ある夕暮に、風梢をならし、ばせを葉乱れ物すごき竹縁に、世の移り替るを観じて、独り手枕の夢もまだ見ず、まぼろしに、かしらは黒き筋なく、顔に浪をかさね、手足火箸のごとく、腰もかなはず這出、聞え兼ねつる声の哀れに、「我、この寺にひさしく、住持の母親ぶんになつて、身もさのみにいやしからぬを、態と見ぐるしく持ちなし、長老とは二十年も違へば、物毎恥づかしき事ながら、世を渡る種ばかりに、人しれず夜の契りの浅からず、かずかずの申しかはしもあだになし、かくなればとて、片陰に押しやられて、仏の食のあげたるをあたへ、死にかねる我をうらめしさうなる顔つき、さりとてはむごくおもへど、それはさもなく、うらみの日をつもるは、そなたは我をしられぬ事ながら、住持と枕物語聞く時は、この年、この身になりても、この道をやめがたく、そなたに喰付き、おもひ晴らすべき胸定めて、今宵のうち」といふ事、身にこたへ、とかくは無用の居所ぞと、ここを出てゆく手くだもをかし。
「世間寺大黒」の一節であるが、実際、この老女は優しい。住職と枕を交わしている若い女をすぐさま取り殺しても良いはずなのに口上が長すぎる。思うに、かのじょもまた、「感想文」を書いてしまう非実践的な輩ではなかったであろうか。彼女の意識の中ではもう住職も若い女も殲滅されているかも知れないが、実際はそんなことはない。もっとも、この夢を見た若い女も、こんな夢を見なければ事態に気付かないとは何をやっておるのであるか。これは、大学をレファレンスデスクか何かとおもって業績をつくろうとする人たちに近い。
けっこういろいろな人から聞くが、大学の学者を利用して業績をだそうとする在野の悪人問題もけっこう昔から深刻なのである。むろん逆もあるわけだが、これが倫理的に厳しく糾弾されている割に、書く主体が在野の場合、これは学者のサポートはサービスだと思われている節もあって問題化しにくい。今に始まった話ではなく、地方の(に限らないが)教育学部や文学部が研究者養成でないとおもって学生の学的訓練に手を抜くと、半端なモンスターがでてきてしまう。ずっと問題だったんだが、在野での発信が容易でなかったこともあって勝手に淘汰されていた側面があった。しかしいまはそうでもない。たぶん、研究の「調べ物化」とも関係があるが、主たる原因は、官学連携的な発想の世俗化である。
昨日、坂出の郷土博物館で『香川不抱歌集』を購入した。與謝野寛にかわいがられていたという香川である。わたくしは、歌集というものの、星星を見よ、みたいな体裁が苦手である。
なにかしらず殲滅したし今朝赤いハムエッグも美味い
グミを食べた次の朝日のなかで下痢してました
わたくしの実力はこんなものであって、そのせいにちがいない。
それにしても、論文も、どこかしら最近、「星星を見よ」みたいな体裁になりつつある。国会図書館デジタルコレクションの影響なのか、論文が検索結果の開陳みたいになってきているのである。言葉が同じだからといって意味合いも全然違うわけだし、そもそも言ってることが違うのに、なぜおなじ言葉を使ってるのかという問いにゆきつくことは、実際は簡単なことじゃない。作品を読めないと簡単に見える。星は星のままかがやくように思われるのである。――で、そのどことなくその星星の不安定感を埋めるように、学問の講演化が始まる。
学会にも、愛好家や信者から転向して研究も変わりましたみたいな人がいるけれども、本質的に転向ではないし、実際の處は人に合わせた、のが実態である。これも、なにか、星星に自分を勝手に数え上げている証拠である。牢屋に放り込まれるということがいかに転向にとって本質的だったかということがわかる。牢屋とはこういう場合、作品である。
裏小路のゴミ溜にきて何かあさる痩せ犬の目が人間らしかつた 並木凡平
松澤俊二氏の『プロレタリア短歌』には、上のような短歌がたくさん載っている。牢屋に入っていた人もいる。この本を古本で買ったんだが、前の持ち主が、この短歌に絵文字つきで「ぴえ~ん」と落書きしてあった。こういう反応の方が、星星を見よ、という研究より好きである。