★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

朝顔が半年咲き続ける世界

2024-12-06 23:52:11 | 文学


 今年の夏の末ごろのことであった。ある友達が私のしびれている脚に電気療法をしながら、その男兄弟が、
「どうもこの頃は弱るよ。転向なんぞした奴だからというのを口実に、執筆をことわる人間ができて来て……」
といって述懐したという話をした。そのときも、私はさまざまな意味で動的な人の心持の推移がそこに反映している実例として、それを感じた。


――宮本百合子「冬を越す蕾」


やっと朝顔のつぼみが朝開かなかった今日この頃である。

開花せずとも別に冬だから良いではないかと思うが、人間なかなか開花出来ないと歯噛みをし続ける。ここ一〇年ぐらい、就職に失敗したら大学院にいけとか兄弟に言われたんだ、みたいなことを述べてくる学生がしばしばあらわれる。実に気の毒である。人間の開花時期なんか人それぞれなのである。無理やり開かせることはない。

うちの朝顔も、7月から12月まで半年ぐらいくり返し咲いている。我々は持続的に定期的に開花をみたい我が儘な動物である。かくして一読して開花してしぼむまでを一話読み切りが連続する話が叢生する。「源氏物語」がそうであった。そういえば、大河ドラマの道長役の俳優さん、いろんなおんなの俳優相手に生きているわけだが、考えてみると、「源氏物語」って、そういう俳優の一代記みたいなかんじかもしれない。だから死の場面ないのも当然ではあるまいか。一代記とは半年咲き続ける朝顔だ。

そういう我々は予祝を朝顔に錯覚させる術さえ開発しながら、突然、長い抵抗運動を西洋=近代として取り込んだ。民主主義は過剰にだらだらすべきで、オセロみたいなスピーディなのはだめだ。牛歩戦術なんかテンポが早すぎるくらいだ。朝顔はいつまでも咲かない、それがよいのである。


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