★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

膚の熅

2020-09-25 18:05:39 | 文学


其の将軍山部大楯連、其の女鳥王の御手に所纒玉釼を取りて己妻に与へつ。此の時之後、豊楽を為さむとせし時、氏々之女等皆朝参。爾大楯連之妻、其の王之玉釼を以ちて己手に纒ひて参赴けり。於是大后石日売命自ら大御酒柏を取りたまひて、諸氏々之女等に賜りき。ここに大后、其の玉釼を見知りたまへりて御酒柏を不賜りて乃引き退きたまひて、その夫大楯連を召し出でて、以ちて詔、
「其の王等、无礼に因りて退け賜りき。是者異なる事無き耳。夫、之の奴乎、己君之御手に所纒玉釼を、膚の熅に剥ぎて持ち来たりて、即己妻に与へき。」とのたまひて、乃死刑を給りき。


大楯将軍は女鳥王の玉釼(玉の腕輪)を剥ぎ取って妻にあげた。それを宴会につけていった妻を、皇后のイワノヒメがみて、大激怒。恐いのは、このせりふ――「あの二人は不敬によって死を賜った。それは当然です、しかし、おまへは君が腕に巻いておられた玉釼を、膚にまだ温もりがあるうちに取ってきて、おのれの妻に与えたのだ」である。「古事記伝」には、「己君」の『己』は軽く添えたもので「自分の」ではないとあるらしい(古典全集注)。大楯将軍が、殺された二人の部下であってもなくても、天皇家の死んだばかりの人間から戦利品を奪うとは何事かという感じの理屈なのであろう。 皇后の嫉妬の恐ろしさを示すエピソードなのであろうが、――天皇一族の肉体の問題が出ているようで面白いことだ。肌が温かいうちに剥ぎ取ったのがいけないという、腕輪が肉体の温かさを伴っているところが生々しい。三種の神器なども、案外天皇が触ったから神聖化されているかもしれないのだ。触って、その物体も幾らか変形する。

いまでも、触った者に対して我々は何らかの感情をもつ。別にウイルスが見える訳ではない。物体が、物体の姿をしていながら触られた映像としてあるからだ。

若い頃は分からなかったが、腕輪というのは、案外それ自体なまめかしい。そこに腕が入っていた姿が想起され、膚に触ったような感触が我々に残るからである。

三十。女には、二十九までは乙女の匂いが残っている。しかし、三十の女のからだには、もう、どこにも、乙女の匂いが無い、というむかし読んだフランスの小説の中の言葉がふっと思い出されて、やりきれない淋しさに襲われ、外を見ると、真昼の光を浴びて海が、ガラスの破片のようにどぎつく光っていました。あの小説を読んだ時には、そりゃそうだろうと軽く肯定して澄ましていた。三十歳までで、女の生活は、おしまいになると平気でそう思っていたあの頃がなつかしい。腕輪、頸飾り、ドレス、帯、ひとつひとつ私のからだの周囲から消えて無くなって行くに従って、私のからだの乙女の匂いも次第に淡くうすれて行ったのでしょう。

――太宰治「斜陽」


最後の文がさすがに鋭い。これは文字通り解される必要がある。