五〇年代の雑誌を捲っていたら、『新潮』で、梅崎春生と竹山道雄と芳賀檀が時評欄に書いていた号があった。並べて読んでみるとなかなか面白かったが、わたくしの好みで言えば――いや、おそらくわたくしの好みでなくても、梅崎春生の文章(「道路のことなど」)がずば抜けて面白い。竹山道雄のもの(「終戦の頃のこと」)も、惨めったらしくて面白く、戦後派のよくある戦争責任論なんかよりよっぽど真実をついているような気がするのであるが、そこまで悪口いうなら、そこを実名で書けよ、と言わざるを得ない。芳賀檀は、戦後「日本浪曼派の復活」を唱えすぎて、か分からんが、みんなからどん引きされていたお人。今日読んだ文章(「再び日本浪曼派再建について」)も、題名に既に再が二つも入っていてクドいし、結局、なぜ自分たちがすごかったのかさっぱり分からない。今度彼の「死の超克」とやらを読んでみるつもり。確かに、日本浪曼派というのは、当時、結構なインテリ集団が、一種の文化的人民戦線をつくろうとしたところがあるので、本人たちはなぜそんなに自分たちが馬鹿にされなくてはならなかったのか訳が分からなかったであろうが……
梅崎のものは、とにかく日本の道路が酷いということを愚痴った文章で、日本列島改造論を先取りしていたといわざるを得ない。なわけはないのであるが、この作家は、桜島や阿蘇に拘るのを止めたときに非常に鋭い。ただ、梅崎というのは、非常に多くのものを諦めているようなところがある。
このあと、土井大助の詩集(「十年たったら」)なんかを読んだのであるが、今度はすごく諦めないばっかりの詩なのだ。土井大助が登場したのは六二年である。
おめえらの時代をおわらせてやる
人間が人間をとりもどす
あたらしい時代がやってきたんだ
やがて この工場に この国に
たくましい花園ができあがるだろうぜ
小きざみにふるえるおれのいのちが
いま 歴史の歯車にくいこんだ
今日から おれは
こころに太陽をもつ
日本共産党員だ!
(「入党宣言」)
……もうお気づきの方は居られると思うが、以上の方々、全員東京大学出身である。