明くる二十八日重病を受け給へりとて聞えしかば京中六波羅、すはしつるは、さ見つる事よ、とぞ申しける
嫌われてるとこわいねえ……。いまは助かる可能性が高いから、奴が重病だ、とか聞いても、下手に喜んでそれを誰かにみられて、あとで告げ口されると困るから却って黙ってしまうことが多い。昭和天皇の時だって、――恨んでいる人はかなりいたわけで、ついに崩御かと喜んだ人もいたはずなのだ。いや、これはかなり違うか。――そういえば、この前の安保騒ぎの時に、「安倍はやめろ」だけでなく「安倍はなんとか」という叫びもかなりきこえて来たわけであるが、一度口に出してしまうとそれが実現しなかったときには、非常にいやな気持ちになるものだ。だから、それ以来、言う人は減った気がする。人を詛う場合だけでなく相手が日帝でもなんでもいいが、容易に倒れないものに呪いをかけると、呪いをかけた方が参ってしまうのだ。これが言霊の効果である。しかし、このときの清盛の重篤ぶりは、もう助からないとはっきりと分かる。
入道相国病付き給ひし日よりして湯水も喉へ入れられず、身の内の熱き事火を焚くが如し、ただ宣ふ事とては、あたあた、とばかりなり、臥し給へる所四五間が内へ入る者は熱さ堪へ難し、少しも只事とは見え給はず、あまりの堪へ難さにや比叡山より千手井の水を汲み下し石の舟に湛へそれに下りて冷え給へば水沸き上がつてほどなく湯にぞなりにける、もしやと筧の水を撒かすれば石や鉄などの焼けたるやうに水迸りて寄りつかず、自づから当たる水は焔となつて燃えければ黒煙殿中に満ち満ちて炎渦巻いてぞ上がりける
もう清盛は死んでいる……。もはや清盛は地獄の業火に焼かれている。簡単に彼岸を飛び越える平家の世界だが、それもそのはず、語り手はもっとすごいものを頭の中で描いて興奮しているからである。つまり続いて、書かれているエピソードはこんなものである。――法蔵僧都が閻魔大王のところに行って、母親にあいたいと言った。そうしたら、目の前にこんな風景が現れる。
鉄の門の内へ差し入つて見れば流星などの如くに炎空へ立ち昇り多百由旬に及びけんもかくやとぞ覚えける
もはや、地獄の業火は美しくなってしまっている。閻魔はあはれに思ってこういう演出をしたのであろう。これに対応する清盛の地獄を描こうとするのだから、上のようになる。
杜子春は必死になつて、鉄冠子の言葉を思ひ出しながら、緊く眼をつぶつてゐました。するとその時彼の耳には、殆声とはいへない位、かすかな声が伝はつて来ました。
「心配をおしでない。私たちはどうなつても、お前さへ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何と仰つても、言ひたくないことは黙つて御出で。」
それは確に懐しい、母親の声に違ひありません。杜子春は思はず、眼をあきました。さうして馬の一匹が、力なく地上に倒れた儘、悲しさうに彼の顔へ、ぢつと眼をやつてゐるのを見ました。母親はこんな苦しみの中にも、息子の心を思ひやつて、鬼どもの鞭に打たれたことを、怨む気色さへも見せないのです。大金持になれば御世辞を言ひ、貧乏人になれば口も利かない世間の人たちに比べると、何といふ有難い志でせう。何といふ健気な決心でせう。杜子春は老人の戒めも忘れて、転ぶやうにその側へ走りよると、両手に半死の馬の頸を抱いて、はらはらと涙を落しながら、「お母さん。」と一声を叫びました。……
芥川龍之介はあいかわらず酷いことするなあ……。これを親子の絆とか解釈している人でなしに呪いあれ。
嫌われてるとこわいねえ……。いまは助かる可能性が高いから、奴が重病だ、とか聞いても、下手に喜んでそれを誰かにみられて、あとで告げ口されると困るから却って黙ってしまうことが多い。昭和天皇の時だって、――恨んでいる人はかなりいたわけで、ついに崩御かと喜んだ人もいたはずなのだ。いや、これはかなり違うか。――そういえば、この前の安保騒ぎの時に、「安倍はやめろ」だけでなく「安倍はなんとか」という叫びもかなりきこえて来たわけであるが、一度口に出してしまうとそれが実現しなかったときには、非常にいやな気持ちになるものだ。だから、それ以来、言う人は減った気がする。人を詛う場合だけでなく相手が日帝でもなんでもいいが、容易に倒れないものに呪いをかけると、呪いをかけた方が参ってしまうのだ。これが言霊の効果である。しかし、このときの清盛の重篤ぶりは、もう助からないとはっきりと分かる。
入道相国病付き給ひし日よりして湯水も喉へ入れられず、身の内の熱き事火を焚くが如し、ただ宣ふ事とては、あたあた、とばかりなり、臥し給へる所四五間が内へ入る者は熱さ堪へ難し、少しも只事とは見え給はず、あまりの堪へ難さにや比叡山より千手井の水を汲み下し石の舟に湛へそれに下りて冷え給へば水沸き上がつてほどなく湯にぞなりにける、もしやと筧の水を撒かすれば石や鉄などの焼けたるやうに水迸りて寄りつかず、自づから当たる水は焔となつて燃えければ黒煙殿中に満ち満ちて炎渦巻いてぞ上がりける
もう清盛は死んでいる……。もはや清盛は地獄の業火に焼かれている。簡単に彼岸を飛び越える平家の世界だが、それもそのはず、語り手はもっとすごいものを頭の中で描いて興奮しているからである。つまり続いて、書かれているエピソードはこんなものである。――法蔵僧都が閻魔大王のところに行って、母親にあいたいと言った。そうしたら、目の前にこんな風景が現れる。
鉄の門の内へ差し入つて見れば流星などの如くに炎空へ立ち昇り多百由旬に及びけんもかくやとぞ覚えける
もはや、地獄の業火は美しくなってしまっている。閻魔はあはれに思ってこういう演出をしたのであろう。これに対応する清盛の地獄を描こうとするのだから、上のようになる。
杜子春は必死になつて、鉄冠子の言葉を思ひ出しながら、緊く眼をつぶつてゐました。するとその時彼の耳には、殆声とはいへない位、かすかな声が伝はつて来ました。
「心配をおしでない。私たちはどうなつても、お前さへ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何と仰つても、言ひたくないことは黙つて御出で。」
それは確に懐しい、母親の声に違ひありません。杜子春は思はず、眼をあきました。さうして馬の一匹が、力なく地上に倒れた儘、悲しさうに彼の顔へ、ぢつと眼をやつてゐるのを見ました。母親はこんな苦しみの中にも、息子の心を思ひやつて、鬼どもの鞭に打たれたことを、怨む気色さへも見せないのです。大金持になれば御世辞を言ひ、貧乏人になれば口も利かない世間の人たちに比べると、何といふ有難い志でせう。何といふ健気な決心でせう。杜子春は老人の戒めも忘れて、転ぶやうにその側へ走りよると、両手に半死の馬の頸を抱いて、はらはらと涙を落しながら、「お母さん。」と一声を叫びました。……
――芥川龍之介「杜子春」
芥川龍之介はあいかわらず酷いことするなあ……。これを親子の絆とか解釈している人でなしに呪いあれ。