皷を打て兵刃既に交る時、鉄炮とて鞠の勢なる鉄丸の迸る事下坂輪の如く、霹靂する事閃電光の如くなるを、一度に二三千抛出したるに、日本兵多焼殺され、関櫓に火燃付て、可打消隙も無りけり。上松浦・下松浦の者共此軍を見て、尋常の如にしては叶はじと思ければ、外の浦より廻て、僅に千余人の勢にて夜討にぞしたりける。志の程は武けれ共、九牛が一毛、大倉の一粒にも当らぬ程の小勢にて寄せたれば、敵を討事は二三万人なりしか共、終には皆被生捕、身を縲紲の下に苦しめて、掌を連索の舷に貫れたり。懸りし後は重て可戦様も無りしかば、筑紫九国の者共一人も不残四国・中国へぞ落たりける。
文永の役のとき、ただこの国は外から来た何者かと戦ったのではなく、ただでも戦いに明け暮れていたところに、その外側から違う敵が来たので……。そんな時に、どんなに肝が縮んでしまったか、想像しなくてならないのではなかろうか。
もっとも、いつでもそうなのである。第二次大戦の時だって、国内において戦時下だったのである。最近、内戦についての本を読むことが多いが、内戦であることを忘れるときに、外側から何かがやってくるように錯覚しがちであるという気が私はする。
コロナで国内が内戦のような状況を呈しているように思うが、――これはこれで、我々がなにか本来の内戦に目覚めることがある気もするのである。ネット世界は世界を繋いでいるようでいて繋いでいない。言語の壁が案外見えるようになってしまったところがある。言語の壁は、日本語とか英語の違いに限らない。日本語の中での壁を可視化してしまったのかもしれない。
それは、この前、東浩紀氏が「縦の多数主義」と言っていたことでもある。(むろん、氏の言っている意味は、コンスタティブとパフォーマティブの違いのような話に近いのであろうが……)氏は、日本語や英語などの「横の多数主義」より、その「縦の多数主義」に注目し続けなければいけないと言っていたが、――もしかしたら、むしろその「縦」が見えすぎているからこそ、「横」に行きたがっているのかもしれないとも思うわけである。案外、横に行き続けるために縦をどうにかしなければならないことも多いから、事態は非常に困難であるように思う。私は、なんとなくここ数年、急速に横に行きすぎていた気がする。