昼下がり、多賀町の多賀神社に行く。
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随神門は久しぶりである。かっこのよい門である。また、弓矢を持ったお人形さんがお出迎えかと思ったら……
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金色っ
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彼は乱せる髪を夜叉の如く打振り打振り、五体を揉みて、唇の血を噴きぬ。彼も殺さじ、これも傷けじと、貫一が胸は車輪の廻るが若くなれど、如何にせん、その身は内より不思議の力に緊縛せられたるやうにて、逸れど、躁れど、寸分の微揺を得ず、せめては声を立てんと為れば、吭は又塞りて、銕丸を啣める想。
力も今は絶々に、はや危しと宮は血声を揚げて、
「貴方が殺して下さらなければ、私は自害して死にますから、貫一さん、この刀を取つて、私の手に持せて下さい。さ、早く、貫一さん、後生です、さ、さ、さあ取つて下さい」
又激く捩合ふ郤含に、短刀は戞然と落ちて、貫一が前なる畳に突立つたり。宮は虚さず躍り被りて、我物得つと手に為れば、遣らじと満枝の組付くを、推隔つる腋の下より後突に、𣠽も透れと刺したる急所、一声号びて仰反る満枝。鮮血! 兇器! 殺傷! 死体! 乱心! 重罪! 貫一は目も眩れ、心も消ゆるばかりなり。宮は犇と寄添ひて、
「もうこの上はどうで私は無い命です。お願ですから、貫一さん、貴方の手に掛けて殺して下さい。私はそれで貴方に赦された積で喜んで死にますから。貴方もどうぞそれでもう堪忍して、今までの恨は霽して下さいまし、よう、貫一さん。私がこんなに思つて死んだ後までも、貴方が堪忍して下さらなければ、私は生替死替して七生まで貫一さんを怨みますよ。さあ、それだから私の迷はないやうに、貴方の口からお念仏を唱へて、これで一思ひに、さあ貫一さん、殺して下さい」
朱に染みたる白刃をば貫一が手に持添へつつ、宮はその可懐き拳に頻回頬擦したり。
「私はこれで死んで了へば、もう二度とこの世でお目に掛ることは無いのですから、せめて一遍の回向をして下さると思つて、今はの際で唯一言赦して遣ると有仰つて下さい。生きてゐる内こそどんなにも憎くお思ひでせうけれど、死んで了へばそれつきり、罪も恨も残らず消えて土に成つて了ふのです。私はかうして前非を後悔して、貴方の前で潔く命を捨てるのも、その御詑が為たいばかりなのですから、貫一さん、既往の事は水に流して、もう好い加減に堪忍して下さいまし。よう、貫一さん、貫一さん!
今思へばあの時の不心得が実に悔くて悔くて、私は何とも謂ひやうが無い! 貴方が涙を零して言つて下すつた事も覚えてゐます。後来きつと思中るから、今夜の事を忘れるなとお言ひの声も、今だに耳に付いてゐるわ。私の一図の迷とは謂ひながら何為あの時に些少でも気が着かなかつたか。愚な自分を責めるより外は無いけれど、死んでもこんな回復の付かない事を何で私は為ましたらう! 貫一さん、貴方の罰が中つたわ! 私は生きてゐる空が無い程、貴方の罰が中つたのだわ! だから、もうこれで堪忍して下さい。よ、貫一さん。
さうしてとてもこの罰の中つた躯では、今更どうかうと思つても、願なんぞの愜ふと云ふのは愚な事、未だ未だ憂目を見た上に思死に死にでも為なければ、私の業は滅しないのでせうから、この世に未練は沢山有るけれど、私は早く死んで、この苦艱を埋めて了つて、さうして早く元の浄い躯に生れ替つて来たいのです。さう為たら、私は今度の世には、どんな艱難辛苦を為ても、きつと貴方に添遂げて、この胸に一杯思つてゐる事もすつかり善く聴いて戴き、又この世で為遺した事もその時は十分為てお目に掛けて、必ず貴方にも悦ばれ、自分も嬉い思を為て、この上も無い楽い一生を送る気です。今度の世には、貫一さん、私は決してあんな不心得は為ませんから、貴方も私の事を忘れずにゐて下さい。可うござんすか! きつと忘れずにゐて下さいよ。
人は最期の一念で生を引くと云ふから、私はこの事ばかり思窮めて死にます。貫一さん、この通だから堪忍して!」
声震はせて縋ると見れば、宮は男の膝の上なる鋩目掛けて岸破と伏したり。
「や、行つたな!」
貫一が胸は劈けて始てこの声を出せるなり。
「貫一さん!」
無残やな、振仰ぐ宮が喉は血に塗れて、刃の半を貫けるなり。彼はその手を放たで苦き眼を睜きつつ、男の顔を視んと為るを、貫一は気も漫に引抱へて、
「これ宮、貴様は、まあこれは何事だ!」
大事の刃を抜取らんと為れど、一念凝りて些も弛めぬ女の力。
「これを放せ、よ、これを放さんか。さあ、放せと言ふに、ええ、何為放さんのだ」
「貫、貫一さん」
「おお、何だ」
「私は嬉い。もう……もう思遺す事は無い。堪忍して下すつたのですね」
「まあ、この手を放せ」
「放さない! 私はこれで安心して死ぬのです。貫一さん、ああ、もう気が遠く成つて来たから、早く、早く、赦すと言つて聞せて下さい。赦すと、赦すと言つて!」
血は滾々と益す流れて、末期の影は次第に黯く逼れる気色。貫一は見るにも堪へず心乱れて、
「これ、宮、確乎しろよ」
「あい」
「赦したぞ! もう赦した、もう堪……堪……堪忍……した!」
「貫一さん!」
「宮!」
「嬉い! 私は嬉い!」
貫一は唯胸も張裂けぬ可く覚えて、言は出でず、抱き緊めたる宮が顔をば紛り下つる熱湯の涙に浸して、その冷たき唇を貪り吮ひぬ。宮は男の唾を口移に辛くも喉を潤して、
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気を取り直して狛犬さん
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注連石、明治三七年。
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常夜灯(文政期)と拝殿。
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本殿
ところで、この神社の由縁はといえば、案内板に曰く、
「天正三年(一五七五年)四月十二日、豊臣秀吉の重臣、仙石権兵衛秀久が、近江の国(現在の滋賀県)の多賀神社の御霊をお迎えし、この地にお祀りしたものです。」
ご、ご先祖さまっ!こんな所に滋賀から神さんを呼んでおったのですね。うまくいきゃ、ずっとこの地を支配できたものを。猿の子分でいたのが運の尽きでしたわ。とりあえず、御子孫がいま参拝に来てやったぞ。
「それ以来、四百年余りにわたって、地域の氏神様として、人々に広く愛されてきました。」
支配者の地位は、生駒とか松平にとられましたけどね……。
「お祀りしている神様は、伊邪那岐命、伊邪那美命の二柱で、昔から、長生きの神様として、信仰を集めています。」
「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」という俗謡があるそうですが、確かに良いこと言ってます。天照大神なんて、ミとギの子どもに過ぎません。「皇居まいらば宮崎神社にまいれ、皇居宮崎の子でござる」、「宮崎神社まいらば鹿児島神社にまいれ、宮崎鹿児島の子でござる」、「鹿児島神社まいらば高千穂神社にまいれ、鹿児島高千穂の子でござる」、「高千穂神社にまいらば富田八幡宮にまいれ、高千穂富田の子でござる」、「富田まいらばお伊勢にまいれ、富田お伊勢の子でござる」、ここまできてやっと、「お多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」です。このあとは、もうどうやら人間の形とは限りませんので省略します。
拝殿の右隣には、「生駒神社」があります。どういういわれなのか分からんが……、仙石氏の神社の隣が生駒さんとはさてはて……
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玉乗り狛犬が立派である。
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地神さん。
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誰だろう……
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!!!!!!
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随神門は久しぶりである。かっこのよい門である。また、弓矢を持ったお人形さんがお出迎えかと思ったら……
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金色っ
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彼は乱せる髪を夜叉の如く打振り打振り、五体を揉みて、唇の血を噴きぬ。彼も殺さじ、これも傷けじと、貫一が胸は車輪の廻るが若くなれど、如何にせん、その身は内より不思議の力に緊縛せられたるやうにて、逸れど、躁れど、寸分の微揺を得ず、せめては声を立てんと為れば、吭は又塞りて、銕丸を啣める想。
力も今は絶々に、はや危しと宮は血声を揚げて、
「貴方が殺して下さらなければ、私は自害して死にますから、貫一さん、この刀を取つて、私の手に持せて下さい。さ、早く、貫一さん、後生です、さ、さ、さあ取つて下さい」
又激く捩合ふ郤含に、短刀は戞然と落ちて、貫一が前なる畳に突立つたり。宮は虚さず躍り被りて、我物得つと手に為れば、遣らじと満枝の組付くを、推隔つる腋の下より後突に、𣠽も透れと刺したる急所、一声号びて仰反る満枝。鮮血! 兇器! 殺傷! 死体! 乱心! 重罪! 貫一は目も眩れ、心も消ゆるばかりなり。宮は犇と寄添ひて、
「もうこの上はどうで私は無い命です。お願ですから、貫一さん、貴方の手に掛けて殺して下さい。私はそれで貴方に赦された積で喜んで死にますから。貴方もどうぞそれでもう堪忍して、今までの恨は霽して下さいまし、よう、貫一さん。私がこんなに思つて死んだ後までも、貴方が堪忍して下さらなければ、私は生替死替して七生まで貫一さんを怨みますよ。さあ、それだから私の迷はないやうに、貴方の口からお念仏を唱へて、これで一思ひに、さあ貫一さん、殺して下さい」
朱に染みたる白刃をば貫一が手に持添へつつ、宮はその可懐き拳に頻回頬擦したり。
「私はこれで死んで了へば、もう二度とこの世でお目に掛ることは無いのですから、せめて一遍の回向をして下さると思つて、今はの際で唯一言赦して遣ると有仰つて下さい。生きてゐる内こそどんなにも憎くお思ひでせうけれど、死んで了へばそれつきり、罪も恨も残らず消えて土に成つて了ふのです。私はかうして前非を後悔して、貴方の前で潔く命を捨てるのも、その御詑が為たいばかりなのですから、貫一さん、既往の事は水に流して、もう好い加減に堪忍して下さいまし。よう、貫一さん、貫一さん!
今思へばあの時の不心得が実に悔くて悔くて、私は何とも謂ひやうが無い! 貴方が涙を零して言つて下すつた事も覚えてゐます。後来きつと思中るから、今夜の事を忘れるなとお言ひの声も、今だに耳に付いてゐるわ。私の一図の迷とは謂ひながら何為あの時に些少でも気が着かなかつたか。愚な自分を責めるより外は無いけれど、死んでもこんな回復の付かない事を何で私は為ましたらう! 貫一さん、貴方の罰が中つたわ! 私は生きてゐる空が無い程、貴方の罰が中つたのだわ! だから、もうこれで堪忍して下さい。よ、貫一さん。
さうしてとてもこの罰の中つた躯では、今更どうかうと思つても、願なんぞの愜ふと云ふのは愚な事、未だ未だ憂目を見た上に思死に死にでも為なければ、私の業は滅しないのでせうから、この世に未練は沢山有るけれど、私は早く死んで、この苦艱を埋めて了つて、さうして早く元の浄い躯に生れ替つて来たいのです。さう為たら、私は今度の世には、どんな艱難辛苦を為ても、きつと貴方に添遂げて、この胸に一杯思つてゐる事もすつかり善く聴いて戴き、又この世で為遺した事もその時は十分為てお目に掛けて、必ず貴方にも悦ばれ、自分も嬉い思を為て、この上も無い楽い一生を送る気です。今度の世には、貫一さん、私は決してあんな不心得は為ませんから、貴方も私の事を忘れずにゐて下さい。可うござんすか! きつと忘れずにゐて下さいよ。
人は最期の一念で生を引くと云ふから、私はこの事ばかり思窮めて死にます。貫一さん、この通だから堪忍して!」
声震はせて縋ると見れば、宮は男の膝の上なる鋩目掛けて岸破と伏したり。
「や、行つたな!」
貫一が胸は劈けて始てこの声を出せるなり。
「貫一さん!」
無残やな、振仰ぐ宮が喉は血に塗れて、刃の半を貫けるなり。彼はその手を放たで苦き眼を睜きつつ、男の顔を視んと為るを、貫一は気も漫に引抱へて、
「これ宮、貴様は、まあこれは何事だ!」
大事の刃を抜取らんと為れど、一念凝りて些も弛めぬ女の力。
「これを放せ、よ、これを放さんか。さあ、放せと言ふに、ええ、何為放さんのだ」
「貫、貫一さん」
「おお、何だ」
「私は嬉い。もう……もう思遺す事は無い。堪忍して下すつたのですね」
「まあ、この手を放せ」
「放さない! 私はこれで安心して死ぬのです。貫一さん、ああ、もう気が遠く成つて来たから、早く、早く、赦すと言つて聞せて下さい。赦すと、赦すと言つて!」
血は滾々と益す流れて、末期の影は次第に黯く逼れる気色。貫一は見るにも堪へず心乱れて、
「これ、宮、確乎しろよ」
「あい」
「赦したぞ! もう赦した、もう堪……堪……堪忍……した!」
「貫一さん!」
「宮!」
「嬉い! 私は嬉い!」
貫一は唯胸も張裂けぬ可く覚えて、言は出でず、抱き緊めたる宮が顔をば紛り下つる熱湯の涙に浸して、その冷たき唇を貪り吮ひぬ。宮は男の唾を口移に辛くも喉を潤して、
(尾崎紅葉「金色夜叉」)
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気を取り直して狛犬さん
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注連石、明治三七年。
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常夜灯(文政期)と拝殿。
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本殿
ところで、この神社の由縁はといえば、案内板に曰く、
「天正三年(一五七五年)四月十二日、豊臣秀吉の重臣、仙石権兵衛秀久が、近江の国(現在の滋賀県)の多賀神社の御霊をお迎えし、この地にお祀りしたものです。」
ご、ご先祖さまっ!こんな所に滋賀から神さんを呼んでおったのですね。うまくいきゃ、ずっとこの地を支配できたものを。
「それ以来、四百年余りにわたって、地域の氏神様として、人々に広く愛されてきました。」
「お祀りしている神様は、伊邪那岐命、伊邪那美命の二柱で、昔から、長生きの神様として、信仰を集めています。」
「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」という俗謡があるそうですが、確かに良いこと言ってます。天照大神なんて、ミとギの子どもに過ぎません。「皇居まいらば宮崎神社にまいれ、皇居宮崎の子でござる」、「宮崎神社まいらば鹿児島神社にまいれ、宮崎鹿児島の子でござる」、「鹿児島神社まいらば高千穂神社にまいれ、鹿児島高千穂の子でござる」、「高千穂神社にまいらば富田八幡宮にまいれ、高千穂富田の子でござる」、「富田まいらばお伊勢にまいれ、富田お伊勢の子でござる」、ここまできてやっと、「お多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」です。このあとは、もうどうやら人間の形とは限りませんので省略します。
拝殿の右隣には、「生駒神社」があります。どういういわれなのか分からんが……、仙石氏の神社の隣が生駒さんとはさてはて……
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玉乗り狛犬が立派である。
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地神さん。
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誰だろう……
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