田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子、岡田茉莉子、杉村春子、栗島すみ子、中北千枝子、加東大介、賀原夏子、泉千代、宮口精二、仲谷昇……
どこぞの名優名簿だよと思いきや、映画「流れる」のキャストである。ゴジラ映画の大駄作「オール怪獣大進撃」は、きぐるみたちを富士山麓に閉じこめ、ただキングギドラを集団で虐めさせる教育上大変によろしくない映画であった。しかし「流れる」は、上の俳優たちを花街の一軒家に閉じこめ、金や男のトラブルを陰口とちょっとの言い争いと視線の動きだけでシビアに争わせるという、「人生は地獄より地獄的である」(芥川龍之介)を地でいく怖ろしい映画である。ガキに見せても何が何だかわからないであろうから、そういう意味での教育上はどうでもいいが、……大人に対しては、敬語の使い方、陰口の叩き方、仲直りの仕方など、怖ろしく教育的ではなかろうか。一段落した最終場面は──芸者としてしか生きてゆけぬと鬼気迫る三味線を弟子たちに聴かせ続ける山田・杉村を一階に配し、二階ではただただ強迫的にミシンを踏み続ける高峰。こんな情景に対して、外に出ればいいじゃんとか、ちゃぶ台ひっくり返せばいいんじゃんとかつい考えてしまうのが、我々である。出来もしない癖に。一方、女中役の田中絹代は、ひたすら、彼らにお茶を出したり、服を着せたり、ごはんをつくったりしている、これが我々にはもっとできなくなっている。果たして、我々は何を実際にやっているのであろうか……
DVDの裏には「儚く美しい生活の時──」とあるが、この映画には「生活」はないと思う。
ところで、スピノザの「エチカ」の草稿が、ヴァチカンの書庫で発見されたそうである。私にはこの事件の方に生活を感じる。