空海曰く「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し」と。よくわかりませんが、雰囲気からして絶対に死なないようです。空海はまだ生きているのも当然です。これにくらべて、鴨長明は否定から入る男。
知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。
「知らず」の啖呵がパンチのように繰り出されます。ちょっとキツイとおもったのか、無常の例が朝顔とその中にいる露。きれいだね……
わたしは古人の隠逸を学ぶでも何でもなく、何とかしてこの暑苦を凌ごうがためのわざくれから、家の前の狭い路地に十四五本ばかりの竹を立て、三間ほどの垣を結んで、そこに朝顔を植えた。というは、隣家にめぐらしてある高いトタン塀から来る反射が、まともにわたしの家の入口の格子をも露地に接した窓をも射るからであった。わたしはまだ日の出ないうちに朝顔に水をそそぐことの発育を促すに好い方法であると知って、それを毎朝の日課のようにしているうちに、そこにも可憐な秋草の成長を見た。花のさまざま、葉のさまざま、蔓のさまざまを見ても、朝顔はかなり古い草かと思う。蒸暑く寝苦しい夜を送った後なぞ、わたしは町の空の白まないうちに起きて、夜明け前の静かさを楽しむこともある。二階の窓をあけて見ると、まだ垣も暗い。そのうちに、紅と藍色とのまじったものを基調の色素にして瑠璃にも行けば柿色にも薄むらさきにも行き、その極は白にも行くような花の顔がほのかに見えて来る。物数寄な家族のもののあつまりのことで、花の風情を人の姿に見立て、あるものには大音羽屋、あるものには橘屋、あるものには勉強家などの名がついたというのも、見るからにみずみずしい生気を呼吸する草の一もとを頼もうとするからの戯れであった。
――島崎藤村「秋草」
藤村は早起きして暗闇のなかの朝顔を見た。さすがである。これくらべて長明は、暇なのかなんなのか、朝顔がしぼんだり露がどうなるかを眺めていたのであろう。働くべき昼間に無為に過ごしているのだから、そりゃ無常を感じるわ。