夢の中で彼女を殺害→彼も断頭台で首ポロリ→サバトでワッショイ、というありふれた物語であるが、非常に美しい曲である。

結論的に言えば、どちらもどんちゃん騒ぎの曲である。

どちらの曲も私は昔演奏したことがあるが、とても難しい曲で、演奏者に対する作曲者の殺意を感じた。

あらためて実演で聞いてみると、ファリャのオーケストレーションのある種の洗練に対して、ベルリオーズはほんと変わってるなという感じであった。演奏の仕方によるのかもしれないが、曲の前半は、走馬燈のような、ある意味ぶつ切れみたいな曲なのに、断頭台からサバトの流れはよどみなくリアルである。ベルリオーズにとっては、断頭台サバトでワッショイの方が現実だったのであろう。そして当時の人々にとっても……