たくさんある塩釜神社の一つ。福岡町。整備されまとまった神社です。
狛犬さん(明治20年)
拝殿
新しい狛犬さん
本殿
案内板に曰く、
「西紀一六〇〇年頃今から約三八〇年前この辺一体は海でした。」
改めて言われるとなんか怖いですね……
「生駒公時代に干拓が行われ、地名、香川郡東浜村字沖松島として農業が営まれておりました。天保九年頃にはこの地に塩田業が盛んになり、当時の有志、西尾灘波氏等による塩田の生産増大と住民の安泰を祈り、塩業の守神である塩土神さまをお迎えし
塩土神は、なんとなく地味な扱いなのですが、その実、とんでもないお人。海幸山幸のお話では、海幸の釣り針をなくしてパニックになっている山幸
の前に現れて、綿津見神宮におる海神が何とかしてくれるよ、と吹き込みました――海神が釣り針如きを何とかする訳はない、というか、山幸は実のところそんな話をでっち上げることにして、海辺でナンパした女子と三年間暮らしていました。で、ちょっと女子にも飽きたころ、針と玉を使った攻撃を思いつきます。故郷に帰って海幸にごめん釣り針返すよと言いつつ鉄球で彼の頭を殴りつけました。山幸の勝利です。兄弟は他人の始まりですね。山幸がナンパした女子が生んだのが、神武天皇の父親です。日本の歴史の始まりですね……
神武天皇がぼうっと女子のことを考えていると、塩土神が現れて「東によい女があるよ」。→神武東征
日本の歴史の裏に塩土神あり。
その他、稚産霊神、天細女命、流石大明神(りゅうせき)、三宝荒神などの神さまをお祀りし、又安産の神として周辺の婦人衆から尊ばれ多数の産婦が祈願をこめ皆安産で立派な子供を授かったと喜ばれています。」
流石大明神が気になるね……。桃太郎じゃないが、お産と関係があるかも知れませんね、流石が……。
境内の地神さん。
案内板に曰く、
「今から約三八〇年前は当地は海浜でありましたが、その後開拓されたので沖松島一帯の農業の守護神とし、当所五軒屋に奉齋いたし農作物の豊作を祈ってまいりましたが、昭和二十九年当神社境内に奉還されました。」
地神さんにちゃんとした説明があるのを初めて見ました。
境内の「船玉神社」。
案内板に曰く、
「塩釜神社と同じく天保九年頃猿田彦の神さまをお迎えいたし、塩、石炭、フクベ砂等の運搬専用船の航海無事安全を祈って永く当所関係業者の間で崇拝されてまいりました。」
船玉とは船霊のことである。ここでは道案内の神様猿田彦が祭神のようだ。わたくしは山が神様であることはなんとなく感覚的にわかるような気がするのであるが、海はどんな感覚なのかさっぱり。山幸も海幸の気持ちが理解できなかったのでしょう。海辺の女子が可愛いのはわかったとして……
以上の由来のとおり当神社は神明あらたかでまた住民多年にわたり鎮守の神さまとして崇め奉ってきましたが、明治三十四年社殿朽損のため当所の有志、村上健次郎、中川栄吉、福西米次郎氏等相議って改築しました。昭和三十八年市の区画整理による高松市汚水処理場が建設されることになり、現在地に奉還いたしました。益々住民の崇敬を集め神威あらたかな鎮守の神さまとして、お参りが絶えません。
社殿が壊れたり、区画整理などで追い出されたりして、リニューアルする。そこで新たに紀念の碑などを建てる。どうも、そんな新装開店的な行事そのものが神社の生命なのではないでしょうか。逆に言うと、トラブルが案外待望されているということかも知れないのです。
「慰霊碑」――日露戦争、日支事変、大東亜戦争と分けて戦死者が記されていました。
「日支事変大東亜戦争 徴発軍馬之碑」。
軍馬の慰霊碑は初めて見ましたが、全国に結構あるらしいのです。早稲田の真辺将之氏なんかは日本統治下の台湾での動物慰霊碑の研究を発表していたが、案外、台湾の民間信仰流にリニューアルされて動物慰霊祭などが復活したり碑が再発見されたりしているらしい。この碑もかなり新しいものであるが……。わたくしは馬と言えば、戦時下に盛んにつくられた馬がんばれかわいそうみたいな韻文より、織田作之助の「馬地獄」の方を真っ先に思い出す。馬との関係だって普段は複雑なはずなのである。それを戦争は単純にしてしまうのであろう。そういえば、中村江里氏の日本の戦争神経症の聴き取り調査『戦争とトラウマ』がそろそろ出版されるらしい。
狛犬さん(明治20年)
拝殿
新しい狛犬さん
本殿
案内板に曰く、
「西紀一六〇〇年頃今から約三八〇年前この辺一体は海でした。」
改めて言われるとなんか怖いですね……
「生駒公時代に干拓が行われ、地名、香川郡東浜村字沖松島として農業が営まれておりました。天保九年頃にはこの地に塩田業が盛んになり、当時の有志、西尾灘波氏等による塩田の生産増大と住民の安泰を祈り、塩業の守神である塩土神さまをお迎えし
塩土神は、なんとなく地味な扱いなのですが、その実、とんでもないお人。海幸山幸のお話では、海幸の釣り針をなくしてパニックになっている山幸
の前に現れて、綿津見神宮におる海神が何とかしてくれるよ、と吹き込みました――海神が釣り針如きを何とかする訳はない、というか、山幸は実のところそんな話をでっち上げることにして、海辺でナンパした女子と三年間暮らしていました。で、ちょっと女子にも飽きたころ、針と玉を使った攻撃を思いつきます。故郷に帰って海幸にごめん釣り針返すよと言いつつ鉄球で彼の頭を殴りつけました。山幸の勝利です。兄弟は他人の始まりですね。山幸がナンパした女子が生んだのが、神武天皇の父親です。日本の歴史の始まりですね……
神武天皇がぼうっと女子のことを考えていると、塩土神が現れて「東によい女があるよ」。→神武東征
日本の歴史の裏に塩土神あり。
その他、稚産霊神、天細女命、流石大明神(りゅうせき)、三宝荒神などの神さまをお祀りし、又安産の神として周辺の婦人衆から尊ばれ多数の産婦が祈願をこめ皆安産で立派な子供を授かったと喜ばれています。」
流石大明神が気になるね……。桃太郎じゃないが、お産と関係があるかも知れませんね、流石が……。
境内の地神さん。
案内板に曰く、
「今から約三八〇年前は当地は海浜でありましたが、その後開拓されたので沖松島一帯の農業の守護神とし、当所五軒屋に奉齋いたし農作物の豊作を祈ってまいりましたが、昭和二十九年当神社境内に奉還されました。」
地神さんにちゃんとした説明があるのを初めて見ました。
境内の「船玉神社」。
案内板に曰く、
「塩釜神社と同じく天保九年頃猿田彦の神さまをお迎えいたし、塩、石炭、フクベ砂等の運搬専用船の航海無事安全を祈って永く当所関係業者の間で崇拝されてまいりました。」
船玉とは船霊のことである。ここでは道案内の神様猿田彦が祭神のようだ。わたくしは山が神様であることはなんとなく感覚的にわかるような気がするのであるが、海はどんな感覚なのかさっぱり。山幸も海幸の気持ちが理解できなかったのでしょう。海辺の女子が可愛いのはわかったとして……
以上の由来のとおり当神社は神明あらたかでまた住民多年にわたり鎮守の神さまとして崇め奉ってきましたが、明治三十四年社殿朽損のため当所の有志、村上健次郎、中川栄吉、福西米次郎氏等相議って改築しました。昭和三十八年市の区画整理による高松市汚水処理場が建設されることになり、現在地に奉還いたしました。益々住民の崇敬を集め神威あらたかな鎮守の神さまとして、お参りが絶えません。
社殿が壊れたり、区画整理などで追い出されたりして、リニューアルする。そこで新たに紀念の碑などを建てる。どうも、そんな新装開店的な行事そのものが神社の生命なのではないでしょうか。逆に言うと、トラブルが案外待望されているということかも知れないのです。
「慰霊碑」――日露戦争、日支事変、大東亜戦争と分けて戦死者が記されていました。
「日支事変大東亜戦争 徴発軍馬之碑」。
軍馬の慰霊碑は初めて見ましたが、全国に結構あるらしいのです。早稲田の真辺将之氏なんかは日本統治下の台湾での動物慰霊碑の研究を発表していたが、案外、台湾の民間信仰流にリニューアルされて動物慰霊祭などが復活したり碑が再発見されたりしているらしい。この碑もかなり新しいものであるが……。わたくしは馬と言えば、戦時下に盛んにつくられた馬がんばれかわいそうみたいな韻文より、織田作之助の「馬地獄」の方を真っ先に思い出す。馬との関係だって普段は複雑なはずなのである。それを戦争は単純にしてしまうのであろう。そういえば、中村江里氏の日本の戦争神経症の聴き取り調査『戦争とトラウマ』がそろそろ出版されるらしい。