★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

犬さへも色恋捨てゝ

2017-08-08 14:42:39 | 文学
理事に民間の犬(間違えた「人」だった)を入れろとか相変わらずまったく事態が飲み込めていない我が政府であるが、――事態が飲み込めていないのは我々かもしれない。昔から、犬には「学者犬」というものがいたからだ。

いつか「犬」の文学の研究を発表したいと思っているのであるが、今日は大内兵衛の「学者犬トムの話」を読んだ。

満州国で金儲けをしていた連中が、学者にごちそうしたりして彼らの同級生のお偉方とのコネクションを作ったりしていた時代。大内ははじめそんなくだらないところに行けるかと突っぱねていたのだが、時局について話し合いたいと言われたのでつい行ったところ――、案の定時局についての話は全く行われず、財閥の連中のゴルフなどのつまらない話がひとしきり終わると、「学者犬トム」というのが出てきて、足し算を問いかけると大内ら人間より早く正解の札を咥えた、――そんな芸をしていた、という。

金儲け目的の者達は、学者の話は聞かず、自分の「犬」を「学者」と呼んでおもしろがっている。対して、大内の飼っていた犬は――、大学を追われた大内のためにがりがりに痩せてしまった。仕方なく、大内は犬を医者に連れて行って注射をするのであった。犬の居なくなった大内家には、大空襲で焼け出された親戚連中が上がり込んで「犬が居なくてよかったね」と言った。大内は、荷風がそのころ詠んだ歌を引用している。

犬さへも色恋捨てゝ物の数
そらでよむ世となるぞかなしき

戦時下の大内の恨みを差し引いて考えなければいけないエピソードであるにせよ、金儲け好きな連中のなかには、学者の前で学者犬を披露して悦に入るような、ウルトラ級の馬鹿が居ることを忘れてはならない。連中が「学者」を、こういう犬のことであると明確に意識しているならまだその悪意を矯正すれば良いような気がするが、そうではないのが馬鹿を越えている意味でのウルトラなのである。エクセルの機能を人間の計算能力と比べて何かを言った気になるような――古いか――、いや、AIを学者と比べておもしろがる程度の精神が、満州国成立後の日本において、破滅的な事態を招き寄せたことに疑問の余地はない――、かどうかは分からんが、かかる精神に心底嫌気がさした知識人や学者の中には日本を見捨てた人たちがかなりいた。このことはかなりまずい事態だったと思う。いまでも「人づくり革命」とかいう言葉に素直に従えるのは「学者犬」だけである。

我が犬(間違えた、「県」だった)でも、何もかももたもたしている「×な子」とかいう犬を警察犬に仕立てた顛末を美談として語っている体たらくである。全く以てかわいそうである。この犬は警察犬になるために生まれてきたのではないし、人間も同じである。一体何様のつもりで目的を強制して歩いているのか。


大内の犬が痩せたエピソードの下に「夏やせの挽回」とかいう広告を載せている、挑戦的な『文藝春秋』。


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