天地の初発の時、高天の原に成りませる神の名は、天の御中主の神。次に高御産巣日の神。次に神産巣日の神。この三柱の神は、みな独神に成りまして、身を隠したまひき。
次に国稚く、浮かべる脂の如くして水母なす漂へる時に、葦牙のごと萌え騰る物に因りて成りませる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅の神。次に天の常立の神。この二柱の神もみな独神に成りまして、身を隠したまひき。
みんなこの頃は「独神」で性がないんだか知らないが、身を隠している(身がないのであろうか?)。ステイホームしていたのかはしらんが、いまも見たことはない方々である。ほぼ無神論と言ってよかろう。朝顔の葉っぱが伸びるのはなぜか、日光とか水とかのせいであることは確かだが、日光とか水というものを成り立たせているものがあるはずである。今なら科学的な用語で因果があるように説明したりするが、この時には神とかいっていただけである。
本当の神とは、彼ではなく、ホリエモンとか、――ヒトラーとか徳川家康のことである。だからこやつらは、阿片的なものである。我々と同じような顔をしているからだ。宗教は、神と我々の同一性を想定するところから妙な煙を出す。
戸川は話し続けた。「どうも富田君は交っ返すから困る。兎に角それから下女が下女でなくなった。宮沢は直ぐに後悔した。職務が職務なのだから、発覚しては一大事だと思ったということは、僕にも察せられる。ところが、下女は今まで包ましくしていたのが、次第にお化粧をする、派手な着物を着る。なんとなく人の目に立つ。宮沢は気が気でない。とうとう下女の親許へ出掛けて行って、いずれ妻にするからと云って、一旦引き取らせて手当を遣っていた。そのうちにどうかしようと思ったが、親許が真面目なので、どうすることも出来ない。宮沢は随分窮してはいたのだが、ひと算段をしてでも金で手を切ろうとした。しかし親許では極まった手当の外のものはどうしても取らない。それが心から欲しくないのだから、手が附けられない。とうとうその下女を妻にして、今でもそのままになっている。今は東京で立派にしているのだが、なんにしろ教育の無い女の事だから、宮沢は何かに附けて困っているよ。」
富田は意地きたなげに、酒をちびちび飲みながら冷かした。「もうおしまいか。竜頭蛇尾だね。そんな話なら、誉めなけりゃあ好かった。」
――鷗外「独身」
考えてみると、単独生成した独神たちも、下々の女や男をみて、――どうも寂しくなったんじゃないだろうか。鷗外みたいな女とみればエロティックな妄想を抱いているイケナイ男であればそうである。
しかし、残念ながら、独神は目に見えぬ。隠れているのか、もともと日光のように透明なのかしらないが、われわれ人間様にモーションをかけても人間たちは気付いてくれなかったに違いない。そこで、神は、自分をウイルスみたいなものに変えて、人間に入り込むことを覚えたのではなかろうか?
神が入り込む度に、人間界は死屍累々、ありえない浄土や神を作り出し怯えるに至った。