堀口大学は越後長岡の藩士の家に、父九万一の東京帝国大学に遊学中、その本郷の寓に生れたといふ。僕と同じく明治二十五年生であるが、彼は一月僕は四月で僕より百日の長である。ともに十九歳の一日、新詩社の歌会で落ち合つたのが初対面で与謝野晶子さんに紹介されて交を結んだ。爾来四十七年間、常に好謔悪謔を戦はして談笑を喜ぶがまだ一度も争ふ事のない莫逆の友で分身の感がある。
――佐藤春夫「分身の感あり」
きのうある経済ニュース番組で、マイナンバーの利点はなんでしゅかときかれてある学者さんが、データとって政策にイカせるから、とだけ言ってた。そりゃカードを持ってる人民の利益じゃねえわ、とわたくしのプロレタリアートの精神が言うてしまったが、――実際、頭と精神がおかしい場合、データがどういう扱われ方をするのか学者はよくわかっているはずである。が、それはともかく、我々は万葉集以来、なんか集めてみましたというのが好きで、これはオタク的な何かとは違ったなにかがあると思う。和歌集にはいろいろな構成?の妙があるんで、一概には言えないが、林や森の中に入ってゆくようなつきることのないものへの安心感みたいなものがある。多様性と言うより、もののなかにものがあるみたいなものの連続のことである。これは、国語の授業で過剰に人物の心情を推測したり、ものづくりで細かい作業が得意と思ったりすることにつながっている。一方で、行ったことのみに問題がある責任みたいなものに対しては、もの自体の破壊に似た感情を起こしてしまい、殺しあいや論破合戦となる。これも強烈に突き抜けた人となると、バラして奥までも分析するみたいな行為ともいえるんで、やはり裏腹なのかなと思う。むろん、ほとんどの人はいずれでもない。
佐藤春夫が堀口大学に抱いた「分身の感」とはいったいなんであろう。思い出してみると、古典文学の世界だって分身みたいなものはたくさんいたような気もする。源氏物語や平家物語なんか、名前が違っていなければほぼ同一人物みたいな連中がたくさん出てくるからである。しかし近代社会で分身と呼ばれたものが異様に映るのは、本当はなにか責任問題みたいなものが発生していて、我々の主体を無理やり二つに解体しようとしているときのような気がする。芥川龍之介はたぶんそうだった。
つまり、むしろ、「分身」的な思考は、奧に奧にものを求めてゆく世界とは違った、二項対立がさしあたりあるような次元で起こる。むかしからかもしれないが、いまや確かに、森にいない我々というのは確かに存在する。例えば、二項対立は「Aだけではだめです。Bがなきゃ」という論法においても存在するが、Aが実現してたことをみたことがない。で、たいがいAがBのための要件なので、Bがあるふりをして嘘をつき続けなければいけないパターンに陥る。ほとんど我々の堕落はこれで説明つく。Aには学力とか民主主義とか経済的安定が入り、Bにはコミュ力とか近代の超克とか日本の価値が入るわけである。しかしこれも考えてみると、こんなのが我々の文化で、松岡正剛氏のいわゆる「擬」の世界の二項対立的実態かもしれない。たしかにそれは二項対立的美の何かなのかもしれないが、擬同士の争いの世界でもあるのであった。擬だから血みどろなのになんちゃって的なところが常にある。そしてそれはいかんというので「擬」に真剣な幇間がでてきて対立する擬を殲滅して自らも破滅する。その意味で言うと、分身に拘って居る人々は、まだ破滅を信じがたく、幻影を見ている人々なのかもしれない。分身は幽霊的であった。