見ぐるしきもの 衣の背縫ひ、かた寄せて着たる。また、のけ頸したる。例ならぬ人の前に子負ひて出で来たる。法師陰陽師の、紙冠して、祓へしたる。
別にいいじゃねえかっ
色黒うにくげなる女の鬘したると、髭がちに、かじけ、やせやせなる男と、夏、昼寝したるこそ、いと見ぐるしけれ。何の見る甲斐にて、さて臥いたるならむ。夜などは、容貌も見えず、また、皆おしなべてさることとなりにたれば、我はにくげなりとて、起きゐるべきにもあらずかし。さてつとめては、とく起きぬる、いと目やすしかし。
一応口語訳しておくと、「色黒で醜い女でかずらをした女が、髭ずらでやつれ痩せこけた男と、夏、昼寝をしているのは、極めて見苦しい。どんな見る意味があって、そんな風に昼寝などしているのだ?夜などは顔も見えねえし、また世間一般的に寝ることになっているのであるからして、自分がつまんねえ顔かたちだからといって、起きているはずのものではねえんだよ。早朝から早く起きるのが、極めて見苦しくないというものだ。」といったかんじであろうか。
控えめに言って、ひでえ言いぐさである。しかし、ここで、ブスは死ね、みたいなことを言うと、若い頃のビートたけしみたいでろくなもんではないが、と思っていると、
夏、昼寝して起きたるは、よき人こそ、今すこしをかしかなれ、えせ容貌は、つやめき、寝腫れて、ようせずは頬ゆがみもしぬべし。かたみにうち見かはしたらむほどの、生ける甲斐なさよ。
「生きる甲斐なさ」……言ってた……。
清少納言は一体何様なんだ、お前こそ死ねっ、となるのが現代のネット民であるが、そんなことを言っても仕方ない。(どうも、清少納言にもネット民と同じくなんとなく下々に対する愛憎相半ばするところがあるような気がするね……親父に対するコンプレックスもあるしね……)だいたい我々は大概、見苦しい顔をしているわけであってそれを知らないヤツというのはそれはそれで問題なのである。わたくしは、教育学者?などがいう「自己肯定感の不足」というものを学生から感じないわけではないのだが、――確かに、下手すると、自分を「俺はいまいち」ぐらいに肯定している人間が多い。違う。お前はいまいちですらない、ほとんどぼろぞうきんに近い人間である。
こんな事を言うと、「ぼろぞうきんの美しさ」みたいなブルーハーツみたいなことを言うやつがでてくるのだが、ぼろぞうきんは特に美しくも何ともないのである。
わたくしが言いたいのは、自己を肯定するというのは、そういう性急な回復を期待しないことであると同時に、自己を肯定するか否定するかみたいなくだらない判断から逃避することである、ということだ。人生には意味があるが、生きることには特に意味がないとわたくしは思う。それに対するユーモアもアイロニーも手段に過ぎない。その意味のなさを認めることが必要で、そうでないとわれわれは物事に一生懸命になれないように出来ているのだ。