伝へ聞く、いにしへのかしこき御世には、憐みを以て国を治めたまふ。すなはち、殿に茅ふきて、その軒をだに整へず、煙のともしきを見たまふ時は、限りある貢物をさへ許されき。これ、民を恵み、世を助けたまふによりてなり。今の世のありさま、昔になぞらへて知りぬべし。
仁徳天皇のお墓が重要なのは、こういうエピソードの説得力がなくなってしまうからだ。あくまで仁徳天皇にはしっかりしてもらわなくてならぬ。しかし、よくわからんが、結局、節約して乗り切ったということではないか。いまだって、為政者に慈悲と節約をもとめる民は多く、事態を打開した合理的な人々はどこかに埋もれてしまっている。
長明は養和年間の飢饉がトラウマだったといわれることもある。二年ぐらい続いたのである。コロナもどれだけ続くか知らないが、危機というものは何年も続くことがあるのであった。
さまざまの御祈りはじまりて、なべてならぬ法ども行はるれど、さらさらそのしるしなし。京のならひ、何わざにつけても、みな、もとは、田舎をこそ頼めるに、絶えて上るものなければ、さのみやは操もつくりあへん。念じわびつつ、さまざまの財物かたはしより捨つるがごとくすれども、さらに目見立つる人なし。たまたま換ふるものは、金を軽くし、粟を重くす。乞食、道のほとりに多く、憂へ悲しむ声耳に満てり。
「方丈記」の真骨頂は、最初の抽象論ではなく、愚痴やこういう描写にあるのであるが、なぜ教科書は悟りきった長明像ばかり国民にすり込んでいるのであるか。人生諦めた方がよいと言って居るみたいではないか。