大殿御座をもけがす身なれば、おもひながらその時過ぎて、今又あひましてのうれしさ。兼ねてはこれも心懸かりのひとつなり。今宵一夜は残らずかたりまして」と、膝枕をすれば、この時のうれしさ、衆道の事は外になりて、長屋住居の東の事をおもひ出し、心の塵を払ひ、十府のすがごも七婦には、君の御寝姿を見て、夢もむすばず、都の富士に横雲の立ちしらみ、黒谷の鐘もつげて、高瀬さす人顔も見えて、あかぬ別れとなる時、ちぎれたるかますより仕込み杖の刀取り出し、「これ大原の実盛二尺三寸」。
お殿様に捨てられた寵童が、親の敵うちにでかけ、河原で非人に落とされていたむかしの同僚(源介)に出会う。で、源介は膝枕しながらうれしく欲望は我慢しながら一夜を明かし、分かれるときになると「実はこれは自分の先祖が信玄公につかえていたときに手柄を立てた刀」でこれ使ってくれと刀を出してくる。このシーンで描かれる関係を男色と呼ぶべきかは分からないが、このあと、源介は敵討ちを陰で支えることになる。敵討ちを果たした二人は無事、お殿様から身分を保障されたのである。男色の関係ではあるが、それが身分の上昇をもたらしており、その身分を失うことが死を意味するような世界の中で、敵討ちを友に果たす崇高さが、身分を失う絶望を跳ね返す。そこでうまいこと信玄公に仕えた刀というアイテムがシンボリックに輝くのである。
戦友ではなく、あくまで陰で支える刀であること、――このようなあり方への感覚がまったく消えたとは思えない。師弟関係にもそれはあった。
世に、京都学派とか何々閥とか、あることはあるが、実際、師匠に似ているようでいて似ていない学徒は多く、弟子たちが師匠をやたらよいしょしているグループなんかには師匠に近いものが案外いない。師匠の本質を認識することが重要な研究の行為になりうる場合があるにもかかわらず、近くに居るからかえって一生懸命師匠の書いたものを読まないのかもしれない。一匹狼のような研究者には、常に刀としての研究者が付き添っていたものだ。これが、単に教師と弟子という関係性になってしまったら、どうしようもないのである。
長野県で発行されていた多くの「郷土誌」が廃刊の危機にあるそうだ。郷土誌をささえていたのが誰だったのか検討は必要だと思うが、私の見聞きしてきた範囲では、明らかに少数の小中学校の先生が関わっていた。国をはじめとした日本社会が、こういう小中学校の先生を「先生マシーン」にしてかかる文化をいじめてつぶしたのである。彼らはアマチュア学者ではない。アマチュアだとしたら、専門分野の一端を担うべきではなかったが、そういう問題ではない。彼らは、上の源介のようなものなのである。
しかし、――前にも書いたが、彼らの教え子たちが偏差値で輪切りにされて都会の大学に進学した(させられた)のが大きい。あとは、田舎を因習のかたまりのように認識させてしまった戦後世界の趨勢もまずかった。
もっとも、郷土誌を支えていた世代があったとして、それは柳田や折口の地方での調査と啓蒙活動の衝撃を受け止めた結果であると言える部分もあるから、原因は戦後の経済・教育の趨勢だけではないのである。最近は、人類学の復活によって、優秀な人材が寂れた共同体に入って調査を進める事例がでてきている。彼らがもう一回、いったん成果として出そろったかにみえる郷土史の世界を再考する気がする。
我々は、なにか人文学の成果に触れるときには、飜訳された言語によってそれに触れがちである。郷土史の世界もそうだし、古典全集の現代語訳もそうだ。これは確かに必要なことではあるが、自由を失うことでもある。いまの人文学の衰退は、戦後の人材によって達成された「飜訳レベルの成果」のせいでもある。自由が失われているので、行う必要もなくなるような気がする。で、発生するのは妄想的なパロディの世界である。ここには元ネタの固定化みたいな現象が現れる。文学の古典の原文をいかに読むかというのは、そういう固定化の時代において大事で、その地点で研究が行われないとだめなのは、自由を失うからなのである。古典文学や近代文学に対する現代語訳というのは、乱暴にいえば、解釈というのが語義通りか空想に流れがちになる。そもそもどういう意味を構成するのか一から考えることには、根本から考える自由がある。当たり前だが、民主主義みたいなものにもそれは必要である。