俊蔭が船は、波斯国に放たれぬ。その国の渚に打ち寄せられて、便りなく悲しきに、涙を流して、「七歳より俊蔭が仕うまつる本尊、現れ給へ」と、観音の本誓を念じ奉るに、鳥、獣だに見えぬ渚に、鞍置きたる青き馬、出で来て、踊り歩きていななく。俊蔭七度伏し拝むに、「馬走り寄る」と思ふほどに、ふと首に乗せて、飛びに飛びて、清く涼しき林の栴檀の陰に、虎の皮を敷きて、三人の人、並び居て、琴を弾き遊ぶ所に下ろし置きて、馬は消え失せぬ。
才能のある人はペルシャに流れ着いてしまう。悲しんで観音様を念じると、青い馬がやってきて、俊蔭を首にひっかけて飛びに飛ぶ。栴檀の蔭の三人の人物の前にたどり着くのであった。彼らは琴を弾く。
「夜の寝覚」ではいきなり天人が楽器を夢で教えてくれた。天啓である。しかしここでは、馬が勝手にやってきてと、ここでも極端に受け身に見えるが、結局彼が移動していることには変わらないわけで、まさに天才は行くべきところに自ら行くのであった。
天才の流離譚には仮面がない。泣いて笑っているうちに何かを身につけてしまう。仮面には我々の内面が分裂している事情をあらわす。戦後のサブカルチャーにはそういうもので溢れかえっている。しかし、その仮面劇に興奮しているガキ共は内面が分裂しているであろうか。とてもそうはおもえない。大人たちが、仮面の下を意識しているに過ぎない。日本語がおかしい人が増えているというが、ニュース見ていると、正確に言うのが怖いので別の言い方にしているうちにおかしくなっているようにも思える。おかしいのは日本語というより根性だ。本人が仮面のつもりでも、弱々しい現代人がそこにおずおずとお上に怯えてるに過ぎない。
(秋聲は)硯友社からニーチェ主義、ゾライズム、写生文に至る理論と様式の遍歴の後に、「写実と構成の分離」として「書かうと予定したことではなく、書くことをとほして現れて来たこと」を書くという、叙述から目的と意味を捨象することで小説自体を彷徨とする、独自の手法に達した。
――福田和也『日本の家郷』
考えてみると、こういう場合も、「目的と意味を捨象」することが可能ではないからこそ、そうしたふりをできる。秋聲には、いわば、意匠から意味を抜いた、言語の「影」を実態と称するような、小林秀雄の「様々なる意匠」が意味に凝り固まった連中にぶつけたアイロニーを自分は元々影であり仮面であると言って真面目に生きてみることによってうっちゃった如くみえる。しかしこれは理屈である。秋聲もほんとうはもっと自然にかいていたに過ぎないような気がする。そもそも小林秀雄にしてからが、自意識を自然さに還元しようとして搦め手、というより戦いの風のような文章を用いたのであると思う。
発達障害の問題もたぶんそうだけど、問題の存在を示してからが本当に大変で、小林秀雄じゃねえが、「様々なる意匠」、「言葉の魔術」との戦いが始まる。よき生、自然に達するためには、近代人はもう意味と戦うしかない。しかし、書きぶりによっては、風のように書けると小林は言いたかったにちがにない。小林秀雄の「様々なる意匠」を久しぶりに授業で扱ったけど、ほんと若々しい青春の文章という感じだった。きざな「夢」云々みたいなせりふも全体の風のような流れのなかでは必要なアクセントに思われる。
兎も角私には印象批評という文学史家の一述語が何を語るか全く明瞭でないが、次の事実は大変明瞭だ。所謂印象批評の御手本、例えばボオドレエルの文学批評を前にして、舟が波に掬われる様に、繊鋭な解析と溌剌たる感受性の運動に、私が浚われて了うという事である。この時、彼の魔術に憑かれつつも、私がまさしくながめるものは、嗜好の形式でもなく尺度の形式でもなく無双の情熱の形式をとった彼の夢だ。それはまさしく批評ではあるがまた彼の独白でもある。人はいかにして批評というものと自意識というものとを区別しえよう。彼の批評の魔力は、彼が批評するとは自覚することであることを明瞭に悟った点に存する。批評の対象が己であると他人であるとは一つのことであって二つのことではない。批評とはついに己の夢を懐疑的に語ることではないのか!