佐々木敦の『未知との遭遇』を古本で買ったところ、結構なかきこみがあった。この本には、最後の方に「起きたことは全ていいこと」、とか「最強の運命論」といったセクションがあるのであるが、このあたりへの書き込みというか「×」という記号が力を込めていっぱい殴り書きされているのがちょっとびっくりであった。まさに未知との遭遇である。佐々木氏は、偶然論というのは運命論とまあおんなじ、という小学生が案外よく知っていることを書いているのであるが、どうも書き込みの主は、偶然であり複数の可能性があるのにそれを運命とは片腹痛いわ、みたいな義憤に駆られているようであった。傍線と×が書かれている箇所を読むとそういう感じ。思うに、佐々木氏は、偶然論とか量子論とか、伝統ある用語を使いすぎているのではないか。そうすると、佐々木氏が言いたいことよりも、読者はそういった用語から日常の理不尽さを思い出し、「あれが運命とは許せん、偶然でも許せない」という感じを持つのかも知れない。これは偶然論云々に限らない。読者の読解は、一般に恐ろしく自分勝手であり、ほとんどそれを教師が放置しているため、自分の感想を本文の書いてることとして認識するのである。
入試や授業で経験するのは、大学生でも、小中高の教科書レベルの文章をほとんど誤読しているという事実である。彼らと私の違いは、自分の誤読可能性を自覚することがあるかどうかである。彼らは、おおむねそのまま学校の教師になっている。もう日本はおしまいであるという気分にさせる事態だ。毎年、免許更新講習を行うのだが、学生よりも読解力が落ちているのを屡々目撃する。仕方がないことは理解できるが、限度を超えているのではなかろうか。でも、大学に××家をもっとふやせと?
確かに、私も、いろいろな本や会議の資料に×をつけて遊んできたものである。確かに遊びとしては楽しい。特にポンチ絵に目口鼻を付けるのは楽しい。
とはいえ、この書き込みの主は、多分(賭けてもいいが)男である。ホント男は厭ねえ――というわけで、アルマ・マーラー=ウェルフェルの日記をめくる。
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ツェムリンスキーの音楽には顎がないとアルマとグスタフは会話していたそうだ。確かにうまいこと言うものである。――わたくしも確かに、短い部分に反応する読書をしている気がする。
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女子が甲子園に行く漫画があるというので読んでみた。「花鈴とマウンド 1」。私は女子が甲子園に行くのは反対である。ついでに男も反対である。暑い中投手の腕がおかしくなってしまう、観衆が×狂している、普段先生の悪口で盛り上がっている生徒達がこのときとばかり校歌を歌う、開会式のよいところが1㎜もない、朝日新聞がいつまでたっても戦争責任を認めない(他の新聞社も同じであるが)、長野県が弱すぎる、丸坊主がかわいい、女子マネージャーがかわいそう、など、よいところが一つもない。男女ともにクーラーの効いた東京ドーム開催の野球大会でいいよ。
ところで、日本人の一部は、なぜお盆に不快な思いまでして帰省してんの?渋滞のことを言っているのではない。――宮台真司が言ってたが、親が幸福に見えたか、という質問をすると、日本人は先進国のなかでもっとも「そうは思えなかった」と答えるそうだ。思うに、親になると自分の子どもに過剰に精神的に依存し始める社会なのが、少子化の原因である気がする。おそらく、この依存は仕事中毒に似ている。私は親を経験していない分からないが完全に異常である。親も子も自分の人生を生きなきゃね……。一応言っておくと、私は親も子も自立せよと言っているのではない。
とはいえ、マーラーやウェルフェルの横暴さに苦しんだアルマの自伝の最後は、「私の人生は美しかった」と閉められている。理由は、自分の愛した男達の遺品が沢山あるから――。彼女の人生を依存というかどうか、私は迷う。でも、何かここまで来るとさすがという感じがしてくる。そして彼女は言う「人間は、注意深くさえあれば、自分の運命がたどる道筋を認識することが出来る」と。一応言っておくと、彼女が言っているのは「自分の運命」ではない。「自分の運命がたどる道筋」である。佐々木氏や書き込み主に考えて欲しい言い方だと思った。
入試や授業で経験するのは、大学生でも、小中高の教科書レベルの文章をほとんど誤読しているという事実である。彼らと私の違いは、自分の誤読可能性を自覚することがあるかどうかである。彼らは、おおむねそのまま学校の教師になっている。もう日本はおしまいであるという気分にさせる事態だ。毎年、免許更新講習を行うのだが、学生よりも読解力が落ちているのを屡々目撃する。仕方がないことは理解できるが、限度を超えているのではなかろうか。でも、大学に××家をもっとふやせと?
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確かに、私も、いろいろな本や会議の資料に×をつけて遊んできたものである。確かに遊びとしては楽しい。
とはいえ、この書き込みの主は、多分(賭けてもいいが)男である。ホント男は厭ねえ――というわけで、アルマ・マーラー=ウェルフェルの日記をめくる。
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ツェムリンスキーの音楽には顎がないとアルマとグスタフは会話していたそうだ。確かにうまいこと言うものである。――わたくしも確かに、短い部分に反応する読書をしている気がする。
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女子が甲子園に行く漫画があるというので読んでみた。「花鈴とマウンド 1」。私は女子が甲子園に行くのは反対である。ついでに男も反対である。暑い中投手の腕がおかしくなってしまう、観衆が×狂している、普段先生の悪口で盛り上がっている生徒達がこのときとばかり校歌を歌う、開会式のよいところが1㎜もない、朝日新聞がいつまでたっても戦争責任を認めない(
ところで、日本人の一部は、なぜお盆に不快な思いまでして帰省してんの?渋滞のことを言っているのではない。――宮台真司が言ってたが、親が幸福に見えたか、という質問をすると、日本人は先進国のなかでもっとも「そうは思えなかった」と答えるそうだ。思うに、親になると自分の子どもに過剰に精神的に依存し始める社会なのが、少子化の原因である気がする。おそらく、この依存は仕事中毒に似ている。私は親を経験していない分からないが完全に異常である。親も子も自分の人生を生きなきゃね……。一応言っておくと、私は親も子も自立せよと言っているのではない。
とはいえ、マーラーやウェルフェルの横暴さに苦しんだアルマの自伝の最後は、「私の人生は美しかった」と閉められている。理由は、自分の愛した男達の遺品が沢山あるから――。彼女の人生を依存というかどうか、私は迷う。でも、何かここまで来るとさすがという感じがしてくる。そして彼女は言う「人間は、注意深くさえあれば、自分の運命がたどる道筋を認識することが出来る」と。一応言っておくと、彼女が言っているのは「自分の運命」ではない。「自分の運命がたどる道筋」である。佐々木氏や書き込み主に考えて欲しい言い方だと思った。