★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

櫻木神社を訪ねる2(香川の神社14-2)

2017-08-31 21:29:48 | 神社仏閣
仁和の昔に桜井権督資連がつくったものともいわれるが、地元のいくさで焼けたあと天文年間に復興、産土神として多肥八幡とか櫻井八幡などと呼ばれていたらしい。

「八幡宮」とあり↑


明治の神仏分離によって、神仏が一緒になってた別当西蓮寺を廃して櫻木神社となったそうです。社殿は天保年間には出来てたらしい(さっきの燈籠設置の時期ですね)が、随神門も明治九年に出来たらしい。でもお金がなかったのでなかなか整備が出来ず、苦労してたところ、昭和十一年に氏子たちががんばって大金を寄進し、その結果、所謂「神饌幣帛料供進社」に指定されたのであった。GHQが廃止してくれたが――近代社格制度という奴で、天皇に近いとか遠いとかなんとか理屈は付いているが要するに神社のランク付けに拠る統制、――地方公共団体からの補助金の額で神社の格が決まりそれが神社のアイデンティティの一部となったのである。だから、上の如く、人が尊敬すれば神はその威光を増し人は運が向いてくると古人も言っておるよ、といった、信じてもゐないような言葉を当事者達は吐かざるを得ない。その実、神は国のことで運とは金のことである。昔から、補助金で人をつりWIN-WINなどといって弱い者いじめばっかり――人々に運が向いてこねえのは、そうし向けてる連中があるからである。しかもそれは補助金でつってる方にもいるが、釣られている方にもっと強力ないじめ好きが出現していじめられている側の中でのいじめを開始する。そうやって、補助金のためにやってるのか宗教のためにやってるのか分からなくなっていくうちに、疲弊した人々の癒しとしての宗教が自動機械のように不幸な人々の脳裡に住み着き、それを更に権力が動員の道具に使う。宗教を学問に置き換えればそっくり現在に当てはまる。科研費とか補助金の額で大学のランクが決まっているのも(ry

 
これは嘉永年間の頃。


明治二年の頃。


ここでは稚産霊神(ワクムスビ)が、天照大神・大巳貴命・少名彦命・埴安姫命に加えて記されている。この神は、病に倒れたイザナミの尿から生まれた食物神である。みんな食べるのに苦労したのだ。


これは、『香川県神社誌』の言うところの照和神社か。昭和十一年に、近所の日向神社、三宝神社、柏木神社をあわせて名前まで変えて出来た神社。日向神社は、もともと屋島の合戦のときの平家の落人を祀ったものだったらしいのである。(そういえば、先に触れた「帰来神社」が合祀させられていたところって、この櫻井八幡(神社)のことだよね……たぶん。なぜ逃げられたのか……)

 
本殿をのぞむ

 


拝殿

 
神馬がいた。これも平成二年、天皇陛下御即位記念。まもなく退位なんだが、全国の神社は困ってるだろうな……バブルと即位は同時に来るとは限らないのだ。まあいいか。

 
鎮守の森と田園地帯……たしかに、田園地帯の中では、特に鎮守の森だけが緑の空間じゃない。木曽の水無神社は、山の入口が神社の森という感じだし……まあいろいろあるわね。


田螺

そういえば、田螺って、長野や山梨ではお見合いの席で味噌汁の中に入れて喰ってたのではないだろうか。


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