★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

牛のいる風景

2021-01-24 23:21:54 | 文学


また、治承四年水無月のころ、にはかに都遷り侍りき。いと思ひの外なりしことなり。おほかた、この京のはじめを聞けることは、嵯峨の天皇の御時、都と定まりにけるより後、すでに四百余歳を経たり。ことなるゆゑなくて、たやすく改まるべくもあらねば、これを、世の人安からず憂へあへる、実にことわりにもすぎたり。
されど、とかく言ふかひなくて、帝より始め奉りて、大臣・公卿みなことごとく移ろひ給ひぬ。世に仕ふるほどの人、たれか一人ふるさとに残りをらん。官・位に思ひをかけ、主君のかげを頼むほどの人は、一日なりともとく移ろはんとはげみ、時を失ひ、世に余されて、期するところなきものは、愁へながら止まりをり。軒を争ひし人の住まひ、日を経つつ荒れゆく。家はこぼたれて淀河に浮かび、地は目の前に畠となる。人の心みな改まりて、ただ、馬・鞍をのみ重くす。牛・車を用とする人なし。西南海の領所を願ひて、東北の庄園をこのまず。


清盛が福原京へ遷都を強行したきもちも、いまの神戸に行ってみるとわかる気がするのだ。京都はなんか不安がつきまとう土地なのだ。海から遠いこともあって機動性に欠ける。寒いし。一見、福原京への遷都はすぐつぶれたみたいな気が、教科書を読むとするのであるが、ちゃんと遷都の時流に乗ってそそくさと京を去った人々がいたことを、人の気持ちはすぐ変わってしまうことを、鴨長明は怨恨とともに書き記している。今も昔もそんなものなのである。

福原京は、わが木曾義仲がすべて焼き払った。

「家はこぼたれて淀河に浮かび、地は目の前に畠となる」、こういう風景が、「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」というせりふに貼り付いている。いらいらした長明は歯がみをしながら、木曾義仲の気持ちになったりはしないのだ。

「牛ですか」
 と云った。そしてまたワキ目もふらずに本を読みつづけた。
 そうか。彼のアダ名はバカではなくて、牛だったなと緒方は思いだした。この二ツはこの場合に限ってとかく混乱し、なぜかバカを思いだすが牛の方があくまで適切である。牛ですか、と呟いただけでワキ目もふらずに本を読みつづけている学生が、いかにも人間という高尚なまた尊厳なものに見えたほど適切そのものであった。
 牛は五尺七寸五分、二十三貫五百の体躯があった。八百メートルはこの県のNo2で、二分一秒八の記録をもち、また柔道三段であった。一般に両立しないものとされている競走と柔道を牛に限ってなんの制約も感じることがないようにやりこなしていた。そして頭の悪いことでも、この大学では指折りだ。彼は非常に勤勉で、努力家であった。そして一心不乱に試験勉強も怠らなかったが、彼が三年かけて為しとげた成果は、まだ試験を受けたことのない新入生と殆ど変りがなかったのである。


――坂口安吾「牛」


アニミズムはむしろ、近代文学に於いて復活した。今日も、牛を食べている自分たちをスマホで撮ってみたら、すごい風景であった。鴨長明には、そういう獣の姿が見えないのだ。


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